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「ガレッジセール」ゴリが明かす「沖縄を隠した」日々

中西正男芸能記者
本名の照屋年之名義でドキュメンタリーを撮影した「ガレッジセール」のゴリ

 司会者、俳優としても活動するお笑いコンビ「ガレッジセール」のゴリさん(47)。これまで「洗骨」(2019年公開)など13本の映画を撮ってきた監督の顔も持ちますが、沖縄出身の歌手・平川美香さんを題材にしたドキュメンタリー「売れる法則なんてクソくらえ!」(23日からYahoo!クリエイターズプログラムで公開中)にも挑みました。あらゆる形で故郷・沖縄への思いを形にしているゴリさんですが、原点にあるのは「沖縄を隠していた」日々でした。

初のドキュメンタリー

 13~14年前から映画の監督もやってまして、作品も13本ほど撮ってきました。

 昨年公開された「洗骨」という映画はありがたいことに、カナダの「トロント日本映画祭」で最優秀作品賞もとることができました。

 その映画祭を運営されている女性から「もしご興味があったらドキュメンタリーを撮ってみませんか?」とお話をいただいたんです。10分の短い映像で、題材はゴリさんの撮りたいものなら何でもいいですと。

 話があったのは去年の11月。ただ、ドキュメンタリーは撮ったことがなかったし、なかなか題材も思い浮かばないし「どうしたもんかなぁ…」と悩んでいたんです。

 そのまま今年1月になって、さすがに返事をしないといけない時期になってきた。どうしようかと思って、考えに考えて、思い浮かんだのが平川美香という名前だったんです。

「この子はすごいな」

 美香との最初の接点は5年ほど前でした。僕らがやっているラジオ番組にゲストとして来てくれたんです。沖縄のアーティストで、どこの事務所にも所属せずにフリーで頑張ってる子がいると。

 当日、まず驚いたのが、ラジオなのに釣り人のオッサンの格好で来たんです。今でも“平川のおじさん”というキャラクターで歌ってるんですけど、その日も、オッサンの格好のまま電車に乗ってきましたと(笑)。

 トークが始まっても、それはもう開けっぴろげに何でも話すんですよ。ここでは再現できないくらい、本当に何でも赤裸々に(笑)。そこで、完全に彼女にのめり込むというか「この子はすごいな」となったんです。

 これまでの道のりもすごくて。(男女混成バンド)「HY」の仲宗根泉さんのいとこで、中学までは泉さんと「first」というデュオでやっていて、地元では知らない人はいないほど有名だったと。

 一時は歌をあきらめて学校の先生になるんだけど、もう一回勝負したくて東京に出てくるんです。でも、全くうまくいかない。オーディションも落ちまくった。そのうち「その顔だったらキツイから、整形できる?」とまで言われたり「『HY』のいとこといううたい文句がつけられるんだったらデビューさせてあげる」と言われたり…。

 全てにおいて彼女自身ズタズタですよね。で、もう、さすがに沖縄帰ろうとなった時に、一本の電話が来るんです。脳出血で倒れて体が不自由になった沖縄の友達から。

 その友達はスポーツも勉強もすごくできる人だったんですけど、病気で体が思うように動かなくなった。絶望の中、求めたのが美香の歌だったんです。言葉も不自由なので「美香、歌って」という言葉を15分くらいかけて伝えたそうです。

 2月の寒い朝だったので耳に当たっている携帯電話は冷たいんだけど、逆に自分が熱くなっていくのは分かって…。電話越しに力いっぱい歌ったと。わんわん泣きながら。

 歌で人を救えるんだ。売れる売れないじゃなく、自分の歌を必要としてくれる人が一人でもいる喜び。きれいごとじゃなく、そこに心底気づいたというか。そこで吹っ切れたと。

 美人じゃないと売れないのか。「HY」という名前を使わないと売れないのか。違う。どんなことをしても、どんな方法でも、歌っていこうと。その一つが“平川のおじさん”であり、歌手仲間から批判の声もあった中、地道な活動が認められて、ようやく去年からサンミュージックという大きなプロダクションに所属することになったんです。

 歌は抜群にうまいんだけど、光だけじゃなく、影というか日が当たらない部分がたくさんある。そこに日を当てるというとおこがましいですけど、自分が撮りたいのはこれだと思って。

