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シリア化学兵器廃棄に向けた米露合意の意味:当面の軍事介入は後退したが・・・

六辻彰二国際政治学者

米露合意への道程

14日、米国のケリー国務長官とロシアのラブロフ外相が、シリアが保有する化学兵器の廃棄に関する枠組みで合意しました。内容としては、今年11月までに国際査察団がシリア入りして製造施設を閉鎖すること、2014年半ばまでに材料を含め、すべての化学兵器をシリア政府が廃棄すること、などが含まれます。米露当局者がシリアの保有する化学兵器の量は約1000トンと見積もる点でも一致しています。

8月、「アサド政権によって化学兵器が使用された」とする見方を背景に、西側諸国政府の間にはシリアへの軍事介入を是認する意見が広がりました。9月初頭に開かれたG20会合では、米国をはじめ日本を含む11か国がシリア政府の責任と、これに対する強い制裁の必要を強調する声明を発表しました。

一方、これまでと同様、シリア政府と長く友好関係を保ってきたロシアは、シリア反体制派が化学兵器を使用したと主張したうえで、国連安保理での決議を経ない軍事介入は違法だと強調。安保理での拒否権をもつロシアのこの声明は、事実上西側諸国によるシリア介入を阻む意思表示となったのです。やはり国連安保理の常任理事国である中国も、従来と同様、軍事介入に反対する立場を明示してきました。

数千年前から、今のシリア一帯は、アジアとヨーロッパ、そしてアフリカを繋ぐ交通の要衝として、幾多の民族や王朝が攻防を繰り返してきました。現在のシリアを挟んで西側諸国と中露が対峙する状況は、今回の米露合意で変化するのでしょうか。

西側の国内世論とロシア

8月以来、米英仏を中心とする西側諸国は、「アサド政権が反体制派に向かって化学兵器を使用したことは人道上容認できない」ことを大義として、軍事介入を掲げてきました。今回の合意により、アサド政権が化学兵器を放棄することで、米国などが主張していた軍事介入は、少なくとも当面、回避されることになりました。

英国議会がシリアでの軍事活動に反対したことに象徴されるように、西側諸国内部では政府と国民の間の温度差が明確です。今月10日に発表された米国ウォールストリートジャーナル紙の世論調査でも、「議会はシリアへの軍事介入に賛成すべき」は33パーセントにとどまりました。政府当局者たちの予想以上に国民の拒絶反応が強いことに鑑みれば、今回の合意によってオバマ政権は「国民に不人気な戦争を始めた」という批判をあびる(国内政治上の)危険を回避できたといえます。

一方、これまで国連安保理での対シリア制裁決議で再三拒否権を発動してきたロシア政府が、今回米国政府に働きかけ、アサド政権に化学兵器の廃棄を認めさせる内容の合意を形成したことには、その規範的な評価はさておき、二つの意味で現実的な判断だったといえます。

第一に、米英仏など西側政府の態度が、シリア内戦発生以来、これまでになく強硬で、安保理決議を経ない軍事介入という最終手段すら遡上に上ったことが、ロシア政府をして、やはりこれまでになくアサド政権に譲歩を求める行動に向かわせたことです。1999年のコソボや2003年のイラクなど、西側諸国が場合によっては安保理決議を経ないでも、「人道」や「大量破壊兵器の保有」を錦旗に軍事介入を行ってきた歴史を振り返れば、そしてその度に友好的な政府を失ってきたロシア政府にしてみれば、これ以上は放置できないタイミングだったといえるでしょう。

第二に、西側内部の厭戦気分を見逃さず、これを活用した点です。ロシアのプーチン大統領は、11日付のニューヨークタイムズ紙に寄稿し、シリアへの軍事介入がより一層の混乱をもたらす危険性を説き、そのうえで米国が(他国の問題であっても介入できる)例外的、特別な国であるという「米国特殊論」を批判しました。この寄稿を掲載したことに米国内部では批判も噴出し、NYタイムズは釈明に追われました。しかし、誤解を恐れずに敢えて言えば、一般的に米国市民は外国の元首・政府の意向など気にすることは滅多になく、それを「今回に関してはプーチン氏の意見を知りたいとする読者のニーズがあった」というNYタイムズの釈明そのものが、米国の厭戦気運を象徴しています。

