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酒井藍、新喜劇に恋して、恋して、初の女性座長に!

中西正男芸能記者
吉本新喜劇初の女性座長となる酒井藍

吉本新喜劇58年の歴史の中で、初の女性座長に就任が決まった酒井藍さん(30)。就任は7月26日付で、その日から大阪・なんばグランド花月で行われる座長就任記念興行がお披露目の場となります。内場勝則さん、辻本茂雄さん、川畑泰史さん、小籔千豊さん、すっちーさんに続く6人目の座長。1999年に現行の座長制になってからは最年少の座長就任ともなりますが「謙遜でもなんでもなく、ホンマに、ホンマに、皆さんに支えてもらって、教えてもらってのことなんです」と大きな体をすくめて話しました。

小籔兄さんはおとりだった

座長就任の連絡をもらったのは5月10日、私がなんばグランド花月で単独イベントをさせてもらった日でした。イベントが終わって打ち上げをしている時に、吉本興業の社員さんから「小籔さんから話があるので、打ち上げ終わりに来てもらえませんか」と言われたんです。

確かに、小籔兄さんには単独イベントのことで相談もさせてもらっていたので、そのことかなと思って、吉本本社の会議室に行ったら、小籔兄さんどころか誰もいないんです。「…え、これ、ナニ?」と思っていたら、そこに新喜劇担当の一番の偉い社員さんが来られて座長の話を言ってもらいました。結局、小籔兄さんはおとりやったんですけど(笑)、実際、その日、小籔兄さんはすぐ横の会議室で打ち合わせをされてはいたんです。私が単独イベントのことで相談をしていた流れがあったのも事実だし、社員さんもとても気を遣って、巧妙なウソを考えてくださったんだなと。それはそれで、なんともうれしいことでした。

一度だけ気の迷いがあった

2007年に新喜劇にオーディションで入って、今で10年。座長ということを意識しだしたのは2年前くらいやと思います。新喜劇が好きで、好きで、好きで、入った。そして、幸運にも辻本兄さんとか、小籔兄さんとか、須知(すっちー)兄さんがやっている一番ボケる役、通称・いちボケの役割もやらせてもらえるようになってきた。もっと、もっと、大好きな新喜劇にたくさん、深く、関わっていきたい。そうなると、次は座長ということになってくる。そんな流れで、おぼろげながら、座長ということもアタマの中にはありました。

そもそも、私は小さな頃から新喜劇が大好きで、ホンマに、ズーッと新喜劇に入りたかったんです。最初に意識したのは保育園の時。テレビを見ていても「この新喜劇の中に自分が入ったら、どうなるんやろう」という目線でした。そこまで新喜劇に恋した理由、まずは何より見ていて楽しい。そして、その中で切なかったり、悲しかったりする場面もあるけど、最後はみんなが朗らかになる。その世界が好きやったんです。

小学校に入ってからは、新喜劇を将来の仕事としてずっと定めてきたんですけど、一度だけ、気の迷いがあったのが「モーニング娘。」さんのオーディションを知った時でした。私が中学1年の時やったんですけど、直感的に「受けたい!!」と思ったんです。ただ、奈良の田舎にいたらどうやって応募にこぎつけたらいいのかも分からなかったし、奈良から「モーニング娘。」に受かるという感覚もなかったので、なんとなく応募せずにやり過ごしていたら、受かったのが加護亜依ちゃんやったんです。同じ奈良、そして同じ“あい”。うわ、もうこんだけかぶったら自分が「モーニング娘。」に行く道は途絶えたと思って、踏ん切りをつけました(笑)。

目標がブレることはなかった

高校3年の時にはもっと具体的に新喜劇のことを考えていたんですけど、両親は新喜劇に入ることは大反対でした。だから、自分なりに綿密な作戦を立てたんです。まず、大学に行ったら、新喜劇に入るまで4年遠回りすることになるし、その間は授業料も払うことになる。なので、働こうと。そして、働くならば公務員くらい堅い職業に就いて、親が安心したところでスッとスキをつこうと(笑)。そんな考えから、1年勉強して奈良県警に入ったんです。もちろん、警察の仕事も本当に意義のある仕事だし、大事な仕事やし、同期にも恵まれていたんですけど、それでも、やっぱり目標がブレることはありませんでした。

私は事務職で警察に入ったんですけど、警察学校に入っている間は毎朝走るんです。盾を持って(笑)。「私は新喜劇に入りたいのに、なんで盾持って走ってるねん…」とも思いましたけど、そこで一生懸命やったことは無駄ではなかったなと今は思います。ただ、警察学校では毎日机に向かって、走る訓練がなくなるように“雨降れ”という文字と“新喜劇に入る”という文字ばっかりノートに書いてました。

そこから1年半ほど働いた頃、新喜劇のオーディションの時期になったんです。そこでも家族は反対でしたけど、父親が「そんなに簡単に受かるわけないやろ!!ウソやと思うんやったら、いっぺん受けてみろ!!」と言ったことがきっかけで受けることになり、幸運なことに受かった。父親としては「自分が言ってしまったことやしなぁ…。まさか受かるとは…」という感じで、なんとなく認めてくれた感じでした(笑)。