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シェフと主婦

 すぐに美香に電話して「本当の平川美香を描くためには、家族とか、友達も巻き込むことになると思う。ただ、悪いようには絶対にしない」と伝えました。

 撮影日数としては3日で、その間に沖縄に行っていろいろな人にインタビューをしました。中でも、絶対にここは避けて通れないというのが、美香に電話をかけてきた友達のところでした。

 撮影できるかどうかはもちろん分からないけど、とにかく挨拶をしなくちゃと思って友達のご実家に伺ったんですけど、名前が出て特定されたり、顔が出て娘がさらし者みたいになってしまうんじゃないかとお母さんが非常にナーバスになってらっしゃいまして。

 そりゃ、当然です。いきなりカメラが来たら警戒もしますし、そこを説明するのは大変なことでもありました。

 ただ、完成品ができたら、まずお見せします。もし娘さんに関するところが気に入らなかったら、全部カットします。なので、まず僕を信じてください。言葉で説明するのは難しいけど、絶対に悪いようにはしないです。そんなことをしたら、平川美香も裏切ることになる。そして、これも本当にリアルな話、僕は監督であると同時に、タレントのゴリという顔もある。ここで何かやったら、そこも裏切ることになる。なので、僕を信じてくださいと。

 まずそこの話をしっかりとして、友達に電話インタビューをさせてもらいました。そして、編集した映像をお見せしたら、すごく感動してくださいまして。良かったら、娘の写真も使ってくださいと言ってくださって。

 どこまでご協力願えるか分からないところから、想像以上のご協力をいただき、そのことでこのドキュメンタリーがより人の心に届きやすいものになっていく。この変化は映画のように作ってできるものではないなと思いました。

 ただね、低予算で技術さんがつかないので、取材先とのやり取りも僕が一人でやって、カメラマンも僕がやったんです。カメラの勉強をして。カメラを何時間も持ちながらインタビューする中で、カメラマンの方がいかにすごいかを再確認しました。カメラマンって一日中これをやってるんだと思ったら、恐ろしいタフガイです…。生まれ変わっても、カメラマンにはならないと決めました(笑)。

 今回ドキュメンタリーをやらせてもらって感じましたけど、映画は自分で物語を考えて、撮影をする。要するに「こんな世界があったら面白いな」「泣けるな」というのを頭の中から生み出してたんですけど、ドキュメンタリーは、目の前にある素材だけを使って作るしかない。

 なんていうのか、映画監督はコックさん、シェフだったのかなと。「こういうものを作りたい」と思って欲しい食材を一から集めてオリジナルを作る。

 そういう言い方で考えると、ドキュメンタリーって僕の中では、主婦というか、家の料理でした。冷蔵庫のあり物で作る。食材を見て「今日、何作ろうか」と考える。材料は決まってるんです。そこからどういう風にしたら、より美味しいものを作れるのか。その違いは強く感じました。

 監督は指揮者なんだけど、指揮ができないというか。勝手にトランペットが鳴り出したり、信じられないくらいドラムの音が小さかったりするんですけど(笑)、それはそういうものとして受け止めるしかない。でも、自分で方向性を示せないのが面白かったというのもありますね。

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沖縄を隠した

 今回も結果的に沖縄のアーティストである美香の話を撮りましたけど、10代の頃、僕は沖縄を出たかった人間なんです。出たくて仕方がなかった。

 東京に憧れて、とにかく東京に行きたい。実際、19歳で東京に出てきた時には、ずっとテンションが上がってました。

 「これがテレビで見たことのある渋谷センター街だ!」とか「都庁のビルって、こんなに高いんだ!」とか、必要もないのにいっぱい写真も撮って。コンパもたくさんやって、いわゆるテレビで見ていたことを体験していって本当に幸せでした。

 この世界に入ってからも「東京大好き!」「沖縄は、田舎者だから恥ずかしい」「言葉も標準語でいこう」。そんな感じで。完全に沖縄を隠していました。

 でも、でも、結果、食いついてもらったのは沖縄という部分なんです。沖縄出身だからディレクターさんの目に留まったり、面白がってもらったり。隠していた部分が、結局、僕たちが世に出るきっかけになっていったんです。沖縄だったから、今の僕らがあるんです。隠していたものに救われたというか。

