ヒットメーカー・中村泰士が80歳になって分かったこと

80歳を迎え、今の思いをストレートに語る中村泰士

 「喝采」「北酒場」が日本レコード大賞を受賞し、ヒットメーカーとしての地位を築いてきた作詞・作曲家、歌手の中村泰士さん。今年5月に80歳を迎えましたが、今月19日にはアンチエイジングスピリッツの普及を目的に制定された「A4M JAPANアンチエイジングアワード2019」で大賞に選ばれました。80歳を記念して1年で全国各地で80公演を行う試みの真っただ中でもありますが「80歳になって、一気に生きやすくなった」と言葉に力を込めました。

真面目に歌手をやる

 今、歌手として1年間で80公演をやらせてもらうという試みをやっているんですけど、というのも、ここにきて、一回真面目に歌手をやってみようと思いましてね(笑)。

 もちろん、元々は歌手からスタートしているんですけど、作詞・作曲をメインの仕事としてやるうちに、あくまでも歌は“作曲家がやる余技”という感覚にもなっていたんです。

 ただ、歌手の皆さんにはこれまでもずっと指導したりはしてきたんですよ。こういう風に声のトレーニングをしなさいとか、こういう発声をしなさいとか。ただね、自分では全然してなかった。

 若い人には「ちゃんと歌に取り組みなさい」と言うんですけど、何なら、僕自身は歌手としてやっていた若い頃もムチャクチャやったからね(笑)。

 歌手としては全然売れなかった。でも好きな歌を歌って、ま、正直な話、女性にはモテて…。もう、それで男としたら十分というか、ある種、満足してたんですよ。だから、歌と正面から向き合うことがなかった。

 でも、もう一回歌と向き合おうと思ったのが去年でした。きっかけは、カラオケ上手の一般の皆さんです。今はカラオケも発達しているし、皆さん本当に歌が上手になっている。そして、本当に歌が好きな方はお気に入りの歌を何回も何回も、何年も何年も、思い入れたっぷりに歌い続けている。そうするとね、いい味が出てくるんですよ。そういう姿を見ていると、変な言い方ですけど「オレも、ちゃんと歌手をしよう」と思ったんです。

画像

やれば変わる

 まずは体調を整えて、ウォーキングの時に歩きながらボイストレーニングをしたり、時間があったら声帯がちゃんと動いているか細かく確認したり。やっぱり体幹が大事なので、体幹を鍛えたり、呼吸の仕方を見直したり。

 常に声のこと、歌のことを意識した生活に切り替えたんです。じゃ、まずものすごく健康になりました(笑)。やっぱり歌うために「もうちょっとここを鍛えた方がいいな」と思ったらやりますし、そこを鍛えたら「また次はここも鍛えた方がいいしな…」という感覚が出てくるんです。そうしているうちに元気にもなるし、ゴルフもすごく飛ぶようになりました(笑)。

 そして、去年の12月に大阪のビルボードでライブをやったんです。じゃ、お客さまの反応がこれまでと全然違うんです。

 ステージから感じる皆さんの高揚感がこちらにものすごく伝わってくるんです。実際、ライブ後も「歌が聴きやすくなった」「声が響く」「先生、メッチャ歌うまくなった!」といった感じで、すごく良い感想を多くの方が言ってくださったんです。

 やっぱりいくつからでも変わるもんやし、皆さんにちゃんと伝わるんや。それがすごく嬉しくてね。オレの歌でこんだけ喜んでくださるんだと。だったら、ちゃんとやって、もっと皆さんにお届けしよう。そんな思いが今年の80公演につながっていったんです。

70代の葛藤

 今、本当に楽しいですけど、実は、そう心底思えるようになったのは80歳になってからなんです。80歳になって、生きるのがすごく楽になりました。

 というのはね、70代の頃は「なんか窮屈やな…」と思っていたんです。歳は十二分にとってるけど、まだ仕事をしとる。若い子からしたら「いつまでやっとんねん。チャラチャラせんと、もう身を引けや」ということを思う人も多々いるんやろうなと自分で思っていた。

 感覚的なところで言うと、ま、80%は敵というわけではないけど、少なくともオレのことを容認はしていない。残り2割が「先生、元気でいいですね!」という年寄りへの理解者。

 なので、何かをやろうとする時に、自分の中では「こんなんやっていいのかな…」という思いがイチイチあったんです。まだ元気もある。歌謡曲を盛り上げたいという思いもある。幸い、周りに協力してくださる方々もいる。だから、やろうと思えばできる。でも「自分がやらんでもエエんちゃうかな」ということも同時にあって、ここの葛藤みたいなものが常に生まれていたんです。

 ただ、それがね、80歳になったらパーンと抜けたんです。なんでしょうね、一気に変わりました。アレコレ考えんでも「もう、やってええんや」と。

 周りの見方も「もう80歳にもなったんやから好きにさせてあげるべき。なんなら、まだまだ頑張るなんてすごいことやんか」という空気にガラッと変わったというか。「やった方がエエのかな、引いておいた方がエエのかな…」という迷いがなくなりました。

 今思うのは、もちろん求めていただけるなら、喜んでいただけるならという前提があってのことですけど、もっともっと歌いたいということ。そして、今の自分が歌って、より一層伝わるであろう歌。80歳の目線で見た世の中みたいなところを入れた歌を作りたいとも思っています。

90歳までにやりたいこと

 よく「お元気ですねぇ」と言っていただいたりもするんです。ただ、これは何の僕の手柄でもなく感謝するしかないですけど、親が丈夫に産んでくれた。これは本当に、本当にありがたいことだと思っています。

 あとは、自分の中で“気の時計”ということは意識しています。パッとイメージしにくいかもしれませんけど、時計の文字盤の“12”とか“6”といった数字のところに「元気」「勇気」「その気」「やる気」「活気」「本気」というのが配置されているイメージ。それを頭で意識しながら生きているんです。

 例えば、何か物事を始めるべく、新しく人に会い行く。でも、なかなか踏ん切りがつかない。ここで足りないのは「勇気」なんです。じゃ「勇気」が足りないならば「元気」を出す。「元気」を出すには「活気」のあるところに行ってパワーをもらって「元気」になって、そうすると「勇気」も湧いてくる。そんな感じで、僕の中ではこの時計が一日の中でもグルグルとまわっているんです。この気の意識みたいなことはやってますし、それをやっていくと気のコントロールが上手になっていくんですよ。

 90歳まで元気に生きる。これがずっと僕が目標にしてきたことなんですけど、80歳になって、本当に楽しくなった。なので、この勢いで何とか90歳までに日本の多くの人が口ずさめるようなヒット曲を作りたい。これは今、強く思っていることです。

 ただ、その曲は才能のある誰かに歌ってもらいます。僕の声はお金になる声やないし、そんなに売れません…。さすがに、それは分かってますから(笑)。

画像

(撮影・中西正男)

■中村泰士(なかむら・たいじ)

1939年5月21日生まれ。奈良県出身。高校在学中から音楽活動を始め、57年に美川鯛二として歌手デビュー。68年、佐川満男の「今は幸せかい」で作曲家に転身する。72年、ちあきなおみの「喝采」で、82年には細川たかしの「北酒場」で日本レコード大賞を受賞するなど、ヒットメーカーとしての地位を築く。2016年には喜寿の記念に77曲を7時間かけてコンサートを開催。18年には大阪観光大使に任命される。また、今月19日にはアンチエイジングスピリッツの普及を目的に制定された「A4M JAPANアンチエイジングアワード2019」で大賞を受賞した。