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アルジェリア政府はなぜ急速に軍事行動に踏み切ったか (2)

六辻彰二国際政治学者

アルジェリアと欧米諸国の微妙な関係

第二に、アルジェリア政府と西側先進国、なかでも欧米諸国との関係です。独立以来、歴代の世俗的なアルジェリア政府は、旧宗主国フランスをはじめ、欧米諸国と友好関係を保ってきました。多くのアフリカ諸国に対して、援助を盾に民主化や人権保護を強要してきた欧米諸国が、先述したアルジェリアにおける1990年の軍部による選挙介入に対しては批判らしい批判をせず、援助額もほとんど減らなかったことは示唆的です。つまり、アフリカ大陸第3位の産油国であることに加えて、その世俗的な権威主義体制がイスラーム主義の拡大を防ぐ防波堤であることから、欧米諸国はアルジェリア政府をほぼ一貫して支持したのです。特に米国主導の「テロとの戦い」は、ブーテフリカ政権にとって、自らの強権的支配を国際的に認知させる追い風になったといえるでしょう。

ただし、2000年代半ば以降、その関係には微妙なすきま風が吹き始めました。特に、特別な関係にあるフランスとの摩擦が顕在化したのは、2004年にフランス議会が歴史教科書の改訂を命じる法律を制定したことが、大きなきっかけでした。この法律では、フランスの過去の、特に北アフリカに対する植民地支配の「肯定的な側面」を歴史の授業で教えることが定められたのです。これをきっかけにフランスとの緊張が高まるなか、アルジェリア政府はロシアからの兵器輸入を増やしたり、中国向けの天然ガス輸出を増やすなど、欧米諸国と距離を置く姿勢をみせるようになります。

これに拍車をかけたのが、先述の「アラブの春」でした。「アラブの春」の到来は、資源と「テロとの戦い」を理由に、ほぼ無条件に中東・北アフリカの権威主義体制を支持してきた欧米諸国に、軌道修正を求める効果をもちました。エジプトを30年間に渡って支配したムバラク大統領が、市民の抗議活動で失脚したことで、友好関係を築いてきたワシントンの(少なくとも自称するところでは)「民主主義の守護者」としてのイメージは地に落ちたばかりか、米国は中東における忠実な友好国を失うことにもなったのです。

ソーシャルネットワークの普及で市民の発言力が飛躍的に向上するなか、米国をはじめ欧米諸国は(その実態はさておき)これまで以上に人権保護と民主主義を尊重する姿勢を強調するようになっています。そのため、市民の抗議活動を取り締まるブーテフリカ政権は2010年以降、少なからず欧米諸国からの批判に晒されてきたのです。これに対して、ブーテフリカ政権は2011年のリビアにおける軍事介入に関して、NATOの軍用機がアルジェリア領空を通過することを拒絶するなど、両者の確執はより鮮明になっていきました。欧米諸国が産油国アルジェリアにとって大口の顧客であることには変わりないため、その関係が抜き差しならない緊張状態に陥ることはありませんでしたが、それでも現在において両者が、必ずしも友好的でないことは確かです。

大国との駆け引き

この文脈に照らせば、早期に武力突入する決定をすることは、ブーテフリカ政権にとって二重の意味があったといえるでしょう。一つには、米国の動きがありました。事件発生から間もない16日、米国政府のパネッタ報道官は「必要な措置をとる」と述べ、マリに派遣予定だった米国の特殊部隊が、命令から4時間以内に即応できる態勢を整えましたが、アルジェリア政府はこれを拒絶したと伝えられています。

2001年以降の米国は、「テロとの戦い」を錦旗として、他国に軍事介入する傾向があることは、言うまでもありません。もちろん、アフガニスタンやイラクが泥沼化したことから、かつてほど一方的に介入することは考えにくいとしても、人質のなかに米国人がいることから、米軍が軍事活動を起こす可能性は否定できない状況にあったのです。必ずしも友好的でないという背景のもと、ブーテフリカが米軍の行動に警戒感を抱いたであろうことは、想像に難くありません。また、米軍がアルジェリア情勢に関与すれば、「内政干渉を許した」として、反米的な国民からだけでなく、頼みの綱の軍からも批判を受けることになりかねず、ブーテフリカ政権にとっては早期に突入することでこれを回避するインセンティブが働いたと考えられます。

もう一つは、フランスに対する「貸し」です。人質事件の実行犯らは、今月12日に始まった、隣国マリのトゥアレグ民族解放戦線とイスラーム組織アンサル・ディーンに対するフランス軍の攻撃を停止することを要求しています。アンサル・ディーンはAQIMと繋がっているため、アルジェリア政府にとっても、フランス軍によるマリでの軍事行動には利益があります。その一方で、人質のなかにはフランス人もいますが、オランド大統領は攻撃を継続する姿勢を崩していません。しかし、事件が長期化すれば、フランス国内の世論がどのように変化するかは不透明です。いわばアルジェリア政府が短期決戦で事態の収拾を図ることは、マリでのフランス軍の軍事活動を支援するとともに、オランド大統領の政治的立場の悪化を回避するアシストになったといえるでしょう。

「テロとの戦い」を完遂するには

2013年1月19日現在、実行犯はいまだ人質の一部を盾に、石油施設の一角に立てこもっていると伝えられています。

民間人を人質にする行為が非難されるべきことは言うまでもなく、人質にされた方々の無事を願わずにはいられません。同時に、結果的に日本人を含む多くの人質の生命が失われた突入作戦には、いかに「テロリストと交渉しない」ことが政権の存立基盤であるとしても、あるいはその最終決定権がアルジェリア政府にあるとしても、疑問を呈さざるを得ません。

その一方で、海外に出て行く機会が増える一方で、イスラーム過激派の活動はより活発化しており、人質をとるという行為が容易になくなるとは思えないことから、今後ますます日本人が同様の事件に直面する可能性は否定できません。特に、アルジェリアとマリを含む、北アフリカから西アフリカ、さらにソマリアなど東アフリカにかけての一帯は、アル・カイダをはじめとする国際テロ組織の流入が顕著で、過激なイスラーム主義組織に吸収される貧困層にはこと欠かない地域です。この地域で雨後の筍のように出現するイスラーム主義組織の多くは、アルジェリアと同様に、当該国の政府に対する不満が、その培養層になっています。

軍事的な活動に制約のある日本としては、これらの地域の経済成長に協力し、貧困をなくすことが、長期的な「テロとの戦い」に勝利する道になるでしょう。しかし、それだけでなく、自らの権益に関わるために、当該国政府が気乗りしない、公正な分配や政府の透明性の向上に資する国際協力を実施することが、迂遠ではあっても、テロをなくすことに繋がります。経済・財政状況が厳しいなかで、そのような国際協力を惜しまないことは大変かもしれません。しかし、天然資源を確保するために当該国政府との関係のみを顧慮することより、海外で日本人が安心して活動できる環境を整備することの方が、真の国益であるとするならば、そのための投資は惜しむべきではありません。今回の凄惨な事件は、日本の開発途上国への関わり方を考える一助とすべきなのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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