 そんな中、40歳も超えて、ふと「40歳か…。人生80年だとして、もう半分を切ったんだ」と思うと、怖くなったんです。残された時間で自分は何をするべきなのか。それを今一度考えた時に、やっぱり出てくるのは沖縄なんですよね。

 ここまで芸能界でやってこられたのは、まぎれもなく、沖縄のおかげ。だったら、自分のできる形で沖縄に恩返しをしよう。そう思って沖縄を拠点にした「おきなわ新喜劇」を立ち上げて、沖縄の映画もずっと撮り続けようと思ったんです。特に「おきなわ新喜劇」は自分がもしこの先いなくなっても、産業として沖縄に残るように。それを考えて作りました。僕がいなくなっても、永遠にまわりつづけるものにしたいなと。

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心の金持ち

 今、僕は東京と沖縄で両方仕事をさせてもらっているので、沖縄の良さをより客観的に味わえている気がしています。

 沖縄の国際通りにある商店街でウチの兄が婦人服の店をやっていて、この前もフラッと手伝いに行ったんです。

 じゃ、近所のおばちゃんが「お腹減ってるでしょ」と言って、家まで帰って料理してきてくれるんです。「食べなさい。これ、いい魚が入ったから」と熱々のを持ってきてくれる。それがさも当たり前という感じで。またそれがお店の味とは違う心の満たされ方をするというか、なんかね、泣く寸前の気持ちになったんです。そういうことが、普通にたくさんあるんです。沖縄には。

 そうやって店先にいると、観光客の方が「行きたいタコス屋さんがこの近くにあるはずなんですけど…」と道を尋ねてきたんです。

 そうしたら、これもさも当然のように、兄貴が案内しだして、観光客の方3人と兄貴と僕とでタコス屋さんまで行ったんです。これも、兄貴は別にいい人と思われようとかそういう気持ちは一切なく、自然にそうしてるんです。

 無事にタコス屋さんまで送り届けて、店に戻る途中に「年之(ゴリの本名)、ここの生ビール美味しいから寄って行こうか」と言われて飲んで帰ったら、前のお店のおばちゃんが兄貴の代わりにお客さんの応対とレジ打ちをやってくれていて。

 なんかね、沖縄は“心の金持ち”が多いんです。この金持ちと接した時の感覚は、たまんないですよ。これが本当の豊かさなんだろうなとも思います…。

 もちろん、沖縄には沖縄の苦しさもあります。ただ、僕は東京と沖縄で毎週仕事をさせてもらっているので、そこを両方見ながら仕事ができているなとつくづく感じます。沖縄を外から見る目もあるから、もっと好きになるし、もっと知ろうとするし。

 今、本当にいいバランスで仕事ができていると思います。それをさせてもらっている会社にも感謝です。吉本興業もね、いい会社なんですよ!この最高の状況がこれからも続くように、最後にしっかりと会社のことも誉めておきました(笑)。

(撮影・中西正男)

■ゴリ

1972年5月22日生まれ。沖縄県出身。本名・照屋年之。95年、川田広樹と「ガレッジセール」を結成する。フジテレビ「笑っていいとも!」などで注目され、俳優としても活動。2009年には初の長編映画「南の島のフリムン」で監督・脚本を務め、昨年公開された監督作品「洗骨」はモスクワ国際映画祭など海外の映画祭でも高い評価を受ける。14年からスタートし、昨年で6回目となった「おきなわ新喜劇」もライフワークとして手掛けている。初のドキュメンタリー映像「売れる法則なんてクソくらえ!」はYahoo!の「クリエイターズプログラム」(https://creators.yahoo.co.jp/list/video/g/shortfilm)で23日から見ることができる。

■平川美香(ひらかわ・みか)

1984年1月9日生まれ。沖縄県出身。中学生の頃からいとこである「HY」の仲宗根泉とユニット「first」を結成し音楽活動を始める。大学卒業後、高校の教師になるが、音楽への思いが断ち切れず、上京して歌手を目指す。挫折を繰り返す中で生まれた“平川のおじさん”や“レディーブブ”などのキャラクターが注目を集め、フジテレビ系「アウト×デラックス」などでも話題となる。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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