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「この子はかえさなくていい」特別養子縁組で母になった武内由紀子の今

中西正男芸能記者
長男・一徹君を抱き、笑顔を見せる武内由紀子

 「大阪パフォーマンスドール」のリーダーとして活躍したタレントの武内由紀子さん(46)。今月25日、所属の吉本興業を通じて特別養子縁組制度で男児を授かったことを公表しました。2013年に結婚し17年まで不妊治療を続けてきましたが、様々な思いを経験した上で治療をやめ、特別養子縁組の手続きに入りました。昨年6月から一緒に暮らす長男・一徹君への思い、そして、ここに至るまでの思いを終始笑顔で、穏やかに語りました。

不妊治療と決断

 ダンナさんとは2010年に付き合い始めて、半年ちょっと経った頃にプロポーズしてもらいました。その時、私が37歳。私は一回結婚を経験しているので(笑)、そこまで結婚にこだわっているわけではなかったんです。ただ、子どもは本当に欲しかったので、結婚の思いは固まっているし、プロポーズをしてもらった段階から妊活に入って、子どもを授かった時点で婚姻届けを提出しようという感じで一緒に過ごしていたんです。

 そうしているうち、2013年の3月に私が40歳になりました。結婚していないと不妊治療も難しいので、そのタイミングで結婚しました。

 そこから不妊治療に入ったんですけど、なかなか結果が出ないまま、44歳になっていた。本当にできる限りのことはしましたし、たくさんチャレンジもしました。なので「もう、これはこういうことなんだ」とそこで不妊治療はやめることにしました。ここの決断に関しては、本当にスパッと決められたというか、治療に関する未練は一切なかったんです。

子どもを諦められていない自分

 最後の治療を終えて、病院で会計を待っている時、自分でも驚きました。知らず知らずのうちに、携帯電話で養子縁組のことを調べていたんです。そこで「妊娠は諦めたけど、子どもは諦められていない自分」に気づいて、そこからは養子縁組について考えるようになりました。

 不妊治療中も「養子縁組は考えていないの?」と聞かれることもあったので、知識としては、知らないことはなかったんです。ただ、その頃は、本当に正直な思いとして、そこまでしてというのは考えていなかった。夫婦で楽しく過ごして、仕事も思いっきりやって、好きなところに旅行も行って、みたいな時間も素敵だし。本気で、そう思っていたんです。でも、会計の時に無意識に調べていたんです。じゃ、素直にそちらを模索してみようと。

 養子縁組にもいろいろな形があるし、行政とか民間とかいろいろな団体もあるし、それぞれにルールもあります。そして、何より、養子縁組をされた人の数だけ答えがあるというか、どれがいいとか悪いとかいうことはないと本当に思います。

 なので、私がお話しするのは、全て私たち夫婦のことであり、私たちが経験しただけのことではあるんですけど、養子縁組にも年齢制限がある場合も多くて、その時で私は44歳。“子どもが成人した時に親が60歳より下”という一つの目安みたいなものもあり、年齢のところで、あまり望ましくないと判断される部分もあったんです。

 自分が産むわけじゃないけれども、その制限もあるんだと。それは一つの衝撃でしたし、じゃ、その選択肢を模索するにしても時間との勝負になるんだと。ダンナさんも私と同じように子どもが欲しいという思いはあったんですけど、私より7歳若い分、意識的にそこまで焦っていないところもあった。そして、不妊治療を諦めてから、意外にスッと子どもを授かる例もあるから慌ててそちらの選択肢を模索しないでもいいんじゃないの?という感じもあったんですけど、私はもうそんな奇跡というか、流れを望むことに疲れたという思いもありました。本当に正直な話。

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この子はかえさなくていい

 そこからはスピーディーに調べて取り組んできました。妊娠はしたけれど、いろいろな理由があって子どもは育てられない。そんなお母さんが産んだ子どもを我々、養親が引き取る。基本的にはその流れなんですけど、実母さんが実際に産んだら「やっぱり一緒にいたい」と意識が変わることもある。なので、産んでからもう一回最終的な確認をしてから子どもと離れる決断をされるので、私たちのところに連絡が来るのは、その時点になってから。

 なので、実母さんの中で徐々に大きく育っているという時は我々は知る由がなくて、産まれて、実母さんが決断された時点で、いきなり連絡が来るんです。いろいろな研修を受けて、養親に登録した日から、いつ連絡が来るのかは分からない。その日に来る人もいるし、来ないというパターンもありえる。私たちは登録から半年くらいで連絡があったんですけど、この待ち時間は何とも言えない時間でした。

 そして、その連絡が来たのが去年の6月でした。産まれて4日目の息子と病院で会った時の気持ち、まず思ったのは「この子は、かえさなくていいんだ」ということでした。

 私ももういい歳ですし、周りの友達もほとんど子どもがいるし、事あるごとに一緒に遊んだりはしてきたんです。一日中遊んで、あやして、少しなついてくれたとしても、当たり前ですよ、本当に当たり前なんだけど、その子はお母さんのところに戻っていく。もちろんのもちろんですけど。

