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先輩・後輩から相方、そしてその先へ。ワッキーのがん闘病を経て「ペナルティ」が踏み出した一歩

中西正男芸能記者
「ペナルティ」のヒデさん(左)とワッキーさん(撮影・倉増崇史)

 昨年6月から中咽頭がんの治療で休養していたお笑いコンビ「ペナルティ」のワッキーさん(48)。先月14日に公式YouTubeチャンネル「ペナルティちゃんねる」で復帰し、相方のヒデさん(49)と10カ月ぶりの対面も果たしました。病を経て、今、二人が思うこととは。高校のサッカー部で先輩だったヒデさんが「相方を横に言うのはアレですけど…」と照れを払拭して本音を語りだし、互いの思いが交錯していきました。

何かの間違い

ワッキー:やっぱり、どうしても、髪の毛に目が行きますよね(笑)。2月下旬にパーマをかけました。

ヒデ:がんの後だから、みんな、髪の毛が薄くなってることを見て見ぬふりするところがあるんですけど、相方の薄毛は一切病気とは関係ないんです。

ナチュラルに加齢でハゲてきただけなので、そこはしっかりイジってあげてくださいと、取材前に話してたのよ(笑)。

ワッキー:確かに、ハゲてきてるところも含めて、髪の毛で遊んでもらいたくて、入院中からずっと伸ばしてたんです。

退院したら、断髪式の番組とかYouTubeで切っても企画になるし、薄くはなってるけど、とにかく伸ばすだけ伸ばしておこうと。

実際、退院後に髪を切りに行く企画をYouTubeチャンネルでやることになったんです。

いつもヒデさんが切ってもらっている美容室があって、そこに腕のいいお姉さんがいらっしゃるんで、その方に全てお任せしますと。

僕は「カッコ良くなりたいです」とだけ言って全てを委ねたんですけど、結果、カッコ良くなるんじゃなくて、面白くなっちゃうという(笑)。

でもね、総合評価としては100点ですよ!手入れも楽だし、さわやかにもなったし、それでいてハゲも強調されるし(笑)、全方位的に最高の髪型になりました。

ヒデ:もともと“ハゲ物件に強い不動産屋”みたいな感じで、薄毛へのアプローチが得意な美容師さんなんですよ。

“実績”を並べると一目瞭然なんですけど(千原)せいじさんとか、小杉(竜一)君とか、原西(孝幸)さんが通っているお店なので、そりゃ、お手の物ですよ。

ハゲを生かしつつ、でも失礼にならない感じで、オシャレさも乗っけるという。腕利きのリフォーム業者みたいなもんですから(笑)。

ワッキー:振り返ると、去年の3月末、首にしこりを見つけたんです。近くの耳鼻科に行ったら大きな病院を紹介されまして。そこで、検査の結果「がんです」と。

タバコもとっくにやめてるし、お酒も少ししか飲まない。日々、運動もしてるし、どこも何も痛くない。

がんと言われても、絶対に何かの間違いだと思っていました。それくらい、超健康体だと心底思ってましたしね。

でも、事実としてがんだと分かり、まず、自分自身ががんだという事実を受け入れるところから始めました。

次は、それを家族に伝えるかどうかというところだったんですけど、僕は家族には言わず、1カ月くらい自分の中で背負っていました。

どれくらい進行しているのか。体のどこが原因になって生まれたがんなのか。

そういうことを詳しく調べるために1カ月ほどかかりましたし、少なくとも、その間は黙っておこうと。実際、それが全て正確に分かった段階で、嫁に報告しました。

伝えると、僕が思っていたよりも驚くこともなく、事実を冷静に受け止めてました。

というのも、僕が何回か検査で病院に通っていたので、その時点で、ある意味、嫁の中で覚悟ができていたみたいでして。

僕は隠していたつもりだったんですけど、嫁は感じ取ってたみたいです。結果的にそんな悶々とした1カ月を過ごさせてしまっていたんだなと申し訳なくもありました。

