右派でも左派でもないことの限界―イエローベストに揺れるフランス

パリ中心部でデモを行うイエローベスト(2018.12.1)(写真:ロイター/アフロ)

  • フランスのマクロン大統領はビジネス界向けの改革を推し進め、企業経営者からは高く評価されてきた。
  • しかし、それ以外からは不満が相次ぎ、右派と左派の垣根を超えた大規模なデモ、イエローベスト運動を招いた。
  • マクロン政権の窮地とイエローベストの台頭は、特定の勢力に偏りすぎた政治の危うさを物語る。

 「右派でも左派でもない」と強調し、政治への信頼を回復すると叫んで2017年に就任したマクロン大統領は、3週間続けてパリで発生した数十万人規模のデモとその暴徒化によって窮地に立たされている。この背景にはビジネス志向の急速な経済改革への不満があり、これは結果的に右派と左派の連携を生んでいる。

「革命とデモの国」の動揺

 「芸術と美食の国」であるフランスは「革命とデモの国」でもある。どちらも既成概念に囚われず、自らのセンスと意志で新たな境地を切り拓こうとする点で共通するが、11月半ばから毎週末発生してきた大規模デモは、さすがにデモに慣れたフランスにとっても大きな衝撃となった。

 11月17日、約30万人のデモ隊がパリを覆い、翌週末の24日には前回より少ない約10万人規模となったが、一部が暴徒化。大統領官邸(エリゼ宮)周辺で火を放ち、2人が死亡し、数多くの負傷者を出した。警察は3人の極右活動家を逮捕した。

 デモのきっかけは、燃料税の引き上げだった。マクロン大統領は地球温暖化対策としてエコカーの普及を目指しており、燃料税の引き上げはその一環だが、それまでの急激な改革(後述)に不満が募っていたなか、これが最後のひと押しになったのだ。

 大規模なデモに対して、マクロン大統領は政治活動の自由を擁護しながらも暴力を批判する声明を出し、さらに燃料税の引き上げが揺らぐことはないと力説した。その一方で、フィリップ首相が数回にわたってデモ関係者と会談して事態の収束を図ったが、合意には至らなかった。その結果、12月1日に3度目のデモが発生し、少なくとも16人が逮捕される事態になった。

イエローベストとは

 この大規模なデモの最大の特徴は、特定の党派や集団によるものではなく、さまざまな立場の参加者が、生活への不満と反マクロンで一致して参集したところにある。

 デモ参加者には2017年選挙でマクロン氏に対抗した右派の支持者が目立つが、一方で左派系の労働組合関係者も少なくなく、極右政党から極左政党に至るまで幅広い野党もこのデモを公式に支持している。さらに参加者の多くは地方在住者で、このデモには「都市に対する地方の反乱」としての顔もある。

 この背景のもと、デモ参加者の多くは工事現場などで用いられる黄色の安全ベストを着用することで、「働く普通のフランス人の意志」を表現している。そのため、このデモはイエローベストと呼ばれる。

 今年7月の世論調査によると、マクロン政権の政策に対する「よい」という回答は29パーセント、「マクロン氏を信頼できる」という回答は32パーセントにまで下落していた一方、フランス24は約70パーセントがイエローベストを支持していると報じている。

中道・親ビジネス派の改革

 右派と左派が垣根を超えて連携する大規模なデモを呼び起こしたマクロン氏の政権運営とは、どんなものだったか。一言で言えば、それは「ビジネス界向けの政権」といえる。

 シリア難民の流入やテロの頻発、さらにイギリスのEU離脱やアメリカのトランプ政権に触発されて右派が台頭し、これに警戒感を強める左派との摩擦や衝突が深まるなか、「右派でも左派でもない」と強調して大統領となったマクロン氏は就任以来、アメリカ流の規制緩和や「小さな政府」路線に基づく改革を行ってきた。そこには雇用契約や農産物貿易の規制緩和や、公共サービス削減、主に富裕層向けの減税などがあげられる。

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 フランスではもともと公的機関が経済にかかわる傾向が強く、GDPの50パーセント以上を公共セクターが占める(いま話題のルノーの最大の株主もフランス政府だ)。

 労働者の権利なども手厚く保護されてきたため、簡単にレイオフされない反面、これが経営者に新規採用を躊躇させ、失業率は慢性的に高い状況が続いてきた。また、安全保障上の観点から食糧とエネルギーの自給を重視してきたため、伝統的に農家への補助も手厚いが、これは財政赤字の一因にもなってきた。