 ただ、この子は明日も、明後日も、ずっと私のところにいてくれるんだ。良い悪いは別にして、それがその時にストレートに出てきた本当の思いでした。

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自分は産んでいない

 ウチに来て、今で9カ月くらい。日常としては、本当に普通です。やっていることとしては、養子だからとか、実子だからとか、そこに違いはないので、夜泣きをあやすことも、オムツを換えることも一緒です。親子で川の字になって寝ている時の幸せさも、恐らく一緒やと思います。

 ただ、これは、私が勝手に感じていることではあるんですけど、やっぱり、自分で産んではいない。ということは、私の中で十月十日育ってきたわけではないので、私の声を聞いて、心音を聞いて、出てきたわけではない。

 となると、私は一生懸命話しかけはするけど、赤ちゃんにしたら、知らない人の声となるんだろうなと。あやしていても、私の声をどう判断しているんだろうなと。もし、泣き止んでくれたとしても、ま、赤ちゃんだから、そんなことはないんでしょうけど「この人、一生懸命あやそうとしてくれているから、泣き止まないといけないな」みたいに気を使ってくれているんじゃないか。そんなことも思ったりしていました。とてもリアルな話、最初はそんな思いが常にありました。

それが少しずつ、本当に少しずつ薄れていっている。そんな毎日だと感じています。

日ごと母に

 嬉しかったのは、これは周りの人に言われて気づいたんですけど、3カ月くらい経った頃に「赤ちゃん、目でお母さんを追っているよ」と。何があっても、常に私の方を見ていると。これは、私のことをお母さんだと分かってくれてるんやなと…。

 7カ月くらい経った時からは人見知りをするようにもなってきて、知らない人に抱っこされたら泣くんです。でも、私が抱いたら泣き止む。どこの家でも、そんな時に「この子、やっぱりお母さんは分かるんやね」となるんでしょうけど、ウチはそこにもう一つ思いが乗っかってくるというか…。そんな感じですね(笑)。お母さんになれてるんやなって。

 名前は「一徹(いってつ)」にしました。私たちの団体の場合は、こちらに赤ちゃんが来る前に第一希望、第二希望という感じで、男女の名前を出しておかないといけなかったんです。

 これも正直な思いとして、まだ見ぬ赤ちゃんの名前なので、なんとも具体的な思いが生まれないまま、つけることになる。そんな中だったんですけど、ダンナさんが「一本筋が通って、物事を貫き通す子に育ってほしい」という思いを込めて考えてくれました。ただ、これが実際に会ってみたら、その名前がしっくりくる、本当にピッタリの男の子だった。そこにも、何とも言えない縁を感じました。

実母と会って

 あとね、これもいろいろなパターンがあるし、私たちはまれなケースやと思うんですけど、実母さんの希望で、子どもを引き取りに行った時に、病院で実母さんともお会いしたんです。もちろん、いろいろな事情があって我が子を手放すんですから、そこにはいろいろな思いが複雑に絡み合います。

 なんですけど、お会いして、話を聞いて、実母さんが子どもとは別れてしまうけれども、そして短い数日間だったかもしれないけど、本当に愛情を持っていらっしゃったということを心の底から感じることができました。

 私は、お会いして良かったと思っています。将来、養親には真実告知という義務があって、子どもに対して本当のことを言わないといけないんです。この子と私たちの関係について。物心がついてきて、一徹君にそれを伝える日が来た時、別れたけど実母さんが本当に愛情を持ってらっしゃったということを人づての話ではなく、自分の言葉として伝えることができる。自信を持って言い切れる。なので、お会いして本当に良かったと思います。

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育っていく息子へ

 もちろん、そんなパターンばかりでもないでしょうし、ケースごとに事情も違う。なので、一概には全く言えませんが、私は強くそう思っています。真実告知、これは養親になった時から、ずっと頭から離れないこと。ウチのこれからの大きな課題です。ま、ウチだけじゃなく、皆さん、悩むところですけどね(笑)。

 どんな子に育ってほしいかですか?これも本当に普通なんですけど、人の気持ちが分かる、優しい子に育ってくれれば、それで十分、十二分です。それ以外のことは本当に望まないです。

 …あ、でも、これはあくまでも、こちらの思いです。その中で、一つあるとするならば、言っても、私たちは血のつながらない家族です。なので、できれば、できれば、そこを前向きにとらえられるような子になってほしい。そうなったら、私たちとしては一番ありがたいなと。そこが一番難しいのかなとも思いますけどね。ただ、もし、そこを前向きにとらえられる子に育ってくれたら、社会に出てどんなことにも前向きな子になってくれるんじゃないかとも思っています。どこまでも、こちらの勝手な思いですけどね(笑)。

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(撮影・中西正男)

■武内由紀子(たけうち・ゆきこ)

1973年3月19日生まれ。大阪府出身。93年「大阪パフォーマンスドール」(OPD)のリーダーとしてデビュー。OPD解散後は女優業や司会業に取り組む。2001年に一般男性と結婚したが、07年に離婚。13年、7歳下のパン職人の男性と再婚した。昨年6月、特別養子縁組制度で長男・一徹君の母親となる。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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