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「テロの季節」が迫るアジア―イスラーム過激派に狙われやすい国とは

六辻彰二国際政治学者
スリランカ爆破テロ事件の犠牲者を悼む少年(2019.4.29)(写真:ロイター/アフロ)
  • 5月5日から6月4日までのラマダーン(断食月)は、イスラーム過激派によるテロが活発になる時期にあたる
  • イスラーム過激派のテロはアジアに広がりつつあるが、とりわけフィリピンでは「テロの本場」並みにテロが発生している
  • 今年のラマダーンはISとアルカイダがテロ活動を活発化させるタイミングにあたるため、特に注意が必要

 それまでイスラーム過激派のテロがほとんど発生していなかったスリランカで200人以上の犠牲者を出す爆破テロ事件が発生したことから分かるように、いまやアジアのどの国でイスラーム過激派のテロが発生してもおかしくない。しかし、近年のデータを踏まえて、あえてテロの可能性が高いアジアの国をあげるとすれば、日本人観光客が年間約58万人(2017年)訪れるフィリピンがあげられる。

テロの季節

 5月5日から始まるイスラーム暦のラマダーン(断食月)は、イスラーム過激派にとって「テロの季節」とも呼べる

 ラマダーンとはイスラーム暦の12カ月のうちの第9月だが、イスラーム暦が太陰暦であるため1年間で11日ほどずれる。例えば去年2018年は5月16日~6月14日だったが、今年は5月5日~6月4日になっている。

 断食は信仰告白やメッカ巡礼などとともにムスリムの義務で、この期間中は妊婦や病人を除き、日中の飲食が禁じられている。この苦行は本来、貧しい人々の苦労を思い知るためのものだが、結果的にこの期間は宗教意識が強くなりやすく、イスラーム過激派によるテロも発生しやすい。

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 全世界での1年間に発生するテロ事件のうちラマダーン期間中のものは約10%を占め、12カ月の平均を上回る。しかも事件発生数、死者数ともに、その割合は長期的に増加傾向を示している。

「本場」以外への拡散

 これに加えて注意すべきは、近年ではラマダーン期間中のテロ事件が「イスラーム過激派の本場」中東・北アフリカや、南アジアのアフガニスタン、パキスタン以外にも拡散していることだ。

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 まず、全世界での年間を通じたテロ発生状況をみてみよう。「イスラーム国」(IS)が建国を宣言した2014年をピークに急増したテロ発生件数や死者数は、その後緩やかに減少してきたものの、IS建国宣言以前より高い水準で推移している。

 このうち、ラマダーン期間中に限定したテロ事件の発生件数が全世界に占める割合を地域ごとに検討すると、2014年以降に「本場」以外での割合が増えたことが分かる。例えば、2013年段階で中東・北アフリカ(約46%)とアフガニスタン、パキスタン(約27%)の合計が全体の70%を上回っていたのに対して、この期間のテロ事件の発生件数がほぼ同じだった2017年のそれらは約38%、約17%でおよそ55%にとどまった。

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 その裏返しで、この時期にはサハラ以南アフリカ、インドやバングラデシュといった南アジアなど、イスラーム世界からみた「周辺部」にあたり、従来は「イスラーム過激派の本場」でなかった土地でテロが目立つようになった。その一因は、台頭しつつあったISに支持や忠誠を表明する団体が各地に現れたことによる。

東南アジアの多様性

 そのなかにあって、東南アジアはやや様相が異なる。

 東南アジアにも国民の多くをムスリムが占める国はあり、なかでもインドネシアやマレーシアからはISに参加するため、それぞれ約800人、95~154人がシリアに渡っている(国際過激化研究センター)。

 しかし、東南アジアでのテロ事件は、ラマダーン期間中と12カ月平均を比較して大きな差はない。例えば、2017年段階での東南アジアのテロ事件は12カ月平均で85件だったが、ラマダーン期間中のものは83件だった。

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 この背景には、インドネシア当局やマレーシア当局の取り締まりが厳格であることだけでなく、東南アジアではイスラーム過激派以外のテロも目立つことがあげられる。ミャンマーの仏教ナショナリストやタイの少数民族武装組織は、その代表格だ。