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 中道を自認するマクロン氏は、イデオロギー対立から距離を置き、ビジネスを活発化させることで停滞の打破を目指したのだが、これは一定の成果を収めてきた。海外直接投資(FDI)を含む投資が活発化してリーマンショック(2008)後の最高水準に近づき、好調な企業業績を背景に失業率も低下した。今年7月の段階の調査で、企業経営者の54パーセントがマクロン大統領の活動に「満足している」と回答し、65パーセントが「改革が進んでいる」と回答している

現代版「ブルジョワジーの王」

 しかし、経済が成長した一方で物価も高騰し、給与の上昇は相殺された。また、若年層の失業率は高いままで、とりわけ外資流入で活気づく大都市と地方の格差も鮮明となった。

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 そのうえ、実業家出身のマクロン氏のいかにもビジネスエリートらしい言動が目立ったことも、広く反感を招いた。

 例えば、「駅は面白いところだ」といい、その理由として「成功した者と何でもない者に会えるから」(前者は彼自身のようなビジネスエリートを指し、後者はほとんどの一般の人を指すとみてよいだろう)。また、就職活動に苦労している若者に対しては、「どこでも働き口はあるはずだ」と言ったうえで「私なら、あの通りを渡るだけで、きっと君に仕事を見つけてやれる」。

 こうした発言は、マクロン氏の経歴からすれば正論かもしれない。しかし、いかなる意見も各自の立場から出るもので、誰もが認める正論などというものはない。少なくとも、マクロン氏のこれらの発言が多くの人に「強者の論理」と映っても不思議ではなく、これが党派や立場を超えたイエローベストを生む原動力になったといえる。

 フランスでは革命後の1830年、当時新興勢力だった資本家(ブルジョワジー)に支えられてオルレアン公ルイ・フィリップが国王に即位し、王政が復活(七月王政)したが、そのもとでは資本家の利益が国策となった反面、一般の人々の生活が顧みられることはなかった。社会学の元祖とも呼ばれる当時の政治哲学者アレクシ・ド・トクヴィルは、「ブルジョワジーの王」のもとで国家が「株主に利潤を配当する産業会社」に等しくなったと指摘している。

「…彼ら(ブルジョワジー)はあらゆる地位につき、その地位の数を増やし、自分の営む産業によって生きるだけではなく、それとほとんど同じ程度に、国庫に寄生するのを常とするようになった。…彼らのそれぞれが国事のことに思いをめぐらすとすれば、それは彼らがその私的な利益のために国事を利用したいと考えた時だけだという有様なのだ」

出典:『フランス二月革命の日々』pp.18-19.

 結局、ルイ・フィリップは1848年、都市住民や農民の幅広い抵抗によって退位せざるを得なくなった(二月革命)が、親ビジネス派としてのマクロン改革が右派と左派の垣根を超えたイエローベストのデモを引き起こしたことは、これを想起させる。

分断は克服されるか

 今後、マクロン氏にとってあり得る選択は、ウィングを広げることだ。マクロン氏は中道・親ビジネス派に支持が厚いが、左右いずれかの勢力と接近することで、イエローベストを分断し、政権基盤を安定できる。

 ただし、それは容易でない。「小さな政府」を目指す以上、左派との相性はよくない。かといって、ドイツのメルケル首相の退任が決まっている状況で、マクロン氏は次世代のEUリーダー候補と目されているため、反EUを叫ぶ右派との協力も難しい。

 同じことは、イエローベストに関してもいえる。

 フランスの著名な政治学者でパリ政治研究所のジェローム・セント・マリー博士は、右派と左派が連携するイエローベストの運動を、政治的な分断を超えた社会的な再統一の動きと評価する。だとすれば、マクロン大統領とは別の意味でイエローベストも「右派でも左派でもない」ことになる。

 とはいえ、右派と左派は反マクロンの一点で一致しているのであり、その協力が継続するかは疑わしい。イエローベストに全体を導くリーダーがおらず、ソーシャルメディアを通じて集まった寄り合い所帯であることは、政治勢力としての結束の弱さを意味する。

 「ブルジョワジーの王」を二月革命で打ち倒した各勢力は、その後内部分裂に陥り、この混乱が結局クーデタで権力を握った皇帝ナポレオン3世の登場を促した。最近でいえば、2011年の「アラブの春」の最中、エジプトでイスラーム主義者やリベラル派の連合デモ隊が同国を30年に渡って支配したムバラク大統領を失脚に追い込んだ後、内部抗争が激化し、結局は軍のクーデタによって混乱が収束した。

 これらに鑑みれば、イデオロギーの違いを超えた結束は「共通の敵」を欠いた途端に崩れやすく、それは圧倒的な力によって始めて押さえ込まれがちといえる。だとすれば、フランスの混迷はいまだ始まったばかりなのかもしれない。