Yahoo!ニュース

30年目の告白。なだぎ武がテレビから離れた理由

中西正男芸能記者
仕事への思いをストレートに語るなだぎ武

 ピン芸人ナンバーワン決定戦「R-1ぐらんぷり」で2007年、08年と史上初の連覇を成し遂げたなだぎ武さん(49)。09年に出演した宮本亜門さん演出のミュージカル「ドロウジー・シャペロン」をきっかけに、芝居の世界でも活動してきました。芸歴30年。舞台をやりだして10年。節目の年にもなりますが、なだぎさんがなぜテレビから舞台へとフィールドを移したのか。赤裸々に思いを語りました。

心斎橋筋2丁目劇場

 この世界に入って、ちょうど30年。本当にいろいろなことがありましたけど、パッと思い出されるのは吉本興業の若手のホームグラウンドだった心斎橋筋2丁目劇場の時代ですね。

 劇場の主役だった「ダウンタウン」さんらが東京に行かれるということでゴソッと抜けて、さあ、僕らの世代でどうにか盛り立てないといけない。

 その中で「千原兄弟」らを筆頭に、みんなガムシャラにやっていた。あの頃の勢いというかパワーみたいなものは、今から思っても鮮明に焼き付いています。

 あの時代は、正直、みんなプライベートでもムチャクチャでしたけどね(笑)。芸でも、ある意味、それ以上にムチャクチャなこともやっていました。

やりたいことが100%できた

 みんないきり立っていて、自分がやりたいことが山ほどある。そして、当時はそれができる場もあったんです。例えば「すんげー!Best10」(ABCテレビ)という深夜番組では、毎週あらゆるユニットコントや新しいパターンへの挑戦みたいなことをやってました。今から思っても「よくやっていたな…。またお客さんも笑ってくれていたな…」と思うネタもたくさんありました。

 今、ものすごくラグビーが盛り上がっていますけど、当時、ベビーシッターのコントで、赤ちゃん、もちろん赤ちゃんの人形ですけど、それをボール代わりにしてラグビーをするという場面もあったんです。

 当時も、ツッコミ役が「なんちゅうことすんねん!赤ちゃんや!」とかつっこんでいるんですけど、そもそも、今から考えたら、だいぶと衝撃的なボケではありますからね。

 やりたいことがたくさんあって、それがほぼハードルなしで100%できた。これは本当に、本当に大きな経験だったと思います。

 感覚的なことになってしまいますけど、やりたいことを100%やれた。実際にあれもこれもできた。そのおかげで、今の“モヤモヤ感”が全然違うと思うんです。

 例えば、赤ちゃんのラグビーのネタ、今はほぼ確実にやらないですけど、実際にやったことがある上で“やらない”という判断をするのと、やったことはないけど「なんとなく、やったらアカンやろうな…」と思って“やらない”のでは感覚が違うと思うんですね。

 また、それを今でも活躍している「中川家」とかケンドーコバヤシらと毎週できていたのも、意義深いことやと思います。

画像

宮本亜門からのオファー

 あと、10年前から舞台のお仕事を本格的にさせてもらうようになった。これも大きな動きですよね。きっかけは宮本亜門さんのミュージカル「ドロウジー・シャペロン」でした。

 バラエティー番組でディランのキャラで注目してもらって、さらに「R-1ぐらんぷり」でも優勝して、東京を活動の拠点にした。いろいろな番組にも出してもらうようになって、その中の一つ「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ系)が宮本亜門さんとの出会いになったんです。

 宮本亜門さんがゲストで来られていて、僕のネタを見た時にすごくほめてくださったんです。それが普通のほめ方じゃなくて、絶賛だったんです。

 マネージャーも、本番後に「あれだけほめてくださったら、宮本亜門さんと仕事する日が来るんじゃないですか」と言うくらいの絶賛。もちろん、その時は「そんなもん、あるわけないやろ!」と僕もシャレの感覚で返してたんですけど、後日ホンマにオファーが来たんです。

 「ぜひとも、藤原紀香の相手役をやってほしい」と。“宮本亜門から藤原紀香の相手役をやってほしいと連絡があった”。こんなもん、ボケですよ(笑)。コントです。ウソみたいな文言ばっかりが並んでますから。

 しかも、当時、藤原紀香さんは陣内(智則)と結婚してましたし。いろいろ「何がどうなってんねん?」ということばっかりでしたけど、漏れ伝わってくるところによると、紀香さんのフィアンセ役だけが決まっていなくて、何百人もオーディションをしても決まらない。そんな状況で、宮本亜門さんが「レッドカーペット」に来られた。そこで僕を見て「舞台に出た瞬間の空気、お客さんお目線のひきつけ方。すごくいい!」と思ってくださったようで。

 ただ、慎重に話をしたんです。よく考えてほしいと。僕は歌いながらお芝居したこともないし、タップダンスもやったことないし、ないない尽くしで要望に応えられるかどうかも分からない。なので、一度はお断りしたんです。

 それでも、さらにオファーをいただき続けたので、ちょうどその時に「春子ブックセンター」というお芝居に脇役で出ていたので、もし良かったら、それを見てもらえませんかと。「お芝居に出ている僕の姿を一回見て、改めて決めてほしい」とお伝えしたんです。