何一つ言えない

ワッキー:同じくらいのタイミングで、ヒデさんにも報告しました。

ただ、それで言うと、ヒデさんの方が圧倒的に取り乱してました。

電話で伝えたんですけど、がんだと言った瞬間に時間が止まったというか。どちらも何も言えなくなったまま時間が過ぎていきました。

ヒデ:細かい話なんですけど、最初相方から着信があった時は気づかなくて、出られなかったんです。

ただ、コンビ間で電話なんて滅多にかかってくることはないんで、着信に気づいた時点で「何かあったな」とは思いました。ご家族のことなのか、夫婦のことなのか、何か大きなことがあったんだなと。

なので、結局こちらからかけ直して話をしたんですけど、電話をかける時は、家族がいるリビングから自分の寝室に移動しました。

カミさんとかの前でかけられるような電話ではないだろう。それはかける前から予測できたので、自分一人の空間でかけた方がいいだろうなと。

そういう心の準備はしてたんですけど、がんという病名を聞いた時は、頭が真っ白になりました。

自分でも冷静な方だと思って生きてきたんですけど、本当に何も言葉が出てこなかった。ピタッと時が止まりました。1分くらい、何一つ言えませんでした。

ワッキー:そこから入院生活に入りまして、コロナ禍で一切面会はできなかったので、連絡も入院する時、退院する時、復帰の目処が立ちそうな時、病状に変化があった時とか、要所要所で送るような感じでやってました。

その中で常に言ってくれていたのが「自分のことを第一に考えなさい。オレはどんなことがあっても待ってるから」ということでした。

それはすごく励みになりましたし、実際、そうしてくれましたしね。

コンビのYouTubeチャンネルを一人で背負って、僕の入院中はゲーム配信とかを何時間も頑張ってやってくれていて。僕が戻ってくる場所を守ってくれたんですけど、ただ、見ている人が207人とかしかいなくて…。

ヒデ:いやいや、207人、ありがたいばかりですよ!

僕もえげつない体力だけはあるので、13時間ぶっ通しでできるんですけど、最後に人数を見たところでひっくり返りそうになりましたけど(笑)。

ま、会ってない時に考えてたことはいくつかあるんですけど、まず“連絡しすぎないようにしよう”とは思ってました。

良かれと思って頻繁に連絡をして「こっちはこうなってるよ」みたいなことを伝えても、それがプレッシャーになるかもしれない。それは避けるべきだなと。

あとは、今も出てた“帰る場所”ですよね。

テレビ番組とかは僕の一存だけでどうこうできないものだけど、YouTubeは自分が発信しておくことで場所を保っておけますから。

今一番やりたいこと

ワッキー:病気をして変わったことと言えば、緊張しなくなりました。

「これがクリアできたんだから、これ以上怖いことなんて、そうそうないだろう」と思えるようになったと言いますか。

それくらい、闘病中、正直、つらい時期もありました。

一番つらかったのは去年の7月末あたり。3回目の抗がん剤を打った時でした。

もちろん、薬が合う合わないもあるし、人によって個人差はあるんですけど、僕はその薬との相性が良くなかったのか、かなりしんどくて。その時は大変でした。

ヒデ:よく言うじゃないですか。サッカー選手が入院中、意識朦朧としながらも、頭の中でサッカーの試合をしてたとか。

それで言うと、さすがはギャガーですよね。そこでギャグが降りてくるというね。

そして、このギャグが本当に、本当に、クソつまんなくて(笑)。どれだけ本当にしんどかったかを端的に思い知りました。

ワッキー:タイトルだけ言うと“ダンディけろっこデメタン”というギャグなんですけど、これは今ここで宣言しておきます。今後、このギャグが日の目を見ることはないです。どの角度から考えても、笑いを生むことはないので(笑)。

