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「死ぬ用意はできている」――なぜエチオピア少数民族は絶望的な戦いに向かうか

六辻彰二国際政治学者
エチオピアの難民(写真:ロイター/アフロ)

  • アフリカ北東部のエチオピアでは少数民族ティグライとエチオピア軍の戦闘がドロ沼化している
  • ティグライ人の武装組織は、圧倒的な戦力差があるにもかかわらず、政府の降伏の呼びかけも無視してきた
  • ティグライにとっては降伏が「反体制派」の烙印を受け入れることになり、それを拒絶して絶望的な戦いを続けているといえる

 絶望的なまでの戦力差があるにもかかわらず、少数民族ティグライがエチオピア軍に抵抗を続ける背景には、「反体制派」の汚名を着せられることへの拒絶があり、その構図には幕末の戊辰戦争に通じるものがある。

エチオピア政府の勝利宣言

 アフリカ北東部のエチオピアでは11月28日、同国北部ティグライ州の州都メケレを制圧したと政府が発表した。ティグライ州には少数民族ティグライ人が多く、その州都メケレはティグライ人の武装組織「ティグライ人民解放戦線(TPLF)」の本拠地でもある。

 エチオピア軍とTPLFの間では、11月初旬から衝突がエスカレート。これまでにティグライ州から逃れた難民は約5万人にのぼる。

 圧倒的な戦力で11月末にメケレを包囲したエチオピア軍は、TPLFに対して72時間以内に投降するよう最後通告を出していた。これに対して、TPLF指導部がこれを拒絶したため、投降の期限である11月26日、エチオピア軍はメケレへの侵攻を開始。わずか2日後に「勝利宣言」を出したのである。

 「メケレ制圧」を宣言したエチオピア軍は、TPLFの組織的抵抗は終わったと説明している。

 しかし、政府による事実上の勝利宣言の後も、TPLFは戦いが今も続いていると主張。現地で活動する援助関係者も、アル・ジャズィーラのインタビューにメケレ周辺で戦闘が続いていると証言している。

 エチオピア政府はこれまで戦闘拡大を懸念する国連や周辺国の働きかけを拒んできた。そのため、エチオピア軍の「勝利宣言」は海外に「戦闘の終結」をアピールするための情報操作である公算が高い。

「死ぬ用意はできている」

 とはいえ、たとえ「勝利宣言」がプロパガンダだったとしても、TPLFが圧倒的に不利な状況にあることは間違いない。

 ティグライ人はエチオピア人口の約7%に過ぎない。そのうえ、エチオピア軍は戦闘機や戦車まで繰り出している他、アラブ首長国連邦(UAE)から提供された軍用ドローンまで投入しているとみられている。

 圧倒的に不利な戦いであることは、TPLFも理解している。エチオピア軍の最後通告に対して、TPLF指導部は「死ぬ用意はできている」と応じていた。

 なぜTPLFは絶望的な戦いに臨むのか。そこには、かつて権力の中枢にいた者が、時世の変化で「反体制派」のラベルを貼られることへの抵抗がある

ティグライの栄光

 TPLFが権力の中枢におさまったきっかけは、1970年代半ばから1990年代初頭までの内戦にあった。エチオピアでは当時、社会主義政権に対して国内の4つの反政府組織が抵抗を続けていたが、TPLFはそのうちの一つだった。

 当時の反政府勢力のなかでTPLFが頭角を現したきっかけは、4つの武装組織が一つの連合体「エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)」を結成したことにあった。この時、中心になったのがTPLFだったのである。

 TPLFのリーダーだったメレスの類まれなリーダーシップのもと、連合体EPRDFは1991年に首都アディスアベバを陥落させ、社会主義政権は崩壊した。その後、TPLFをはじめ4つの武装組織は政党に衣替えし、首相に就任したメレスのもと、EPRDFは4政党の連合体として政権を担うことになった。

 EPRDF政権のもと、エチオピアでは2000年代に農業の多角化などの改革が身を結び、2015年までの平均で約8%(世界銀行)という高い成長率を記録し、そのパフォーマンスはアフリカでもとりわけ注目度の高い国になった。エチオピア政府の計画性と実行力がこうした経済成長の原動力になったことは疑いない。

多数派オロモの巻き返し

 しかし、それにつれてエチオピア政府のなかでは、メレスをはじめとするTPLFの影響力が増し、民族間の緊張が高まっていった。なかでもエチオピア人口の約35%を占める最大民族オロモの間には、ティグライの風下に立たされることへの不満が増した。

 その結果、TPLF中心のエチオピア政府がオロモ人の政治家や運動家を政治犯として拘束することが目立つようになったのだ。メレスは2012年に病没したが、その後も状況はほとんど変わらなかった。

 こうしてTPLF中心の政府に対して、オロモの抗議活動が高まるなか、エチオピア政府は2018年、南部オロミア州に非常事態宣言を発令。当局に批判的なオロモ人が「テロリスト」として片っ端から連行される事態に、政府内からも懸念や批判が噴出した。

 その結果、オロモ出身のアビー氏を首相に据えることで民族間の緊張緩和が図られたのである。

エチオピア版「戊辰戦争」の行方

 オロモ出身のアビー首相は、政治犯として収監されていた1万人以上のオロモ人を釈放するなど、それまでの行き過ぎた抑圧を大きく転換させた。

 しかし、その一方で、アビー政権は政府や国営企業に根を張っていたTPLF系の既得権に切り込み、数多くのティグライ人が汚職などの容疑で公職を追われることになった。例えば、アビー政権発足から間もない2018年11月だけで約60人の政府高官が逮捕されている。

 こうして立場が入れ替わったTPLFは政権から離脱し、エチオピア政府と対立を深めたのである。主流派の座を追われたTPLFにとって、その座を奪いとったアビー政権に屈することは、「反体制派」の汚名を受け入れることに等しいのであり、最後通告を無視したことは、この点から理解される。

 この構図は、官軍であったはずの会津藩が時世の変化によって賊軍の汚名を着せられ、圧倒的な戦力差のある戦いに突っ込んでいった、幕末の戊辰戦争に通じる。どちらも、「降伏」を受け入れることが自分たちの存在意義を自分たちで否定することになりかねないため、難しい点で共通する。

 ただし、鶴丸城に篭城した会津藩と異なり、TPLFは拠点で防御を固める陣地戦ではなく、神出鬼没のゲリラ戦を展開している。これは戦闘をズルズルと長期化させ、はまり込んだら抜けられない泥沼のようなものになりやすい。

 エチオピア政府・軍はソマリアのテロ対策などで西側先進国に協力する戦略的パートナーだ。ティグレ州での戦闘が激しくなることは、先進国の戦略にも暗い影を落とすといえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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