Yahoo!ニュース

なぜ日本には緊急事態庁がないのか――海外との比較から

六辻彰二国際政治学者
記者会見での安倍首相(2020.2.28)(写真:ロイター/アフロ)
  • さまざまな緊急事態にワンストップで対応する専門機関が多くの国にはあるが、日本にはない
  • この背景には、「非常時」を大義名分に政府が大きな権限を握ることへの警戒感が日本では強いことがあげられる
  • これに加えて、かつての自民党単独長期政権時代に培われた各省庁のタテ割りが強いことも、専門機関の設置を妨げる要因といえる

 感染症の拡大や自然災害といったさまざまな緊急事態に対応する専門機関はほとんどの国にあるが、日本にはない。そこには戦後日本の縮図がある。

緊急事態の責任者は誰か

 これまで日本では、緊急事態のたびに「役所が何をするか」に力点を置いた特措法は定められてきたが、市民生活を制限する内容については総じて控えめだった。だから、新型コロナの感染が特に目立つ北海道が週末の外出の自粛などを呼びかける異例の「緊急事態宣言」を発した時、政府はいわば後付けで、これに根拠を与える法令の整備に着手せざるを得なかった。

 法令に比例して、緊急事態に対応する専門機関も手薄だ。

 一応、日本では内閣府の防災担当が都道府県レベルで対応できない緊急事態を所管することになっている。

 しかし、ここでは主に地震など自然災害が想定されていて、しかも責任者である防災担当大臣は他の省庁の大臣が兼務することが一般的だ。現在は、国家公安委員会の武田良太委員長が兼務している。

 もちろん、新型コロナのような感染症も緊急事態として想定されていないわけではない。

 例えば、2012年に新型インフルエンザが流行した際には新型インフルエンザ等特措法に基づき、内閣官房を中心に全閣僚・省庁からなる対策本部が設置された。新型コロナでも、安倍首相を本部長とし、国務大臣をメンバーとする新型コロナウイルス感染症対策本部が立ち上げられている(安倍首相は3月2日、新型コロナに関しても新型インフルエンザ等特措法の対象に加えるよう法律を改正する方針を打ち出した)。

 ただし、これらは事態が発生してからの対策で、しかもメンバーである閣僚らは通常業務の合間をぬっての仕事になる。

 要するに、日本の危機対応は「コトが発生したら大臣がみんな集まって対策を協議し、ケースバイケースの判断で、必要なら特措法で緊急事態の宣言をできるようにする」というもので、対応が後手に回ったり、誰が責任者なのか分からなかったとしても、不思議ではない。

アメリカの危機管理

 これに対して、ほとんどの国では緊急事態に対応する機関があらかじめ設置されている。

 なかでも最も有名なのはアメリカの連邦緊急事態管理庁(FEMA)だ。1979年に設立されたFEMA(発音はフィーマ)は、主に地震や山火事といった自然災害に対応してきたが、それだけでなく原子力事故、大規模な暴動、テロ、そして感染症もカバーする。

 大統領が憲法で定められた権限に基づき緊急事態を宣言することで、FEMAは関係省庁と州政府、さらに自治体の活動や資源を調整し、危機対応のセンターになる。その業務には、非常事態によって損失を受けた自治体や個人への支援も含まれる。

 これらは事前に設定されたマニュアルに沿って行われるため、迅速な対応が可能になる。

 また、FEMAは全国10カ所に地域事務所をもち、非常時にはここが連絡・調整の拠点になるとあらかじめ決まっている。これに対して、日本では中央と地方の情報共有や役割分担が連絡調整室などで行われるが、これも後付けだ。

 そのうえ、陣容も日本とはケタが違う。FEMAは7000人以上の常勤職員と1万人以上の非常時対応要員を抱える。一方、内閣府防災担当は92名で回している。

 もっとも、FEMAは2003年の組織改編で国土安全保障省の傘下に組み込まれ、軍事優先の風潮のなか、災害や感染症などへの対応が弱体化したといわれる。とはいえ、それでもFEMAは危機管理の一つのモデルとしてあり続けている。

アメリカだけか

 このようにいうと、「アメリカは大統領制だから政府に大きな権限が認められるんだ」といった批判もあり得る。

 しかし、これはアメリカ大統領制ほど権限が分散されている体制は珍しいことを理解していないものだ。

 実際、トランプ大統領の移民受け入れ制限命令は、議会や裁判所によって止められた。また、連邦制のもとで州政府には高い自主性が認められている。日本の国会や最高裁が政府方針の歯止めにならず、都道府県など地方政府が中央からの指示待ちになりやすいことと比べれば、アメリカの方がはるかに分権的といえる。

 ここで重要なのは、そのアメリカでも非常時には通常の法律や指揮命令系統を止め、危機対応のために権限を集約させる仕組みがあることだ。そこには、緊急事態に対応できなければ、むしろ憲法で定められた基本的人権や公共の秩序を守れないという思想がある。

