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「くまのプーさん」が幼児向け銃乱射対処マニュアルに登場――米テキサス州の波紋

六辻彰二国際政治学者
1926年に描かれたプーさんの原画(1996.12.6)(写真:ロイター/アフロ)
  • スクール・シューティングの発生件数が全米屈指のテキサス州で、教育局が幼児向けに、「プーさん」をあしらった銃乱射対応マニュアルを配布した。
  • 内容とイラストのギャップの大きさに、保護者からは戸惑いや批判が噴出している。
  • テキサス州議会で銃規制強化の法案が成立しなかった直後のタイミングだったことも、「プーさんのマニュアルで済ませようというか」という不満を呼んだと見られる。

 無差別殺傷からどうやって子どもを守るか。アメリカでも銃犯罪多発地域であるテキサスの取り組みは、日本の反面教師になる。

「逃げろ、隠れろ、戦え」

 アメリカのテキサス州では幼児向けに配布された銃乱射対処マニュアル‘Stay Safe’が物議をかもしている。

 このマニュアルが全編「くまのプーさん」のイラストで説明されているからだ(ディズニー版ではなく原作のイラスト。原作は2022年1月に著作権が期限を迎えて失効した)。

 このマニュアルのキャッチフレーズは「逃げろ、隠れろ、戦え(Run, Hide, Fight)」。これはFBI(連邦捜査局)も銃乱射対処マニュアルで推奨しているもので、「見つかりにくくするために明かりを消す」、「携帯電話が鳴らないように音を消す」など内容には具体的なポイントもある。

 アメリカではもともと銃犯罪が多いが、この数年で急激な増加傾向をみせている。それに比例して、職場や出先などで銃乱射に遭遇した時のマニュアルの需要も高まっている。

 とはいえ、全年齢を対象にした内容が幼児に適応できるかは疑問もある。ポイントを一つずつ見ていこう。

 まず「逃げろ」に関しては、プーさんの友だち、ラビットのイラストの脇に「もし離れた方が安全なら、その場にとどまらないで、ラビットみたいに走らないといけません」とある。これだけなら不思議はない。

 しかし、次の「隠れろ」の部分では、プーさんがハチミツのツボに頭を突っ込んだり、あるいは逆に大きなハチミツのツボに体を入れたりしているイラストの脇に、「危険が近くても怖がってはいけない。警官が来るまで、プーさんがしているみたいに隠れなさい」とある。

 この時点で、悪意をもって子どもに迫る人間がいる、という想定のないプーさんの世界観とのギャップに違和感を感じざるを得ない。

自己責任はどこまで

 この違和感は最後の「戦え」になるとさらに際立ってくる。

21人が殺害されたテキサス州ユバルディの銃乱射事件の現場となった小学校で、犠牲者の名前の書かれた十字架の前に立つ警察官(2022.5.26)。ユバルディ事件は全米に大きな衝撃を与えた。
21人が殺害されたテキサス州ユバルディの銃乱射事件の現場となった小学校で、犠牲者の名前の書かれた十字架の前に立つ警察官(2022.5.26)。ユバルディ事件は全米に大きな衝撃を与えた。写真:ロイター/アフロ

 プーさんの友だち、カンガルーのカンガとルーの親子がボクシンググローブをつけたイラストの脇に、「もし危険が目の前にあったら、その場にいないで逃げなさい。それができないなら、全力で戦わないといけません」とあるのだ。

 このマニュアルは保護者が幼児に読み聞かせ、銃犯罪への対応を話し合うことを想定している。

 しかし、よほどのサバイバリストか武道家でもない限り、未就学のわが子に「いざとなったら全力で戦え、たとえ相手が銃で武装していても」と教えられるだろうか。アメリカでは自己責任の観念が総じて強いといっても、ここまでくると行き過ぎだろう。

 米ABCの取材に応じた母親は、「こんな可愛い本で、全く可愛くない話を、夜の読み聞かせでするのは無理」と述べたうえで、5歳の息子がこのマニュアルを幼稚園から喜んで持って帰ってきて読むのをせがんだ時、配布した側のあまりの「トンチンカンぶり」に泣いてしまったと告白している。

母国イギリスで発行されたプーさんの切手(2010.10.11)。1926年の発表以来、プーさんは世界中の子どもに愛されてきた。
母国イギリスで発行されたプーさんの切手(2010.10.11)。1926年の発表以来、プーさんは世界中の子どもに愛されてきた。写真:Shutterstock/アフロ

ナーバスな保護者への配慮なしの配布

 このマニュアルが物議をかもした根本的な原因は、プーさんの世界観と啓発内容のギャップが大きすぎることだが、そこにいくつかの条件が重なって保護者の不興を招いた。

 第一に、この疑問の多いマニュアルが、事前告知なしに配布されたことだ

 このマニュアルは民間のセキュリティコンサルタントが作成し、テキサス州ダラスの教育局が幼稚園などを通じて配布した。子どもが持ち帰り、それを初めてみて仰天した保護者がSNSで拡散したことで表面化したのだ。