 じゃ、宮本亜門さんがそこでさらに火が付いたというか。「もう、これは間違いない!」とより一層なったんで、僕としても、これはもうやるしかないなと。

 覚悟を決めるしかないというのもありましたし、あの宮本亜門から関西の一介の芸人がオファーを受ける。そんな流れは自分の人生で、この先ないだろうなと改めて考えまして。

 断るのは簡単やけど、引き受けた時に自分が背負ういろいろなもの。それはその瞬間にしか味わえないものだろうし、これを引き受けたら、幕が開く日にはどうにかして舞台に立っている自分がいるだろう。その自分を知りたくなったんです。

画像

好きだからこそ怖い

 それともう一つ、オファーをいただいた時に「ちゃんとできるだろうか」という恐怖感があったんですけど、よく考えたら、恐怖感は好きだから出てくるものでもあるんやろうなと。

 自分が何の興味もないものなら、怖いとは思わない。怖いと思うということは、その世界が好きということだし、そこでうまくいきたいと思っていることでもあるんだろうし、じゃ、やってみようと。

 ただ、実際に稽古が始まったら、やっぱり知らんことだらけです。当たり前ですけど(笑)。お芝居、歌、ダンス、タップ…。やったことないものばかり。一日一日がこんなに長いのかと…。本当に大変でした。

 でも、そこには笑いのフィールドでは経験できない共演者の皆さんとの時間や、宮本亜門さんからの指導であったり、大変だけど、その値打ちをひしひしと感じる部分があった。

 そして、実際に公演が始まってからも、正直な話、宮本亜門さんのミュージカルが好きで見続けてきたファンの方からすると「大丈夫なの?いきなり芸人が来て、ちゃんとできるの?」という思いもある。

 その方々にも「できる」ということをお見せしないといけない。自分が背負ってきたもの、今背負っているもの。そういったものとの葛藤。味わったことのない感情でしたし、そこを通じてたどり着いた“度胸”というのは、お笑いとはまた違う度胸でした。千秋楽を迎えた時は「やって良かった」という思いしかなかったです。

テレビと舞台

 舞台のお仕事をさせてもらうようになって、今一度、自分を再確認できたというのも大きかったと思います。

 僕が「R-1ぐらんぷり」で優勝して、テレビなどのお仕事をたくさんいただくようになった。その時のバラエティーの作り方というのは、僕が感じる中ですけど、自分が実際に経験したエピソードトークとかを軸に作られていく番組が多くなっていた。

 そうやって人間力というか、素の自分の色で笑わせる。これも、もちろん芸人の大きな方法論です。ただ、僕は自分自身がしゃべるというよりも、何かを演じている方が楽しい。そこで、テレビに出してもらうことへの違和感というか、テレビに映っている自分を見て面白いと思っている人がどれくらいいるのか。そう思うところまでなりまして。

 そんな中、舞台をさせてもらうようになった。何かを演じることのど真ん中のお仕事。テレビの仕事に対する思い、そして、舞台の仕事に対する思い。そういったことが相まって、舞台により一層、深く力を注ぐようになっていったんです。

画像

 さらにもう一つ根っこの部分を考えると、もともと僕は自分に興味がないんです。自分が面白おかしいエピソードを提供できるような生活をしていないし、自分の性格も好きではない。なので、自分の人間性じゃなくて、何か別のものを演じるのが好きだし、それで面白いと思ってもらえることがうれしい。

 実際、子どもの頃も同級生が見ているバラエティーではなく、いろいろな演じ方が詰まっている2時間ドラマを食い入るように見てましたしね(笑)。

 そう思うと、そういうところまで宮本亜門さんが瞬時に見抜いてくださったのか。今となれば感謝しかないですけどね。

 ただね、その時「レッドカーペット」で僕がやっていたネタは“藤岡弘、さんのモノマネ”だったんです。ダンスどころか、動かざること山のごとし(笑)。また、中身も藤岡さんが「ケツメイシ」の「さくら」を歌うけど全くテンポが追い付かないという、ちゃんと歌うということと真逆のネタ。いったい、それのどこを見て、ミュージカルに出てほしいと思ったのか…(笑)。さすがは宮本亜門さんです。

(撮影・中西正男)

■なだぎ武(なだぎ・たけし)

1970年10月9日生まれ。大阪府出身。NSC大阪校8期生。同期は「千原兄弟」「FUJIWARA」ら。89年、お笑いコンビ「スミス夫人」を結成する。2001年にコンビ解散後はお笑いユニット「ザ・プラン9」に加入。07年、08年とピン芸人ナンバーワン決定戦「R-1ぐらんぷり」を連覇。09年に宮本亜門演出の舞台「ドロウジー・シャペロン」に出演し、ミュージカルに初挑戦する。15年に「ザ・プラン9」からの脱退を表明。昨年、アイドルユニット「吉本坂46」のメンバーに選ばれる。舞台「ボクのサンキュウ。男だらけの育児奮闘記+α」(10月30日~11月5日、大阪・HEP HALL)にも出演する。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

中西正男のここだけの話~直接見たこと聞いたことだけ伝えます~

税込330円/月初月無料投稿頻度:月3回程度(不定期)

1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

※すでに購入済みの方はログインしてください。

※ご購入や初月無料の適用には条件がございます。購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。

中西正男の最近の記事