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なぜ「マケドニアの国名変更」が米ロの緊張を呼ぶか-「フェイクニュース大国」をめぐる攻防

六辻彰二国際政治学者
国民投票ボイコットを呼びかける国名変更反対派(2018.9.30)(写真:ロイター/アフロ)
  • マケドニアの国名を「北マケドニア」に変更する国民投票は、投票率が過半数にみたなかったため、無効になった
  • この国民投票は、マケドニアがNATOやEUに加盟するための第一歩だったが、国民投票が無効になったにもかかわらず、マケドニア政府は「西側の一国」になることを目指している
  • マケドニアでは親ロシア派と親欧米派の分裂が目立ち始めており、この構図はウクライナ危機にも通じる

 9月30日、バルカン半島の小国マケドニアで「国名を北マケドニアに変更すること」の賛否を問う国民投票が行われ、有効投票の90パーセント以上が賛成したが、投票率は34パーセントにとどまった。マケドニア憲法では、国民投票の結果が効力を発揮するには50パーセント以上の投票率が必要だが、ザエフ首相は国名変更を進める構えだ。強硬に国名変更が進められれば、マケドニアが「第二のウクライナ」になりかねないことが懸念される。

欧米諸国の強い関心

 マケドニアは人口約200万人の小国だが、今回の国民投票に先立ち、欧米諸国は並々ならない関心をみせた。

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 9月8日、マケドニアを訪問したドイツのメルケル首相はザエフ首相と会談して「歴史的なチャンス」と強調し、国民投票を支持。この時期、メルケル首相だけでなく、ストルデンベルグNATO事務総長やハーンEU委員など、他の西側の要人の訪問も相次いだ。

 なぜ、マケドニアが「北マケドニア共和国」に国名を変更することが、欧米諸国にとってそれほど重要なのか。

 そこには大きく2つの意味がある。

 第一に、東ヨーロッパに西側の同盟国を増やすことだ。これは西側の一国ギリシャとの関係による。

「マケドニア」は誰のものか

 そもそもマケドニアは旧ユーゴスラビア連邦の崩壊にともない1991年に独立した国だが、独立段階から隣国ギリシャと国名をめぐって対立してきた。

 「マケドニア」は古代インド遠征を行ったアレクサンダー大王が支配した国の名で、ギリシャ北方にもこの地名があるため、ギリシャには北隣のマケドニアが自国北部の領有権を主張しかねないという危機感がある。

 そのため、クロアチアをはじめ他の旧ユーゴスラビア諸国が相次いでNATOやEUに加盟するなか、マケドニアはギリシャの反対で「西側の一国」になれないままだった。

 これはマケドニアでギリシャへの反感を呼び、「古代マケドニア王国の復興」や「スラブ人国家としてのマケドニア」をイメージ化する復古的ナショナリズムの台頭を促すきっかけになった。そのなかで2006年に政権の座についた内部マケドニア革命組織・民族統一民主党連合(VMRO-DPMNE)は、欧米諸国への反感から、ロシアとの関係を深めた。マケドニアには、ロシア語で授業を行う大学がロシアの援助で設立されている。

 つまり、マケドニアとギリシャの対立はバルカン半島にロシアが拠点を設けることを助けてきたのであり、これは西側にとって安全保障上の懸案になってきたのである。

国民投票への道

 この背景のもと、2016年選挙ではVMRO-DPMNEの汚職などが問題となり、中道左派の社会民主同盟連合(SDSM)が躍進。議席数ではVMRO-DPMNEに及ばなかったものの、他の野党との連立により、政権を握った。

 これにともない、ザエフ首相は西側への接近を図り、2018年6月にはギリシャ政府との間で「北マケドニア共和国」への変更で合意した。ギリシャとの対立を収束させることは、NATOやEUへの加盟の道を開くことにつながる。

 ただし、国名の変更には多くの手続きが必要で、特にマケドニアの側には憲法の改正や、それにともなう議会での三分の二以上の賛成が求められる。今回の国民投票は、その入り口になったのだ。

 こうしてみたとき、EUの「扇の要」であり続けたメルケル首相をはじめ、西側諸国のリーダーがマケドニア国民投票に強い期待をかけたのは不思議でない。

「フェイクニュース産業」の蔓延

 これに関連して、欧米諸国にとって今回の国民投票が重大である第二の理由は、マケドニアを取り込むことが「フェイクニュース産業」の壊滅と全容解明の一歩になるという期待である。

 2016年アメリカ大統領選挙ではソーシャルメディアで「ヒラリー・クリントン氏が『イスラーム国』に武器を提供していた」、「クリントン候補の健康状態は非常に深刻」といったフェイクニュースが飛び交った。同様のフェイクニュースは、アメリカに限らず欧米諸国の選挙でも広がっているが、マケドニアはその発信源として注目されているのだ。

 マケドニアでは大統領選挙に先立つ2015年だけで、アメリカ政治に関するサイトが140以上立ち上げられ、フェイクニュースの発信源となったが、そのほとんどは10代を含む若い世代によって運営されているとみられる。

