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9.11から20年――アメリカをむしばむビン・ラディンの呪いとは

六辻彰二国際政治学者
NY世界貿易センタービルに突っ込む旅客機と炎上するビル(2001.9.11)(写真:ロイター/アフロ)
  • 9.11の衝撃は社会の分断とヘイトクライムの急増を招き、それはかえってイスラーム過激派によるテロを増やすものでもあった。
  • これに加えて、対テロ戦争の泥沼化はアメリカ人の政府に対する信頼を失わせ、陰謀論によって立つ白人極右の台頭も促した。
  • こうした背景のもとで登場したトランプ前大統領は、ビン・ラディンによってエスコートされたといえる。

 世界を震撼させたアメリカ同時多発テロ事件から20年。オサマ・ビン・ラディンの呪いはアメリカを今も縛り続けている。

対テロ戦争の幕引き

 2001年の同時多発テロ事件から20周年に合わせて、アメリカはアフガニスタンだけでなくイラクからの撤退も進めている。オバマ政権以来、トランプ、バイデンの歴代政権は対テロ戦争の幕引きを図ってきたが、海外からの部隊撤退はそのシンボルともいえる。

 しかし、それでもアメリカから対テロ戦争の影は消えない。

 アメリカの心臓部が狙われ、約3000人の犠牲者を出した9.11とその後の歴史を振り返って、ジョージタウン大学のブルース・ホフマン博士は「残念だが、我々はこれまでより安全でなくなっているというのが悲しい真実であり、皮肉なことだ」と総括しているが、筆者もほぼ同じ意見である。

 なぜアメリカは安全でなくなっているのか。そこにはオサマ・ビン・ラディンの呪いがある。

ビン・ラディンの呪い

 ビン・ラディンは国際テロ組織アルカイダを率い、9.11を指導したことで世界最大のお尋ね者になったが、2011年5月に潜伏先のパキスタンで米軍に殺害された。

 しかし、その死後もビン・ラディンの亡霊はアメリカを覆っている。

 ここでいうビン・ラディンの呪いには、大きく二つの顔がある。第一に、9.11がアメリカの分断を大きくしたことだ。

 2016年にピュー・リサーチ・センター(PRC)が行なった調査によると、「あなたが生きてきた時代のなかで、アメリカに最も大きなインパクトを与えた出来事は」という質問にアメリカ人の76%が「9.11」と回答した。これは「オバマ当選」(40%)や「ベトナム戦争」(20%)を大きく上回る第1位で、直接知らない若い世代を除くと、その衝撃の大きさを物語る。

 そのインパクトが大きかっただけに、9.11後のアメリカではムスリムへの偏見や差別が広がった。

 「イスラームは他の宗教より暴力的」という見方は、9.11の翌2002年段階ではアメリカ人の約25%にとどまったが、対テロ戦争が泥沼化するにつれてその割合は上昇し、今年5月の段階では50%にまで至った(PRC)。

 こうした反応は市民レベルだけでなく、政府レベルでも同様だ。アメリカでは2001年以降、FBI などによるムスリム系市民や政治活動への監視が増え、違法な電話盗聴などが行われることも珍しくなかった。

 こうした公式、非公式の差別は、ムスリムに対するヘイトクライムの温床になってきたのである。

差別か、治安対策か

 ムスリムへの差別と偏見は、結果的にアメリカの安全をさらに脅かすことになった。差別や偏見にムスリムが反感と疎外感を募らせ、これがアメリカ内外でイスラーム過激派のさらなるテロを生む悪循環に陥ったからだ。

 2013年に発生したボストン・マラソン爆破テロ事件や、2014年に「建国」を宣言した「イスラーム国(IS)」に数多くのアメリカ人が参加したことは、その象徴である。

 このようにアメリカ社会に疑心暗鬼と相互不信が渦巻く状況は、アフガンやイラクから撤退しても、急に大きく変化するとはいえない。

 そのうえ、ムスリムへの差別はムスリム以外のアメリカ人の分断も加速させてきた。

 先述のように、「イスラームは他の宗教より暴力的」という見方の平均値は50%だったが、このうち民主党支持者だけの平均が32%だったのに対して、共和党支持者のそれは72%にのぼった(PRC)。また、共和党支持者にテロ対策を優先させる傾向が強いのに対して、民主党支持者にはテロ対策の名の下に市民の権利が無制限に制約されることへの拒絶反応が強い。

 つまり、対テロ戦争が長引くにつれ、アメリカ人のなかで党派的な分裂が深まったのであり、この分裂は黒人の権利運動BLMやアジア系ヘイトへの反応にも結びついてきた。そうしたなか、立場の異なる者がお互いを理解しようともしない風潮も広がった。

