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障がい者ヘイトとは何か――「見えない犯罪」は可視化できるか

六辻彰二国際政治学者
車椅子の男性(イメージ)(写真:PantherMedia/イメージマート)

  • ヘイトクライムには障がい者が標的になるものもある
  • 日本では「嫌がらせ」や「暴言」で済まされるものも、最も取り締まりの厳しいイギリスでは懲役などの実刑を受ける可能性がある
  • その一方で、規制が厳しいイギリスの経験は、障がい者ヘイト取り締まりの難しさも浮き彫りにしている 

 憎悪に基づくヘイトクライムは、異なる人種・民族や宗教だけでなく、障がい者もその対象となりつつある。

忌み嫌われる弱者

 コロナ禍は良くも悪くも人間の心のひだを浮き彫りにしているが、その一つが障がい者に対するヘイトクライムの増加だ。

 ヘイトクライムというと人種・民族や宗教に基づくものが知られているが、性的少数者やトランスジェンダー、高齢者などとともに、障がい者もその対象になりやすい。

 歴史上、障がい者の排除を組織的に図ったものとして知られるのがナチスの「安楽死計画」だ。ナチス体制では「ゲルマン人にふさわしい」健康的な肉体が賛美され、それに「不適応な」障がい者は「価値のない生命」とみなされた結果、1933年の遺伝性疾患子孫防止法に基づいて、少なく見積もっても5000人以上が隔離・殺害されたといわれる。これは後のユダヤ人大量虐殺の「リハーサル」となった。

 現代に目を移すと、これほど凄惨でも組織的でもないとしても、「障がい者であること」への憎悪に基づくヘイトクライムは見受けられる。

 北米、ヨーロッパの各国はヘイトクライムに関する共同のデータベースを作成しているが、人種や宗教に基づくものと異なり、ほとんどの国で障がい者ヘイトは公式に記録されていない。その例外ともいえるのがイギリスだ。

 イギリスでは2020年、アジア系へのヘイトクライムが前年比で20%以上増加したが、その一方で障がい者ヘイトも増加しており、統計に残るその件数は昨年はじめて8,000件を突破した(イングランド、ウェールズのみ)。コロナ・ストレスで攻撃的になりやすいなか、社会的マイノリティを「やっかい者」とみなし、忌み嫌う風潮が高まっていることがうかがえる

障がい者ヘイトとは

 イギリスの障がい者ヘイトについて、もう少し細かくみていこう。

 イギリスでこの1年間に発生した障がい者ヘイトのうち、何らかの暴力をともなうものは半数近く(3,628件)で、前年比16%の増加だった。そのなかには、イングランド中部ノーサンプトンの路上で車いす使用者が通りがかりのドライバーに罵られ、車いすを揺さぶられた事件などが含まれる。

 その一方で、物理的暴力をともなわないヘイトスピーチ、嫌がらせ、誹謗中傷、脅迫などが残りの約半数を占める。イギリスの場合、コロナ禍でオンラインでのヘイトクライムが急増しており、発生件数全体の約10%を占め、前年比で46%増加した。そのなかには「障がい者はコロナに感染しやすいのだからワクチンができるまで閉じ込めておくべき」といった風評被害もあった。

 また、障がいのためにマスクをできない患者に、看護師が「あなたのために医療関係者は生命の危険を冒している」と発言したケースなども報告されている。

 こうしてみたとき、日本で「暴言」、「不適切な発言」、「誹謗中傷」といった表現で済まされるものでも、イギリスでは「ヘイトクライム」になり、公式の記録に残る可能性が大きい。だとすると、統計上イギリスで障がい者ヘイトが多いのは、他の国よりヘイトが蔓延しているからというより、他の国より可視化されやすいからといえる。

判断基準は「敵意」の有無

 こうしたヘイトクライムは、イギリスでは法的に規制されている。2003年に成立した刑法146条では、人種や宗教などに基づくものだけでなく、性的少数者、トランスジェンダーとともに障がい者に「敵意をみせる(誹謗中傷、いじめ、脅迫など)」ことや、「敵意に基づく攻撃(盲導犬を含む障がい者の資産への攻撃、身体的暴行、性的暴行など)」が全てヘイトクライムになり得る。

