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南北「五輪外交」に期待できない理由―米中「ピンポン外交」との対比から

六辻彰二国際政治学者
韓国入りした北朝鮮チームの応援団「芸術団」(2018.2.7)(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 平昌(ピョンチャン)で2月9日から開催される冬季五輪を前に、韓国政府は北朝鮮選手団の受け入れや開会式での合同入場行進、女子アイスホッケーでの合同チーム発足など、融和ムード演出に余念がありません。

 平昌五輪をきっかけに朝鮮半島をとりまく緊張が多少なりとも和らぐことがあれば、どの国にとっても利益になるといえます。ただし、それでも北朝鮮情勢が大きく転換するかは疑問です

 スポーツは公式には「政治と無縁」。そうであるがゆえに、逆に政治の潤滑油として期待されることは、これまでにもありました。しかし、それがいつでも効果をあげるとは限りません。これを米中の「ピンポン外交」との対比から考えます。

ピンポン外交とは

 第二次世界大戦後の国共内戦(1945-49)で中国は分裂。その結果、ソ連など共産圏やインドなどの周辺国、さらに英仏など西ヨーロッパ諸国を含む60ヵ国が1970年の末までに共産党率いる中華人民共和国と国交を樹立。この数字は、この年の段階の国連加盟国(127ヵ国)の約半数にあたります。

 しかし、米国は台湾に逃れた国民党率いる中華民国との国交を維持。そのため、国連における「中国」の代表権は中華民国が握り続けました。

 1971年に名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会は、この状況の転機になったといわれます。国際環境が徐々に変化するなか、西園寺公望をはじめとする大陸支持派の働きかけにより、この大会に中国の卓球選手団が参加したのです。

 この際、米国選手団が中国への招待を希望。中国側がこれに応じたことで、同月中に米国選手団が訪中。その後、同年7月と10月にキッシンジャー国務長官(当時)が訪中するなど、両国政府間での往来が本格化。その結果、1972年2月にニクソン大統領(当時)の訪中が実現し、両国間の「関係正常化」を約した上海コミュニケが発表されたのです。

ピンポン外交の成功要因

 当初の目的を達成できたという意味で、ピンポン外交は成功だったといえます。ただし、その「成功」は幾つもの条件が重なった結果でもありました。

 第一に、米中ともに「他の優先事項のために緊張を和らげざるを得なかったこと」です

 米中は朝鮮戦争(1950-53)、台湾海峡危機(1954)以来、潜在的には敵国同士であり続けました。この間、1964年に中国は核保有国にもなっています。

 ところが、1960年代末頃から両国は、それぞれ優先して対応すべき課題に直面していました。当時の米国ニクソン政権にとって、何より優先すべきは「ドロ沼のベトナム戦争から引き上げること」でした。そのため、北ベトナムと良好な関係にあった中国との関係を見直す必要に迫られていたのです。

 一方の中国にとっては、「二つの超大国との対立」を解消する必要がありました。中ソは1956年以降、関係を悪化させていましたが、1969年に国境問題をめぐって両軍がダマンスキー島(珍宝島)で正面衝突。ソ連との対立が抜き差しならなくなるにつれ、中国はもう一方の超大国である米国との緊張を和らげざるを得なかったのです。

 この大きな背景は、お互いに「妥協や譲歩もやむを得ない」と思わせ、米中に関係改善に向かう糸口を探らせるものでした。ピンポン外交は、その一つのきっかけに過ぎなかったといえます。

非公式協議の継続

 第二に、ピンポン外交の布石として、米中の担当者たちが非公式ながらもコミュニケーションを続けていたことです。そして、それを可能にしたのが「米中と関係をもつ複数の第三国」の存在でした。

 1954年の台湾海峡危機後、公式には対立しながらも、米中は朝鮮戦争で捕虜となった米兵など中国国内に拘留されている米国人の帰国などを話し合うため、非公式の会合を継続。スミス大学のS.M.ゴールドスタインによると、1955年8月から1970年2月までの間の大使級の非公式会合は136回にのぼります。

 その際、両国と関係を維持していたスイス、ポーランド、ルーマニア、パキスタン、ユーゴスラヴィアなどがルートとなりました。とりわけポーランドの首都ワルシャワは、米中非公式会合の多くが行われる舞台となりました。

 相互不信が強いなか、当事者同士が何の前置きもなく、いきなり核心的なテーマについて協議することは至難の業です。その意味で、反共産主義のトーンが強かった米国と、反帝国主義を叫び続けていた中国の間で、実務的なコミュニケーションを維持できたことは「国交正常化の仕込み」になったといえます。

ゴール設定の明確さ

 第三に、そして最後に、最も重要なことは米中間で「折り合える妥協点」があったことです。いわば当たり前のことですが、これがなければ利害の異なる当事者の交渉そのものが成立せず、それぞれの言い分が言いっぱなしになりかねません。

 米中の場合、「国交正常化」が自国の利益になるという理解は、双方にほぼ共通するものでした。ただし、「唯一正統な中国政府」を自認する中国と、台湾に米軍を駐留させていた米国にとって、大きな焦点となったのは台湾の扱いでした。

 最終的に上海コミュニケには「米国は台湾が中国の一部であることを認める」という文言が盛り込まれました。これは一見、中国側の言い分が丸呑みされたようにみえますが、米国からすれば単に「中国が一つであること」を認めたに過ぎませんでした。さらに、コミュニケで「台湾問題の平和的解決を支持すること」も盛り込まれたことで、米国は台湾が中国に軍事的に脅かされた場合に介入する余地を残したのです。