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 ただし、その一方で、イスラーム過激派の活動が目立つ国もある。2017年のラマダーン期間中に限ってみれば、インドネシアやマレーシアでのテロ事件はいずれもゼロだったのに対して、フィリピンでは62件発生していた。事件数だけをみるなら、これはパキスタンを上回る水準だ。

 フィリピンは人口の90%以上をキリスト教徒が占めるが、東南アジアでのイスラーム過激派によるテロの一大中心地でもあることが分かる。

「虐げられた少数派」としてのムスリム

 一般的にイスラーム過激派のテロといえば、ISやアルカイダなどの国際ネットワークが注目されがちだ。しかし、いくら海外にプロデューサーがいても、その国で協力するムスリムがいなければ、大規模なテロの実行は困難である。言い換えると、グローバルなテロの「供給」はローカルな「需要」がなければ拡大しにくい

 この点で、イスラーム過激派からみてフィリピンには(スリランカと同じく)好条件がそろっている。観光業が発達するフィリピンはヒトやモノの出入りが活発であるばかりか、「虐げられた少数派」としてのムスリムがいるからだ。

 フィリピン南部のミンダナオ島周辺にはムスリムが居住しているが、その多くはキリスト教徒と比べて所得水準が低いなど、キリスト教徒中心の社会で周辺的な立場にある。そのため、ムスリムの少数民族モロが1968年、モロ民族解放戦線を設立して分離独立を求めて武装闘争を開始して以来、いくつものイスラーム組織が離合集散を繰り返し、フィリピン当局と対決してきた。

 つまり、「虐げられた少数派」としてのムスリムが異教徒からの解放を目指して戦うフィリピンには、国際テロネットワークが関与しやすい土壌があるのだ。実際、フィリピンからは約100人がISに参加するためシリアに渡ったとみられている。

 シリアでISが勢力を衰えさせた後は、逆にフィリピンへのヒトの移動が進んでいる。2017年7月、ISに忠誠を誓う現地勢力マウテを中心とする過激派は、ミンダナオ島のマラウィ一帯を占拠して独立を宣言し、シリアから流入したとみられるIS外国人戦闘員とともにフィリピン軍との全面衝突に至った。

ムスリム自治区への賛否

 マラウィでの激戦を受け、フィリピンのドゥテルテ大統領は軍を動員して徹底的に鎮圧する一方、2017年7月にはミンダナオ島一帯でのムスリムの自治権拡大に着手した。全面的でないにせよ、ムスリムの要求を受け入れ、共存を図ることで、テロ予備軍を減らそうとしたのである。

 その結果として成立したバンサモロ(モロ人の意味)基本法は、外交や安全保障を除き、司法、教育、徴税、年金など幅広い分野で自治政府の権限を認めている。とりわけ、イスラームの教義に沿ったイスラーム法による裁判を認める司法権が与えられたことは、自治区発足を支持するムスリムを増やすものだった。

 とはいえ、これによってフィリピンでのイスラーム過激派のテロが減少するとは言いにくい。ドゥテルテ政権との交渉を担ったモロ・イスラーム解放戦線がフィリピンのイスラーム共同体で影響力を増すなか、これに反対する勢力もあるからである。

 この背景のもと、フィリピン平和・暴力・テロリズム研究所によると、マラウィでの戦闘が終結した2017年10月から2018年11月までの間に、約100人のIS戦闘員が流入している。つまり、現地政府に不満を抱くムスリムが、シリアで追い詰められるIS戦闘員の流入を呼び寄せているともいえる。

 その結果、マラウィでの戦闘後もフィリピンではしばしばテロが発生してきた。今年2月6日に予定されていたバンサモロ基本法の受け入れの賛否をめぐる住民投票の直前の1月27日には、ホロ島のキリスト教会で爆弾テロが発生し、20人以上が死亡した事件ではISが犯行声明を出している。

 ひるがえって今年のラマダーンに目を向けると、時あたかもスリランカでのテロで犯行声明を出したことで、ISは再び注目を集めている。一方、支持者のリクルートや資金集めなどでISと競合するアルカイダも、組織の立て直しのために、「目立ったもの勝ち」のレースに向かいやすい状況にある。

 このようにグローバルなテロ組織の「供給」が加速し始めているなか、フィリピンではローカルな「需要」が増している。この観点からみれば、今年のラマダーン期間中この国がアジアのなかでもとりわけ注意すべきと言わざるを得ないのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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