ま、その頃から考えると、今は飛躍的に調子も良くなりました。今で、病気をする前に比べて、もう95%くらいまで戻っている感じだと思います。

やっているトレーニング量で言うと、病気前のまだ50%くらいですけど、日々、腕立て伏せとウォーキング。ちょっとしたダッシュくらいはやっています。

今一番やりたいのは、とにかくコンビでネタをやりたいですね。「ルミネtheよしもと」の舞台でコントをする。それが今の思いです。

入院中、ヒデさんから「単独ライブをやらないか?」と打診されてたんです。

もうガッチリと単独をやったのは10年以上前の話なので、コロナ禍でタイミングもありますけど、それもやれたらなと思っています。

ウチの“看板”なんで

ワッキー:今、横にいる状況で言うのも恥ずかしいですけど、以前より、互いにしゃべるようになったと思います。

コンビって不思議なもので、楽屋でもほとんどしゃべらなかったりもするんですけど、今はYouTubeの打ち合わせもそうだし、いろいろしゃべるようになりました。

ヒデ:相方が休んでる間、ピンで劇場に立つ方もいらっしゃるんですけど、ウチの場合は声がかからなかった。営業の声もかからなかった。

ということは「ペナルティ」はコンビで舞台に立ってくださいということなんだなと思いましたね。これは本当に思いました。

こんなこと、相方が横にいて言うのも気持ち悪いですけど、ウチの“看板”なんで。

ワッキー:…。

ヒデ:ま、ちょっとペンキのハゲかかった看板ですけど(笑)、結局、相方ありきなんで。この距離で言うのもアレですけど、感謝です。戻ってきてくれてホッとしました。

10カ月ぶりに対面したYouTubeで思わず泣いたのも、一番はホッとした思いでした。

イメージとして、痩せこけてるんじゃないかとかいうのもありましたけど、幸いふっくらしてくれてたし、聞いてたよりも少し早く戻ってきたし。

あと、ウチも子供がいますけど、相方のところもまだ小さな子供がいるし、奥さんは二人が結婚する前から知ってますし、そんなご家族のことも頭に浮かびました。

あらゆる角度への「ホッ」が一気に込み上げてきたんだと思います。

考えたら、高校時代から、もう30年以上の付き合いになりますもんね。

あの時、涙が込み上げてきたと同時に、相方に背中を向けたのは、その高校時代の意識に瞬間的に戻ったからだと思います。

もう50前にもなって、サッカー部の先輩後輩から相方にもなってるわけですけど、あの瞬間は先輩である自分が出てきて「後輩の前で泣くわけにはいかない」という思いが出たんだと思います。

ワッキー:正直、痛みがなかなか取れなかったり「もう、戻れないかな」と思った時期もありました。でも、こうやって再スタートが切れた。もう一回、チャンスをもらったわけですから、もう、やるしかないですもんね。

“コンビの看板”として、より一層、頑張っていきたいことですか?そうですねぇ…、これはね、ないですね(笑)。

ヒデ:ないんかい!

ワッキー:すみません…。“看板”って言われたことがうれしくて、何もかもぶっ飛んじゃいました(笑)。

■ペナルティ

1971年4月7日生まれで千葉県出身のヒデ(本名・中川秀樹)と72年7月5日生まれで北海道出身のワッキー(本名・脇田寧人)のコンビ。名門・船橋市立船橋高校サッカー部で先輩後輩として出会い、94年に「ペナルティ」を結成。ワッキーのパワフルなボケ、キャラクター、ギャグにヒデが的確につっこむコンビネーションが注目され、フジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!」、CBCテレビ「ノブナガ」などで人気を得る。ワッキーはMBSテレビ「吉本陸上競技会」などでも活躍するアスリート芸人としても知られていたが、20年に中咽頭がんが発覚し休養に入る。今年2月、公式YouTubeチャンネル「ペナルティちゃんねる」で復帰した。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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