 つまり、台湾に関して米中は「譲れない最低限の立場を守れた」という形式をお互いに保障することで処理したのです。言い換えると、米中はあくまで関係改善を優先させたのであり、このゴールを共有できたからこそピンポン外交を端緒とする協議が成立したといえるでしょう。

五輪外交のもろさ

 このようにピンポン外交は多くの条件に支えられて成功したといえます。逆に言えば、これらの条件がなかった場合、名古屋の卓球大会に中国選手団が参加しただけで米中の国交が正常化したとは考えられません。これに鑑みると、今回の五輪外交はもろいものと言わざるを得ません。

 第一に、韓国あるいは日米韓と北朝鮮には、1960年代末の米国にとってのベトナム戦争や中国にとってのソ連の脅威に匹敵する「他に優先すべき緊急の課題」はほとんど見当たりません

 強いていえば、米国にとっての対テロ戦争やイラン政策はそれに当たるといえます。しかし、北朝鮮のミサイルが米国本土に到達する能力をみせるだけでなく、北朝鮮がイランなどにミサイルを輸出している以上、米国にとって「他の問題のために北朝鮮と妥協する」という選択は小さくなります。「現体制の存続を米国に認めさせる」ことを最優先にする北朝鮮にとってはなおさらです。

 北朝鮮にとっての「本命」はあくまで米国で、さらに米朝間の利害にこの構図がある以上、韓国と北朝鮮の間で融和が進んでも、それだけで米朝間の対立を緩和させる効果は期待できません。

ルートの狭さ

 第二に、韓国と北朝鮮の間の協議が行われても、実質的な当事者である米朝の実務的な協議が、これまでほとんどなかったことです。

 2017年12月、米国務省と北朝鮮政府の関係者が北京で非公式に会談。対話再開の条件などを協議したと伝えられています。

 このように現在の米朝も協議の機会を設けているものの、他方で15年間に136回と年平均9回の非公式会合を重ねていた1971年以前の米中と比べると、その頻度は必ずしも高くありません。

 さらに、米朝をつなぐルートは、1971年以前の米中と比較しても制約されています。金正恩第一書記は中国政府と関係が深かった、叔父の張成沢を2013年12月に「粛清」。その後、最も関係の深い国である中国とさえ距離をおいてきました。その結果、現在の北朝鮮政府の要人には、海外と深い付き合いをもつ者はほとんどいません。

 他方、「圧力強化」を前面に掲げる米国トランプ政権は、北朝鮮を孤立させるため、北朝鮮と国交を維持するロシア、中国、ドイツなどへも関係を断つことを要求。これも交渉ルートを狭める効果があることは、言うまでもありません。

合意できる妥協点の欠如

 最後に、最も大事なことは、米朝間で妥協できる着地点が見出しにくいことです。

 米国トランプ政権は「北朝鮮の非核化」を要求しています。しかし、これこそ北朝鮮が絶対に譲れない点です。核ミサイルをなくした場合、北朝鮮の交渉力はゼロになるからです。米国を信用しない北朝鮮が、自らを守る最終手段を自発的に手放すことは、ほぼ想定できません。その意味で、プーチン大統領の「北朝鮮は草を食べてでも核を手放さない」という指摘は至言といえます。

 以前からロシアと中国は「米韓軍事演習の全面中止」と「北朝鮮の核実験凍結」をセットにした仲介策を提案していました。この提案は現状において最も穏当な提案ともいえますが、「核保有を最終的に認める」という保障がないため、2017年10月に北朝鮮は拒否。同時に「核保有を最終的に認めない」という確約でもないため、米国も平昌五輪の期間中は米韓軍事演習を行わないものの、五輪後にこれを再開する構えです。

 つまり、韓朝間で融和ムードが高まったとしても、少なくとも公式の声明から読み取れる限り、米朝間では「折り合える妥協点」がないことには何も変化がないのです。この点で、共有できるゴールが前提としてあり、米中が関係改善のきっかけを模索していたなかで行われたピンポン外交とは異なります。

五輪外交の先にあるもの

 こうしてみたとき、五輪外交によって米朝関係の大きな構図が変化するとは見込めないといえます。

 とはいえ、先延ばしにすればするほど、制裁の効果が徐々に出てくるのと同時に、北朝鮮に核やICBMの能力を向上させる時間を与えることにもなります。

 もし米国がこれまでの公式の方針を翻して、北朝鮮の体制の維持と核保有を認めるというなら、それで北朝鮮は納得し、一方で米国は直接衝突の危機を回避できるかもしれません。外交は本音と建前が錯綜する世界で、それまでの公式の方針があっけなくひっくり返ることがあるのは、米中国交正常化の例からも分かります。

 しかし、この場合、米中国交正常化の時と同様、あるいはそれ以上に、蚊帳の外となった日本政府から反発が出るだけでなく、「非合法でも核開発さえ成功させれば結局米国は認めざるを得ない」という先例をイランやシリアなど反米的な国に示すことにもなりかねません。

 いわば米国トランプ政権はこれらの政治的リスクと、北朝鮮と正面から衝突するリスクのどちらが大きいかの判断を迫られているといえます。少なくとも、緊張緩和は望ましいものの、五輪外交だけで北朝鮮情勢に大きな転換が生まれると期待できないため、五輪後に再び緊張が高まることは覚悟しておく必要があるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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