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大変なところに来たな

ただ、憧れに憧れて入った世界でしたけど、中に入ると、驚きの連続でした。今まで“お客さん”として見ている時は、ただただ楽しい世界やと思っていましたけど、ま、当然と言えば当然なんですけど「その裏で、皆さんこんなに考えてるんや」と。恋い焦がれて入ったけど、自分の考えが甘かったとすぐに思いました。

たとえば、舞台に出だした頃、これはすごくありがたいことなんですけど、小籔兄さんが座長の時は私のセリフのところは空欄にしていただいていたんです。よく新喜劇の冒頭とかで若手が何人か出てきて軽くボケるみたいな場面があるんですけど、私のボケは台本のセリフではなく、自分で考えてやりなさいと。たった1ヵ所のボケだけでも悩みに悩むわけです。「何を言ったらいいんだろう」「どんな言い方で言ったらいいんだろう」と。私はそこだけで右往左往しているのに、皆さんはあらゆるボケを考え、瞬時に対応もされる。これは大変なところに来たなと思いました。

先輩たちに手取り足取り…

ただ、私は本当に恵まれていて、いい先輩が身近にいらっしゃった。言うまでもなく、内場さん、辻本さんにももちろんお世話になっていますけど、ちょうど私が入ってきたのが、内場さん、辻本さんの下の世代の座長さんが次々と生まれてきた時代。それでも大先輩なんですけど、まだキャリアの近い3座長、川畑兄さん、小籔兄さん、須知兄さんには本当に手取り足取り教えていただきました。

初めてNGKに出していただいたのは川畑兄さんの新喜劇やったんですけど、最初に言っていただいたのは「自分から攻めていくデブキャラになりや」ということでした。イジられるのを待つのではなく、自分から出ていく。この感覚を最初から意識することができたのは大きかったなと思います。それと、川畑兄さんは台本作りがすごい。お話を論理的に組み立てる力と言いますか。それをいろいろな場面で教えてもらった。座長になると、自分が中心になって台本を作っていくんですけど、その感覚を入った当初から持たせてもらったのはありがたいことやったなと思います。

須知兄さんとはペアというか、2人一緒に出ることも多かったんですけど、瞬発力を学ばせてもらいました。須知さんはとりわけパワフルというか、ここやというところでパーンと出るダッシュ力がすごい。それを横で見せてもらっていたのは本当に財産です。あと、姿勢の問題というか、たとえば、一緒に出ていて、その日にやったノリがすごくウケたとしますよね。そうなったら、須知兄さんは「藍ちゃん、次は別のことやるように考えような」とおっしゃるんです。普通はウケたらそこにしがみつくというか、またそれをやりにかかると思うんですけど、それをスッと捨てて新しいことを考える。それをすると、周りから見ると「あ、この子はどんどん新たなものを生み出そうとする子やねんな」となる。そういった、いろいろな“見せ方”を教えてもらいました。

そして、小籔兄さん。須知兄さんを“動のボケ”やとしたら、小籔兄さんは“静のボケ”。弓を引いて、引いて、最後にバッと離すというか。須知兄さんとは対照的なやり方を教えてもらいましたし、小籔兄さんには、まさに公私ともにお世話になっています。私が初めて一人暮らしをする時に担当になったのが、あまりよくない不動産業者さんだったようで、本来振り込む必要のないお金をどんどん振り込ませようとする。でも、私は初めてのことだったんで言われるがままにしていたら、私が業者さんと電話で話しているところに小籔兄さんが来て、電話を替わったかと思ったら、あっという間に論破して翌日にお金が戻ってきました。業者を論破する力を私にはすごく優しく使っていただいて(笑)、どんなことでもとても分かりやすく日々教えてもらっています。

モデルボディーで舞台に立つ!?

これは、謙虚に言ってるんでもなんでもなく、私は本当に皆さんに支えてもらって、座長という流れをいただいた。それがホンマの、ホンマの事実なんです。だからこそ、皆さんに恩返しをしないとダメですし、何より、今まで以上にお客さまに楽しんでもらえるように一生懸命頑張らないといけない。

まずは7月のお披露目の公演ですよね。そこでベストの公演ができるように、今からできる準備はやっておかないといけません。座長は出ずっぱりのことが多いですし、それを1日3公演とかやるわけですから、私の場合は、ヒザが悲鳴を上げないように体を作っておかないといけません。なので、少し前からご飯を玄米に変えました。あとは水を毎日たくさん飲み、朝にはスムージーを作り、今はスーパーモデルのような生活をしています(笑)。今のところ、目立った変化はないですけど、お披露目の頃にはモデルボディーで舞台に立っているはずです。

■酒井藍(さかい・あい)

1986年9月10日生まれ。奈良県磯城郡田原本町出身。高校卒業後、専門学校を経て奈良県警で交通課の窓口業務をしていた。2007年、吉本新喜劇の「第3個目金の卵オーディション」に合格し、奈良県警を退職し吉本新喜劇入り。公称100キロの体格を活かした「ブーブー。ブーブー。私、人間ですねん」などのフレーズと人懐こいキャラクターで一躍人気者に。2017年7月26日に吉本新喜劇初の女性座長に就任することが発表された。30歳での座長就任は1999年に座長制度が導入されて以降、吉田ヒロと小籔千豊が就任した時の32歳を超える最年少記録となった。MBSテレビ「ちちんぷいぷい」、関西テレビ「よ~いドン!」などに出演中。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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