 そのため、規模や権限に差はあるが、ほとんどの主要国には緊急事態から民間人の安全を守るための常設の専門機関がある。

 例えば、日本と同じく議院内閣制のイギリスにも、自然災害、感染症、テロなどの対応で各機関の連絡・調整に責任を負う民間緊急事態事務局が内閣府のもとに置かれている。また、日本と同じく中央集権的なフランスでは、大統領の緊急事態宣言を受け、内務大臣をトップとする民間防衛・安全理事会が全体を統括する。さらに、新型コロナで緊急事態を宣言したイタリアでも、憲法上その規定はないが政府は特別法でこれまでにもしばしば緊急事態を宣言しており、その際には閣議直属のコミッショナーがその任に当たることになっている。

 だとすると、なぜ日本には緊急事態にワンストップで対応する専門機関、あるいはそのポストがないのか。そこには、大きく2つの理由があげられる。

政府への不信感

 第一に、日本では先進国で飛び抜けて、政府への信頼が薄いことだ。

 各国の意識調査を行う世界価値観調査によると、「政府を信頼できる」と答えた日本人は「とても」と「ある程度」を合わせて24.3%にとどまった。これは先進国中ほぼ最下位であるばかりか、内戦が続くイエメン(27.5%)やリビア(22.5%)に近い水準だ。

 だとすると、非常時とはいえ、政府に一元的な権限を認めることに否定的な意見が多くても不思議ではない。それは緊急事態に備える専門機関を設置する以前の問題だ。

 筆者の個人的な経験でいうと、2015年11月のパリ同時多発テロ事件の際、オランド大統領(当時)が緊急事態を発令し、ヒトの移動や集まりを制限したことに関して、「非常時のための法整備を日本でも考える必要がある」と書いたところ、否定的なコメントを数多く受け取った。そのほとんどは「非常時」を大義名分に政府が強い権限を握ることへの懸念だった

 実際、何をもって緊急事態と呼ぶかに明確な国際的基準はなく、一歩間違えればご都合主義に陥りやすい。それは緊急事態の宣言だけでなく、宣言しない場合でも同じだ。

 例えば、新型コロナが拡大しつつある今のアメリカでは、FEMAがスタンバイしていても、トランプ大統領は緊急事態を宣言していない。それが大統領選挙を目前にしたなかで株価下落を招く恐れがあるからとみられる。

 日本の場合、あらゆる市民生活が「非常時」を理由に、超法規的に規制された戦前の軍部支配のイメージが強いのかもしれない。また、都合の悪い資料ほど処分するといった政府の体質は、これに拍車をかけているだろう。

 こうした状況のもと、政府が緊急事態に向けた対策を強化することは確かに難しい。それは少なくとも部分的には、歴代政権が撒いた種ともいえる。そのため、緊急事態にワンストップで対応する機関が必要だとしても、政府が「非常時」を宣言することに幅広く信頼を得ることが前提条件になってくる。

55年体制の遺産

 第二に、これに関連して、自民党の長期政権が緊急事態への対応を難しくしたといえる。

 自民党が単独で政権を握った1955〜93年のいわゆる55年体制は、戦後日本の発展の礎になった一方、マイナスの影響も生んだ。

 当時、それぞれの省庁の利益を代弁する自民党議員、いわゆる「族議員」は政策立案だけでなく、各省庁への予算配分にも大きな影響力を持った。そのもとで中央省庁のタテ割りは強まり、省益を何より優先させる気風も強まった。

 これは日本で緊急事態に対応する専門機関を生みにくくしたといえる。

 先述のように、アメリカのFEMAなど諸外国の緊急事態専門の機関は、非常時に関係省庁の活動を指示する権限をもつ。言い換えると、専門機関のもとで各省庁の独立は一時的に停止する。

 これに対して、日本の場合、災害などが発生するたびに全閣僚が出席する対策本部が立ち上げられる。この方式だと、各省庁は外部から指示を受けなくて済む。

 つまり、日本では各省庁の独立と引き換えに、省庁横断的なワンストップの危機管理が実現してこなかったといえる。ここに、「族議員」の庇護のもとで各省庁のタテ割りが強まった55年体制の遺産を見出さずにはいられない。

 「官邸主導」が目立つ安倍政権のもとでは、内閣官房もFEMAなど諸外国の常設機関を研究してきた。しかし、新型コロナ対策でも「自分が先頭に立って」と力説する安倍首相にも、首相が通常業務の合間に緊急事態に対応するのではなく、自らの代理として活動する常設の専門機関を設置するという意思は見受けられない。

 筆者は以前、アフリカ大陸で初めて新型コロナ感染を確認したエジプトに関する記事で、エジプトの問題は「感染者を出した」ことではなく、情報を明らかにしないことにあると指摘した。しかし、それはエジプトに限った話ではなく、程度の差はあっても新型コロナは各国のガバナンスの問題を浮き彫りにしている。日本もその例外ではなく、新型コロナは戦後日本のあり方を改めて問いかけているのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

六辻彰二の最近の記事