 要するに、9.11の衝撃はアメリカの内部対立を加熱させ、一体性を失わせてきたといえる。

「アフガンで我々は失敗した」

 そしてもう一つ、ビン・ラディンの呪いと呼べるのが、アメリカ人の政府に対する信頼を引き下げたことだ。

 対テロ戦争の20年間の歴史が示しているのは、神出鬼没のテロ組織を軍事力だけで根絶するのが極めて困難ということだ。

 しかし、9.11に見舞われ、国民の多くが心理的恐慌に陥っていた当時のアメリカでは、この不可能が可能と思われた。実際、9.11直後の調査で「アメリカの軍事力はテロ・ネットワークを破壊できると確信している」という回答は76%にのぼり、「アフガンで軍事活動を行なうことに賛成」は83%にものぼった(PRC)。

 ところが、実際にはそううまくはいかなかった。今年8月の段階で、アメリカ人の69%は「アフガンでの目標をほとんど達成できなかった」と考えている。

信用できない政府

 「できるはず」と思っていた時ほど、できなかった場合のストレスは大きい。一時的に高揚した愛国心のもと、楽観的な見通しでスタートしながら、アフガンやイラクで戦闘が泥沼化し、出口が見えなくなるなか、アメリカは厭戦ムードに覆われた。

 これに拍車をかけたのがリーマンショック(2008)後の経済停滞だった。

 巨額の予算がテロ対策に投じられる一方、国民生活が窮乏するなか、早期撤退を求める声は徐々に大きくなり、2011年には「アフガンからできるだけ早く撤退するべき」(56%)がついに「状況が安定するまで部隊を止めるべき」(39%)を上回った(PRC)。

 対テロ戦争への疑問が高まるにつれ、アメリカ人は外国に部隊を派遣することに消極的になっただけでなく、政府も信頼しなくなった。9.11直後には愛国心の高まりを反映して、「政府を信頼する」と応えたアメリカ人は60%を超えていたが、2005年には早くも31%にまで減少し、さらにリーマンショックが発生した2008年には24%、およそ4人に1人にまで減った(PRC)。この低水準は、現在に至るまで、ほとんど回復していない。

 9.11をきっかけに陥った泥沼は、多くのアメリカ人に「偉大な国」としての誇りをも失わせたといえる。

もう一つのテロの脅威

 こうした「アメリカ社会の分裂」と「政府への不信感」は、やがて一つの形に結実した。トランプ前大統領に象徴される、白人右翼の台頭だ。そして、これはアメリカをさらに不安定にするものだった。

 アメリカにおける白人至上主義には19世紀にさかのぼる古い歴史がある。しかし、対テロ戦争の始まりとその後の停滞、そして連邦政府への不信感の増幅は、人種差別的、反動的な動きを爆発的に増加させるのに十分だったとみてよい。

 その結果、数多くの統計によると、アメリカにおいて白人極右によるテロ事件の方がイスラーム過激派によるものより増加している。例えば、経済平和研究所によると、2019年のアメリカにおけるテロ事件の犠牲者39人のうち34人までが白人極右によるものだった。

 「偉大なアメリカを取り戻す」と叫び、政治家や企業家といったエリートに対する多くの人の不信感を汲み上げたトランプ大統領の登場は、それ自体が対テロ戦争後のアメリカの縮図だったともいえる。言い換えると、トランプ登場の演出家の1人はビン・ラディンだったとさえいえる。

 ただし、トランプの登場がアメリカの分断をさらに深め、党派にかかわらず公権力への不信感を強めたことは確かだ。

 それはアメリカをさらに不面目な事態に追いやった。とりわけ、2020年大統領選挙の結果を「組織的な不公正」と強調するトランプに呼応して、白人極右が連邦議会議事堂を占拠した事件は、多くのメディア、とりわけアメリカメディアでは「暴動」という控えめな言葉で呼ばれたが、アメリカ以外で同じことが発生すれば、もはや「内乱」と呼ばれても仕方ない。

 こうした醜態は、アメリカの国際的なリーダーシップにも疑問符を抱かせるものでもある。中国の台頭に対抗するため、アメリカが自由や民主主義を叫んでも、それを疑わしくさせるからだ。

 こうしてみたとき、9.11がもたらした衝撃は、アメリカを侵食してきたといえる。

 アメリカがビン・ラディンの呪縛から逃れることは容易ではなく、その行方は予断を許さない。しかし、それができない場合、冥土のビン・ラディンを喜ばせることは確かなのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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