 もともとテキサスは全米でも銃犯罪の多い州の一つで、とりわけ学校や幼稚園などを標的にした、いわゆるスクール・シューティングの多さが目立つ。

ガン・バイオレンス・アーカイブによると、2023年に入ってから5月末までのスクール・シューティングは全米で594件(ほとんどが死傷者がゼロ、あるいは予告だけの未遂)だったが、このうちテキサス州のものは全体の10%近くに当たる56件を占めた。

 つまり、テキサスでは子どもの安全に保護者がとりわけナーバスになっているとみてよい。だからこそ丁寧な対応が求められるはずだが、違和感を招きやすいマニュアルであるだけに、事前の予告なしにいきなり配布されたことが保護者の神経を逆撫でしたと言わざるを得ない。

 ABCの取材に応じた先の母親も、マニュアルの意図するものに反対なのではなく、やり方をもっと考えて欲しかったと訴えている。

 後日ダラス教育局は、案内や意図を保護者に伝えていなかったことに関しては、不備を認めて謝罪した

なぜこのタイミングか?

 第二に、タイミングの悪さもあった。

ユバルディ事件から1年の日に追悼セレモニーに出席したバイデン大統領夫妻(2023.5.24)。この日、全米各地で追悼セレモニーが行われた。
ユバルディ事件から1年の日に追悼セレモニーに出席したバイデン大統領夫妻(2023.5.24)。この日、全米各地で追悼セレモニーが行われた。写真:ロイター/アフロ

 プーさんのマニュアルは5月の第3週から第4週にかけて順次配布されたが、これはちょうど昨年5月24日、メキシコ国境に近い街ユバルディで小学校が銃撃され、19人の生徒を含む21人が殺害された事件から1年の日を目前にしたタイミングでもあった。

 おまけに、マニュアル配布が始まる直前の5月半ばにテキサス州議会は、銃所持の年齢制限を18歳から21に引き上げる法案を反対多数で否決していた

 この法案はユバルディ事件の被害者の遺族などが要望していたもので、その否決もやはり多くの保護者の不信感を招いていたとみられる。

 銃犯罪が多いことに比例して、テキサスは銃規制が全米でもとりわけ緩い州の一つで、殺傷能力の高いセミオートマティックライフルAR-15なども保有できる。ユバルディ事件では18歳の若者がAR-15を乱射した。

武器の展示会に飾られたAR-15(2013.3.12)。
武器の展示会に飾られたAR-15(2013.3.12)。写真:ロイター/アフロ

 南北戦争の歴史もあり、アメリカ南部には合衆国憲法第2条に認められた「個人が武装する権利」を重視する傾向が強い。とりわけテキサスにはそれが強く、州議会の過半数の議席を銃規制に消極的な共和党議員が占めている。

 共和党とその支持者には「悪いのは銃ではなく精神疾患」といった論調が目立ち、銃規制よりメンタル面に不調を抱える患者への支援や、学校の防犯対策強化などに重点を置いている。ユバルディ事件の犯人もメンタル面での不調を抱えていたといわれる。

 とはいえ、アメリカでは民間人100人あたり平均120丁以上の銃が普及しており、これは内戦の続く中東イエメンの2倍以上の水準だ。テキサスの水準はアメリカ平均よりさらに高いとみてよい。

 中東の紛争地帯を上回るほど銃が蔓延するなかで「銃乱射対策の本丸」である銃規制がほとんど進まず、ほぼ同じタイミングでプーさんのマニュアルが配布されたとなると、保護者の目にはただ公的機関の「仕事やってますアピール」と映っても不思議ではない。

スタンドプレーはいらない

 日本に目を転じると、アメリカと違って銃器を使った事件は少ないものの、それでも2019年5月に川崎市でスクールバスを待っていた小学生ら20人が殺傷された事件など、子どもを標的にした無差別殺傷事件は目立つ。

 これに対処するには家庭だけでは無理があり、学校や行政、警察、地域の協力が欠かせないことはもちろんだが、そこで重要なのは相互のコミュニケーションと信頼関係だろう。

 テキサスの場合、教育局のスタンドプレーや議員の党派的イデオロギーがそれぞれ先行して体系的な取り組みにならなかった。それは保護者の不安を汲みとった対策が取られていないという不信感を高め、家庭の不安と孤独感をさらに助長したといえる。

 幸い日本の場合、各種の普及啓発パンフレットなどにアニメのキャラクターなどが用いられることは珍しくないものの、テキサスほどのスタンドプレーはないようだ。

 しかし、それでもテキサスの事例は日本の関係者にとって、段取りやタイミングにも顧慮しないまま「子どもが好きなものさえ配れば」式の安易な発想はしない方がいい、といった意味での反面教師にはなるのかもしれない。悪意ある大人がいることを幼児に教えるのはファンタジーの住人には似つかわしくない仕事で、むしろ大人が果たすべき務めなのだから。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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