ロシア政府の立ち回りは、国内世論が軍事介入に否定的なことに不安感を抱く西側諸国政府の急所を押さえ、これをテコに西側からの譲歩をも引き出すものだったといえるでしょう。

シリアにとっての米露合意

いわば自分を挟んで大国がせめぎあう中、シリア政府にとって今回の合意はどんな意味があるのでしょうか。

その保有は認めながらも、一貫して化学兵器の使用を否定してきたシリア政府は、今回の合意によって「シリアに対する戦争を求めていた者たちの口実は否定された」「ロシアの友人のおかげで達成されたシリアの勝利」と歓迎する声明を発表しています。一方、シリアは化学兵器の使用を禁じた化学兵器禁止条約に加盟するための文書を国連に送り、同条約を順守する方針を明示しましたが、同時に米国などに対して軍事攻撃の威嚇や、反体制派への協力をやめることを条件にしています。言い換えれば、「米国の脅威」を建前にすることで、化学兵器を保有し続けることすら可能です。

それに加えて留意すべきは、誰が化学兵器を使用したにせよ、少なくとも今回の合意で、「化学兵器を廃棄する主体」としてアサド政権はその立場を保全することができました。空爆に限定され、アサド政権を倒すほどの軍事介入は想定されていなかったとみられているものの、ともあれアサド政権は自らの立場を維持できたことになります。のみならず、今回問題となった化学兵器が、本当に廃棄されるかは不透明です。シリアの反体制派からは、既に化学兵器がリビア、イラン、レバノン、イラクなどに持ち出されたという主張が漏れ聞こえます。

これらに鑑みれば、今回の合意はロシアからみれば外交戦の勝利を、アサド政権からみれば延命を意味する一方、「化学兵器の使用」を大義としながらも、より根本的な部分でアサド政権が目障りな西側、なかでも米国からすれば得るもののほとんどなかったことを示します。

合意順守の可能性は低い

繰り返しになりますが、今回の合意で当面の軍事介入は遠のきました。しかし、一方で、アサド政権が存続し、内戦が継続する状況には何も変化がありません。11日、国際赤十字委員会のマウラー委員長は、化学兵器疑惑と同程度の努力を、シリア国内の人道状況の改善に向けてほしいと国際社会にアピールしました。内戦状態のなか、赤十字でさえ活動できないエリアが複数あるだけでなく、既に赤十字スタッフ22名が命を落としており、これはマウラー委員長によれば「赤十字の記録に残るなかで最悪の規模の死者数」です。

反体制派は武力によるアサド政権を叫び、反体制派、政府のいずれを支援するにせよ、既に近隣諸国から多くのイスラーム過激派が流入し、入り乱れて戦闘が行われている状況下では、政府の意思がどこまで貫徹されるかは、そもそも不明確です。つまり、仮にアサド政権にその意思があったとしても、化学兵器の廃棄が順調に進むと想像することは困難なのです。

のみならず、化学兵器を含む大量破壊兵器は、実際に使用するより、自分が保有していることを敵対する相手に認識させ、攻撃を思いとどまらせる抑止効果のほうが、大きな意味があります。そのため、敵対的な姿勢で迫れば迫るほど、より放棄させることが難しくなるジレンマがあります。実際、これまでに大量破壊兵器を放棄した南アフリカやリビアは、西側諸国との関係改善を模索する中でこれを実施しました。逆に、近くでは北朝鮮が「日米の脅威」を口実に核放棄を進めないことは、これの裏返しです。

これらに鑑みれば、今回の合意で示された枠組み通りに、シリアにおける化学兵器の廃棄が進むとは考えにくいと言わざるを得ません。既に、米英仏は「アサド政権が合意を順守しなかった場合の制裁」を強調しています。「化学兵器を実質的には廃棄しないで、政権も維持する」という最大の利益をアサド政権が目指せば、今度こそ軍事介入が行われる公算は極めて高いといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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