 AFPの取材に応じた、大学の工学部に所属する20歳の若者は広告収入で月に200ユーロを稼いでいたと述べ、フェイクニュースが大統領選挙の結果に影響したかという問いに「分からないし、興味もない」と答えたうえで、「人が読みたいと思うものを書いていたんだ」。また、その友人で、やはりフェイクニュースを書いている若者は、「非難したければすればいい。だけど、そうするか記事を書くかと言われたら、自分は記事を書く方を選ぶ」と悪びれない。

 これらの若者にとって、海外ニュースに手を加えて、根拠のない話を拡散させることは、一種のアルバイトに過ぎずない。その背景には生活苦があり、マケドニアの一人当たりGDPは5,442ドルにとどまる(ユーロ圏の平均は3万6,869ドル)一方、失業率は22.4パーセント(ユーロ圏平均9パーセント)にのぼる(世界銀行)。とりわけ、若年層の失業率は47パーセントにのぼる。

 EUに加盟できず、ヨーロッパからの投資が滞りがちなことは、マケドニアでフェイクニュース産業が蔓延する一つの背景になってきたといえる。

フェイクニュース発信地の根絶

 ただし、マケドニアでフェイクニュース産業が無職の若者たちを吸収していることは確かとしても、これが自然発生的なものに過ぎないかは疑問の余地がある。

 アメリカのニュースサイトBuzzFeed Newsによると、マケドニアの著名な弁護士トラシェ・アルソフ氏は自らFacebookでFOX Newsなどトランプ支持派のメディアの記事を拡散させるだけでなく、(いずれもアメリカの極右ニュースサイトである)Gateway Punditの創設者パリス・ウェイド氏やLiberty Writers Newsの創設者ベン・ゴールドマン氏らとも親交があり、その一方では(ムラー特別検察官がロシアゲート疑惑で捜査対象にしている)ロシアのエージェント、アンナ・ボガチェフ氏とも交友関係が指摘されている。

 BuzzFeedはアルソフ氏をマケドニアにおけるフェイクニュース産業の「ゴッドファーザー」とみなしている。つまり、マケドニアの「フェイクニュース産業」は若者の自然発生的なアルバイトであると同時に、アメリカの極右勢力やロシアが関与した組織的な政治活動でもあるというのだ。

 もちろん、これは調査・捜査の段階であり、確定的なことはいえない。しかし、確かなことは、この疑惑を解明するとともに、蔓延するフェイクニュース産業を壊滅させるうえで、マケドニアを西側の引力圏に引き込むことが重要な手段になることだ。

 だからこそ、NATOやEU加盟を見据えた国名変更の是非を問うマケドニアの国民投票に、欧米諸国の首脳は強い関心をみせたのである。

フェイクニュースの国内利用

 ところが、冒頭に触れたように、9月30日に行われた投票では、有効票の9割以上を「国名変更賛成」が占めたものの、投票率が50パーセントに届かなかったため、規定により国民投票の結果は無効となった。

 この選挙結果をもたらした背景には、やはりフェイクニュースとヘイトメッセージがあった。

 2016年選挙で政権を失ったVMRO-DPMNEを中心に、ナショナリスト勢力は「マケドニアのアイデンティティを失わせる」と国名変更に懐疑的で、公然と国民投票ボイコットを呼びかけていた。

 この背景のもと、それまで主にアメリカ政治を取り上げていたフェイクニュースのサイトが、相次いでマケドニア国民投票に関心をシフト。国民投票ボイコットを呼びかけ、ザエフ首相を糾弾する記事が拡散したのである。

 これに対して、9月17日にアメリカのマティス国防長官は「マケドニア国民投票にロシアが組織的に干渉している」と警戒感をにじませた。こうして、マケドニア国民投票は、もはや一国だけで済まない問題になったのである。

「第二のウクライナ」になるか

 投票率が規定に届かず、国民結果が不成立になったことを受け、ザエフ首相はそれでも「議会での国名変更に関する議論を進める」と述べ、今後とも西側への接近を模索することをうかがわせた。

 あくまで「西側の一国」になることを目指すザエフ首相対して、ロシアのRT Newsは「欧米のロビイストが国民投票で大打撃を受けた」、「マケドニアのエリートは国民感情とかけ離れている」と論じ、マケドニア政府だけでなく、これを取り込もうとする欧米諸国をけん制した。

 冷戦時代に東側陣営だった国を欧米諸国とロシアが奪い合う構図は、親ロシア派と親欧米派に分裂したウクライナを思い起こさせる。もちろん、ウクライナとマケドニアでは多くの条件が異なるが、国民投票が無効になったにもかかわらず、ザエフ政権が西側への接近を強行すれば、保守派との摩擦はこれまでになく深刻になることは間違いない。マケドニアは「第二のウクライナ」になりかねない瀬戸際にある。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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