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河野外相がみせたチャレンジ 日本のロヒンギャ危機対策を評価すべき5つの理由

六辻彰二国際政治学者
都内のミャンマー大使館に迫るロヒンギャの抗議デモ(2017.9.8)(写真:ロイター/アフロ)

 1月13日、河野外相はミャンマーのラカイン州マウンドーを訪問し、現地のロヒンギャと面談。その前日12日、河野外相は同国の事実上の最高責任者アウン・サン・スー・チー氏とも会談しました。

 スー・チー氏との会見で河野外相は、ロヒンギャ難民の帰還支援のために300万ドル、ラカイン州の人道状況の改善や開発のために2000万ドルを、それぞれ提供すると約束。その一方で、難民の帰還状況をモニターすることに合意したうえ、外国メディアや国際NGOのラカイン州への立ち入りを認めるようスー・チー氏に要請しました

 日頃、筆者は日本政府の外交政策に疑問を呈することが少なくなく、ロヒンギャ危機への対応についても批判的に論じてきました。しかし、今回の訪問と合意内容は、これまでの日本と比べるとかなりチャレンジングなもので、高く評価すべきと思います。そこには大きく五つの理由があげられます。

当事者たちとの関係

 第一に、ミャンマー政府とロヒンギャ難民の双方とコンタクトしたことです。

 ロヒンギャ問題をめぐっては、各国間で態度が分かれてきました。欧米諸国やイスラーム諸国がロヒンギャ危機を「民族浄化」と呼び、これに関与したと目される高級軍人を対象とする制裁も実施されています。これに対して、同国への経済進出で西側諸国をリードする中国やインドなどは「内政不干渉」の原則からミャンマー政府を擁護し、むしろロヒンギャの武装勢力を「テロリスト」として批判してきました。

 この対立軸のなか、日本は中国などと同様、ミャンマー政府に理解を示し、ロヒンギャの武装勢力を批判してきました。しかし、今回の訪問で河野外相は「被害者」であるロヒンギャ難民とも接触。「武装勢力は認められないが、難民支援は重視する」立場を示したといえます。

 この立場に基づき、今回実現した河野外相のラカイン州訪問は、外国要人としては初めてのものです。ミャンマー政府・軍はメディアやNGOを含めて外国人のラカイン州への立ち入りを制限してきました。2017年12月にミャンマーを訪問したヴァチカンのベネディクト法王でさえ、ミャンマー政府への配慮から、ロヒンギャ難民とはバングラデシュの難民キャンプで会見しています。

 ロヒンギャ危機の解決を促すには、双方の当事者と関係を築くことが大前提になります。この点で日本のアプローチは、ミャンマーとひたすら対立するわけでも、これをひたすら擁護するわけでもないもので、今後の調停を主導する第一段階をクリアできたといえます。

危機克服のスタートを前進させる

 第二に、難民帰還を促すことで危機の克服を加速させようとしたことです。

 2017年11月、ミャンマー政府とバングラデシュ政府はロヒンギャ難民の帰還に合意。60万人以上にのぼる難民受け入れの負担に不満を募らせるバングラデシュ政府の立場を、後ろ盾である中国やインドも支持するなか、ミャンマー政府は「バングラデシュからの不法移民」と呼び続けてきたロヒンギャの受け入れに同意せざるを得なかったのです。

 ミャンマー政府がロヒンギャを「国民」と認めないことに変わりはなく、帰国しても再び迫害される懸念は払しょくされません。そのため、ロヒンギャ難民の間でも帰還に向けた動きは鈍く、合意そのものが実現しない恐れがあります。

 とはいえ、バングラデシュからの帰還はロヒンギャ危機の終結に向けた重要な糸口であり、この糸が切れれば事態のさらなる悪化が懸念されます。その意味で、今回河野外相が難民帰還への支援を表明し、これを加速させようとしたことには、重要な意味を見出せます

危機の長期的な克服に向けて

 第三に、これに関連して、難民帰還後の長期的な平和の定着に向けた道筋をつけられたことです。

 先述のように、帰還したロヒンギャが安全・安定した生活を送れるかは未知数です。ロヒンギャ危機に関して、欧米諸国は個人の人権や暴力からの解放を最優先にする傾向があり、これはこれで重要な課題です。しかし、襲撃がなくなることだけでなく、衣食住といった最低限のニーズを満たせる生活再建も、危機の長期的な克服には必要です。ところが、この点にスポットをあてる国は必ずしも多くありません。

 今回河野外相はスー・チー氏との間で、特に帰還後のロヒンギャ支援として女性の所得向上に向けた訓練などを約束しています。「紛争における弱者」になりやすい女性に特化した支援には、ロヒンギャ・コミュニティの安定にとっても重要な役割を果たすと期待されます。

 日本と同様の立場の国にはインドがあげられ、同国も12月に仮設住宅の建設を含む2500万ドルの支援を約束しています。ロヒンギャ危機に関して日本とインドは立場的に近いことから、今後の協力の可能性も視野に入ってくるといえるでしょう。

カラ約束をゆるさない姿勢

 第四に、ミャンマー政府が約束を守るかを日本側が確認できるようにしたことです。

 日本政府は内政不干渉の原則を重視し、援助を提供しても相手国政府の独立性を重視する傾向があります。状況によっては援助を差し止めるなどの対応をとる欧米諸国と比較して、日本の姿勢は「奥ゆかしい」かもしれませんが、それは足元をみられることにもなりかねません。

