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百貨店が「百貨店」でなくなる日~帯広、立川、甲府をつなぐもの

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
立川高島屋ショッピングセンターの百貨店区画は1月末で営業終了(画像・筆者撮影)

立川高島屋の百貨店区域、1月31日で営業終了

 多摩モノレールが開通し、発展してきた立川駅。周辺地域かのら集客力を高め、ショッピングの場としても発展してきた。

 立川駅周辺には、立川高島屋ショッピングセンターと伊勢丹立川店の二つの百貨店がああり、駅直結のエキュート、ルミネ、グランデュオと大型商業施設もある。

 多くの通勤客、通学客、買い物客に溢れる立川駅前だが、立川高島屋ショッピングセンターの百貨店区域が、1月末で営業を終了する。立川高島屋が立川駅前に開業したのは1970年。1995年に、現在の建物に移転した。

 コロナ禍前の2018年10月に百貨店区域を縮小し、専門店を増やし、名称も立川高島屋ショッピングセンターと改称した。今回、直営をしてきた化粧品や婦人服、さらに食料品などの売り場の営業を終了させる。「立川には、伊勢丹もあるし、駅のショッピングビルも充実している。高島屋は改装してから、中途半端な印象があった」と50歳代の女性会社員は、そう話す。

 事実上、百貨店としての営業が終了し、商業テナントビルとして再出発することになる。

帯広市の藤丸に隣接する商店街。(画像・筆者撮影)
帯広市の藤丸に隣接する商店街。(画像・筆者撮影)

道内最後の地元資本百貨店は「三十貨店」へ

 明日31日営業を終了するのは、北海道にもある。道内最後の地元資本百貨店となっていた藤丸だ。

 帯広市の中心街に位置する藤丸は、1900年(明治33年)創業の老舗であり、1930年(昭和5年)に現店舗の場所に百貨店を開業した。1982年に現店舗である「ふじまるビル」で開業した。しかし、バブル経済の崩壊後、売り上げが悪化し、昨年2022年夏には自力再建を断念し、私的整理による事業再生の検討に入ると発表した。

 その後、異業種である地元の自動車販売会社の村松ホールディングスとベンチャー企業のそらの両社が、藤丸の屋号や建物を引き継ぎ、新商業施設の開業をすると発表した。両社の発表によれば、閉店した後に建物の耐震化工事を行い、今年、2023年12月にも営業再開の見込みとなっている。

 村松ホールディングスの村松一樹社長は、1月になってマスコミの取材に対して、営業再開後には取り扱い商品群を絞り込む戦略を採り、「三十貨店にする」と述べた。

山交百貨店は2019年9月30日に閉店し、跡地にはヨドバシカメラが出店した。(画像・筆者)
山交百貨店は2019年9月30日に閉店し、跡地にはヨドバシカメラが出店した。(画像・筆者)

移転後は売り場面積が7分の1に

 甲府市の岡島百貨店を運営する岡島は、江戸時代の1843年(天保14年)の創業だ。1938年(昭和13年)には、現在地に地上5階の大型店舗を建設し、岡島百貨店として開業した。

 その後、駅前の山交百貨店とともに甲府市の中心市街地の集客力を牽引してきた。しかし、両百貨店ともにバブル経済崩壊後に経営が悪化し、山交百貨店は2019年9月30日に閉店した。山交百貨店跡には、2021年4月にヨドバシカメラが出店、さらに2022年12月には、スーパーマーケットのロピアが山梨初出店している。

 岡島百貨店は、現店舗での営業を2023年2月14日で終了し、3月3日からは近隣の再開発ビル「ココリ」に縮小移転する。現店舗の売り場面積は約3万平方メートルに対して、移転先では約4千500平方メートルと7分の1と大幅に縮小することになる。

旭川駅前に2015年に開業したイオンモール旭川駅前は駅に直結している。(画像・筆者)
旭川駅前に2015年に開業したイオンモール旭川駅前は駅に直結している。(画像・筆者)

〇〇さんと親しまれた百貨店の衰退

 帯広市と甲府市は地方都市であり、一方で立川市は首都圏の郊外都市と、状況は大きく異なっている。しかし、百貨店が追い詰めらえてきた原因は、類似した点が多い。

 20年ほど前まで、地方都市に行くと、特に高齢者の方たちは地元百貨店のことを、「〇〇さん」と親しみを込めて呼んでいた。「〇〇さんで売っているものは、やっぱり他と違う」、「贈答品やお使い物は、○○さんの包装紙じゃないと」と言ったことを、かつては耳にしたものだ。

 しかし、郊外型の大型ショッピングモールの進出が相次ぎ、中心市街地の集客力が減退していった。さらに、こうしたショッピングモールには、高級ブランドを扱う専門店や、高級食材や輸入食材などを扱う専門店など、それまで百貨店でしか入手できなかった商品を扱う店舗が出店した。

 一方、百貨店側は老朽化した建物の改修ができず、さらに呉服や美術品などを強みとしてきたために業態転換も後手に回った。富裕層やインバウンド客の需要を取り込めた大都市圏の百貨店とは異なり、地方都市の百貨店は、経営改善のきっかけをつかめないままとなった。

 

 かつて地方都市の百貨店を支えてきた高齢者層が鬼籍に入り、次第に「〇〇さん」に価値を見出す層が消失していった。贈答品やぜいたく品を購入するのも、大型ショッピングモールや専門店、さらにネット通販を利用する人たちが増加するにしたがって、百貨店の顧客が奪われていった。

変わる百貨店

 2015年に開業したイオンモール旭川駅前は、JR旭川駅に直結している。駅に直結している利便性から、学生から高齢者まで利用者層も多岐に及び、約130店ある専門店も、いったん旭川市内から撤退したマクドナルドが復活出店、さらに高級チョコレート店のゴディバの出店などテナントの新規出店も続いている。さらに、やはり7年前に撤退したロフトが、3月にイオンモールに再出店する。

 「かつての百貨店のような高級感は無いですが、ちょっとしたプレゼントや贅沢なものも専門店でありますから、百貨店の代わりとまでは言いませんが、充分なんじゃないですか。」旭川市に在住する40歳代の会社員の男性は、そう話してくれた。

 地方都市や大都市近郊の百貨店の経営が困難になっていく一方で、かつて百貨店が担っていた役割を、ショッピングモールや専門店が代替しつつある。大都市近郊では、鉄道会社が駅の再開発を行い、駅そのものが巨大なショッピングモールと化している。

 こうした状況の中で、地方の百貨店の存続は難しく、さらなる閉店や廃業が続く可能性が高い。一方で、地方百貨店を存続させるために、帯広市の藤丸のように地元資本企業が中心となって新たな取り組みも出てきている。

 首都圏の百貨店でも、直営からテナント中心に転換する動きが出ている。一方で、扱い商品を根本から見直し、これまでの呉服、美術品などを切り捨て、規模の縮小にも取り組む動きも出ている。どの戦略が正しいのかは、簡単に判断することは難しい。

 以前、ある撤退した百貨店の経営幹部が、「これまでの経営手法やプライドに固執した保守的な発想が、自らの首を絞めたことは確か。しかし、地方経済の衰退がここまで影響するとは思わなかった」と筆者に話した。地方百貨店の衰退は、地域経済の衰退の現れでもあるとするならば、百貨店の閉店、縮小は地方の商業のあり方、街のあり方を問い直すきっかけと捉えるべきだろう。

 

 

 

 

神戸国際大学経済学部教授

1964年生まれ。上智大学を卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、山形県川西町総合計画アドバイザー、山形県地域コミュニティ支援アドバイザー、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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