 ポイントは「敵意」だ。例えば、視覚障がい者を「狙いやすい標的」と捉えてモノを盗んだ場合、そこに「敵意」を見出せなければ、普通の窃盗と扱われる。このように「敵意」の有無が識別基準になる点では、障がい者以外へのヘイトクライムについても同じだ。

 警察の捜査や裁判で「敵意」が認定されれば、実刑が待っている。例えば、障がい者への嫌がらせなどは最長2年の懲役か罰金(あるいは両方)、暴力的な威嚇などは最長14年の懲役か罰金となる。

 ただし、加害者の特定が難しい場合もあるため、検挙に至るケースは決して多くない。2019/20年の統計でいうと、加害者が検挙されたのは全体の1.6%にとどまった。

 さらに、公式の統計に記録されているものが全てというわけでもない。被害者がいわば泣き寝入りするケースが少なくないからだ。イギリスの障がい者団体Disability Horizonsが196人を対象に行った調査によると、105人(53%)が過去3年間に何らかのヘイトクライムを経験したと回答しているが、このうち「その場の責任者に通報した」は21%、「警察に通報した」は19%にとどまり、最も多かったのは「通報しなかった」の56%だった。

法的な規制が世界で最も厳しい国の一つであるイギリスの状況は、むしろ障がい者に対するヘイトクライムの取り締まりの難しさを浮き彫りにしている

日本への教訓

 とはいえ、イギリスの取り組みはヘイトを「個人の問題」に矮小化せず、社会問題として正面から対応しようとするもので、「そんなものはない」と言い張るだけよりよほど透明性が高い。

 日本の場合、ヘイトスピーチ対策法では「本邦外出身者」かつ「適法に居住する者」に対する差別的言動のみが禁止対象になっていて、難民申請者や国内出身者だけでなく、性的少数者や障がい者は度外視されている。

 この限定的な法令でさえ、日本では「差別がない、少なくとも深刻なものではない」という暗黙の前提があったため、2016年にようやく成立した。ヘイトクライムのデータベース化などは望むべくもない。

 しかし、日本でも障がい者への差別・偏見は絶えない。

 その象徴は、2016年に相模原市の知的障がい者福祉施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害され、26人が負傷した事件だ。この事件の裁判で植松受刑者は「障がい者の排除」を正当化し続けた(2020年に死刑が確定)が、そこには偏見や差別という枠に収まらない憎悪をうかがえる。実際、この事件は海外で「ヘイトクライム」「テロ」と報じられた。

 これほど明白に障がい者への憎悪を示す者は多くないだろう。しかし、交通機関などで障がい者が「やっかい者」として嫌がらせや暴言の標的となることはしばしばある。また、厚生労働省によると、障がい者の虐待は年間2000人前後が通報されている。さらに、昨年からはコロナのストレスによる虐待も報告されている。

 施設などでの虐待の加害者が「言うことを聞かないので腹が立った」といった言い分はよく聞くものだ。こうした事件は「特定の個人に対する一時的な怒り」によるのかもしれない。しかし、心理学者マリアーナ・ポゴシャン博士によると、恒常的な「怒り」は「憎悪」になりやすく、その場合は「個人が何をしたか」ではなく「特定の属性であること」自体が標的になる。いわば怒りは個人の感情だがヘイトは社会的な現象といえる。

 これに根本的に対応するのであれば、臭いものにフタをするのではなく、実態を可視化することの方がはるかに重要だろう。その意味で、障がい者ヘイトに正面から向き合おうとするイギリスの経験は、日本を含む各国にとっての教訓ともいえる。

 何かと話題の東京五輪だが、もし本気でレガシーを残したいなら、これをきっかけにより包括的なヘイト規制に乗り出してもいいと思うのだが。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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