 残念ながらというべきか、一般的に援助の交換条件で様々な約束をしても、それが守られないことは珍しくありません。ましてミャンマーの場合、国内が混乱しているだけでなく、スー・チー氏率いる政府は大きな力をもつ軍を管理し切れていません。この状況では、ミャンマー政府が「援助は受け取り、難民帰還は(いろいろと口実を設けて)実行しない、あるいは遅らせる」という選択をしても不思議ではありません。

 今回、河野外相はバングラデシュ政府との約束に基づきミャンマー政府が難民の帰還を進めているかをモニタリングすることを確認しました。言い換えると、日本政府は「カラ約束」をゆるさない姿勢を示したのです。

 これは日本政府にしてはかなり踏み込んだ対応といってよいものですが、ミャンマー政府にロヒンギャ危機の克服に向けた真摯な対応を促すと同時に、日本が「奥ゆかしい」だけで終わらない効果もあるといえます。

国際復帰への橋渡し

 第五に、そして最後に、国際的な懸念の払しょくに向けた取り組みをミャンマー政府に促したことです。

 先述のように、ミャンマー政府は「民族浄化」を否定する一方、ラカイン州への外国人の立ち入りを規制してきました。これでミャンマー側が「自分たちを信用しろ」といっても、それは無理な相談です。

 1月10日、軍はラカイン州マウンドーで2017年9月に10名のロヒンギャ「テロリスト」を殺害したと明らかにしました。ミャンマー軍が軍事活動について発表することは稀ですが、これに関してロヒンギャの武装勢力アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)は「10名は市民だった」と反論しています。真偽は定かでありませんが、現地の情報が不足するなか、ミャンマー軍が都合のよい発表をしているのではないかという懸念を生んでいることは確かで、それはミャンマーに対する国際的な批判をエスカレートさせる一因となってきました。

 今回の訪問で、河野外相は海外メディアや国際NGOのラカイン州立ち入りの解禁をスー・チー氏に求めました。これは欧米諸国やイスラーム諸国の声を代弁したものであるだけでなく、ミャンマーにとっても国際的な非難を和らげる道標を示すものだったといえます。

 もちろん、海外メディアや国際NGOの立ち入りが解禁される場合、それに先立ってミャンマー政府・軍は様々な「後始末」を行い、「ラカイン州が平静である」と取り繕うことも予想されます。しかし、少なくとも外部の目を入れることは、孤立しがちなミャンマーの国際復帰に不可欠で、それはロヒンギャ危機の実効性ある解決に向けた第一歩といえます。その意味で、日本政府はミャンマーとこれに批判的な各国との橋渡しを試みたといえるでしょう。

相互不信の連鎖は絶ち切れるか

 こうしてみたとき、今回の日本政府の対応は、ロヒンギャ危機の克服だけでなく、日本の外交・国際協力の発展という観点からも、高く評価されるべきといえます。

 ただし、今回の訪問や取り決めでロヒンギャ危機がすぐに克服されるわけではなく、その先には数多くの課題があります。なかでも重要なものとして、和解があげられます。つまり、ビルマ人とロヒンギャの間の相互不信や憎悪を和らげることが、ミャンマーの長期的な安定には欠かせません。

 かつて南アフリカでは白人による有色人種の支配が合法化され、1960年代から双方の対立が激化しました。1991年にこの人種隔離政策(アパルトヘイト)が終結した後、南アフリカ政府は「真実和解委員会」を設置。裁判所と異なり、刑罰を科さないことで逆に証言しやすくすることで、旧体制のもとでの人権侵害や迫害について明らかにしていきました。この取り組みは「復讐ではなく理解すること、報復ではなく償うこと、処罰ではなく赦しが必要である」という考え方に基づくものでした。

 社会を分裂する対立があった場合、その相互不信を乗り越えなければ、一つの国としてやっていくことは困難です。刑罰を科すことを目的とせず、被疑者の証言を集めることで事実を究明し、赦し合うことで社会の安定が保たれることを、南アの真実和解委員会は示したといえます。

 今回の訪問で河野外相はスー・チー氏との会談で和解にも触れ、「最大限の支援」を約束しています。これは復興支援にとどまらないミャンマーの安定を視野に入れた提案といえます。

 ただし、それは平たんな道ではないとみられます。和解を促すためには、多くの犠牲を出したロヒンギャの側だけでなく、迫害を主導してきたミャンマー軍や過激派仏教僧などにも働きかける必要があります。しかし、特に後者に関して、スー・チー氏率いる政府が軍や仏教ナショナリストに左右されやすいなかで和解は困難です。

 したがって、和解を進めるためには、世論に振り回されるのではなく、むしろ世論を主導できるリーダーシップが欠かせないといえます。それを期待できるのは、現状では「張り子の虎」になっているとしても、結局スー・チー氏しかいません。

 その意味で今後、日本政府が和解を促し、ロヒンギャ危機の克服に向けた取り組みを進めるなら、遅かれ早かれスー・チー氏がリーダーシップを発揮しやすい環境を生み出す支援にまで踏み込む必要があります。内政不干渉に縛られがちな日本政府にとって、それはひとつの冒険になるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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