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中国・反日デモの後始末:「終わり」から「始まり」への転換点になるか

六辻彰二国際政治学者

嵐の後

日本政府による尖閣諸島国有化を直接的なきっかけとする中国での反日デモは、中国政府による押さえ込みにより、9月19日には概ね収束しました。今回のデモや破壊行為は、日中間の関係を再考する契機になるといえるでしょう。

今回の出来事の導火線は、今年4月16日の石原東京都知事による尖閣諸島購入計画の発表にありました。昨年の中国漁船と海上保安庁巡視船との衝突事件や、中国海軍の海洋進出を受け、東京都が地権者から尖閣諸島を買い上げるという計画には全国から寄付金が集まりました。その総額は9月20日現在、102,816 件、約14億7400万円にのぼります。

その寄付金の集まり方からみれば、尖閣諸島が日本の領土であるという主張、そして中国に対する根深い不信感を隠さない石原都知事の計画は、― その良し悪しはともあれ ― 少なからず世論の支持を集めたように思われます。同時にまた、当初は政府の関与を拒絶しながらも、途中で国有化を容認する姿勢をみせ、さらに集まった寄付金を次期政権に委ねる方針を示したことは、少なくとも結果的には、解散・総選挙を睨んで民主党を揺さぶる効果があったといえるでしょう。

ただし、地方自治体あるいは政府が保有すると宣言すれば、中国を刺激するであろうことは火をみるより明らかで、その意味で丹羽・元中国大使がこの計画に「日中関係に深刻な影響を及ぼす」と懸念を示したことは ― 政府見解と異なるという批判を浴びたものの ― ごく常識的な意見だったとさえいえます。ただし、この見解は、あくまで今の日中関係を所与のものとする、現状追認に過ぎない点も、見過ごすことはできません。つまり、尖閣諸島をめぐる国内の意見は、中国に対してあくまで強硬に領有権を主張することで世論の支持を集める立場と、現在の経済的な関係をとにかく崩さないように腐心する立場に大きく分かれたとみることができます。

嵐を呼んだ、中国国内の問題

その一方で、今回の反日デモ・暴動は、中国の国内情勢を改めて浮き彫りにしました。歴史認識や愛国教育に根ざした対日不信や、ソーシャルネットワークの普及がその背景にあることは確かですが、それだけでなく現下の格差や経済停滞に対する社会不満も無視できません。実際、例えば日本企業で働いている人がデモに参加したという話は聞きません。つまり、生活に対する不満がデモや暴動の一つの大きな原動力であったといえるのです。

日常に対する不満を政府に直接ぶつけることは、政治活動が制限されている今の中国では困難です。ところが、反日デモなら当局もある程度容認します。逆に、日中間の経済関係を優先させて、デモをあまり迅速に取り締まれば、政府そのものが批判の対象にもなります。そのため、ある程度ガス抜きをさせておいて、適当なところで引き締める、というのが中国政府の常套手段になっています。今回も、19日に警察当局がデモに参加しないように通達するメールを配信した途端、デモ参加者は姿を消しました。いわば、日本をサンドバックにすることで、中国政府は国民の不満を慰撫しているといえるでしょう。

いずれにせよ、日本大使館だけでなく、日本の民間企業や日本市民までが襲撃される事態を引き起こした点で、今回のデモは明らかに行き過ぎで、許容できるものではありません。戦時下に置いてすら、国際法上、民間人の生命、財産、安全は保護されるべき対象となっています。これを保護できず、さらにまた当事者を法的に処分できないのであれば、中国は「無法国家」の謗りを免れないのです。

尖閣問題の解決法とは

今回の出来事は、日本政府にも大きな課題を残しました。9月20日、藤村官房長官は大使館被害に対して中国に賠償を請求すると明言したものの、民間企業などの被害については基本的に中国の国内法に基づいて解決されるべき問題とし、企業などから相談があれば政府も支援すると述べるにとどまりました。つまり、「政府は民間人の生命や安全の保護を積極的に求めることはしない」という主旨になります。同時にそこからは、とにかく経済関係を維持するために、中国との関係回復を急ごうという姿勢をうかがうことができます。

中国が日本の重要なビジネスパートナーであることは確かですし、関係回復も重要です。また、中国側もデモの本格的な押さえ込みにかかったように、日本との関係修復を図っていることは間違いないでしょう。しかし、それは一時的に不満を押さえ込んだだけに過ぎず、問題は何も解決していないのです。つまり、いつ再燃するかわからない問題を抱え続けることに、変わりはありません。

では、尖閣諸島の問題はいかにして解決が可能なのでしょうか。とれる手段は、そう多くありません。

一番シンプルな発想としては、軍事的な解決があります。1982年に、イギリスとアルゼンチンの間でフォークランド諸島の領有をめぐって争われたフォークランド紛争のように、軍事的に白黒をつけるのは、確かに一番分かりやすい手段でしょう。しかし、いうまでもなく戦争は避けるべきですし、両国の経済関係に鑑みれば、よほど偶発的な衝突でも発生しない限り、日中両国政府はこれを回避しようと努めるでしょう。

次に、経済的な対抗措置で圧力をかける、というものがあります。中国は既に、日本からの輸入品に対する審査を強化して時間をかける措置にでており、これは事実上の経済制裁とみてよいでしょう。日本企業のなかにも中国撤退を検討しているところがあり、これも中国政府に対して一定のプレッシャーになるでしょう。しかし、再三言うように、お互いに最大のビジネスパートナーである以上、経済的な対抗措置は両刃の剣で、長く続けることはできません。

では、外交はどうでしょうか。賠償請求や、国際的に自国の主張の正当性をアピールする取り組みは不可欠です。しかし、基本的に領土問題は「とるか、とられるか」、言い換えれば「全部か、ゼロか」というゼロ・サム・ゲームになりがちです。「共同管理」という選択は、現実的かも知れませんが、お互いの国内世論から受け入れられやすいものではありません。とすると、外交交渉のみで決着をつけることは、これまたほぼ不可能です。

そうだとすると、最終的に実効性のある手段としては、司法しかないように思います。つまり、竹島領有をめぐる韓国との間の問題で採用した、国際司法裁判所に付託する選択を、尖閣に対しても適用する、ということです。これに対しては、「竹島と違って、尖閣は既に日本が実効支配しており、『領土問題はない』のだから、国際司法裁判所に付託することは中国に譲歩することだ」という批判があり得るでしょう。しかし、竹島問題で韓国が「領土問題はない」と強調して協議を拒むことが問題解決を遠のかせるばかりか、日本の反発を加熱させるように、原則に基づいて「門前払い」することが、事態を悪化させることは否定できません。むしろ、日本の主張が正しく、中国側の言い分が「言いがかり」だと確信しているなら、尖閣の問題を国際司法裁判所に付託することに躊躇する必要はないはずです。仮に中国が乗ってこなければ、それはそれで日本の言い分の正しさを国際的にアピールする条件にもなります。

経済のみで考えない国家関係

繰り返しになりますが、デモの鎮静化は中国当局が両国関係を考えて押さえ込んだものに過ぎず、中国国民の間の様々な不満が解消されたわけでも、尖閣問題が根本的に解決したわけでもありません。いわば、問題が潜在化しただけであり、中国国民の間の「押さえ込まれた不満」がこれに加わる悪循環は断ち切れていません。

これまで、歴史認識をはじめ、いくつもの課題が、経済関係の維持を優先させるという日中双方の利害の一致により、棚上げにされてきました。それは現実的な判断であった一方、経済関係が深化すれば相互理解が進むはず、という淡い期待に基づいていたようにも思われます。両国間の経済関係は日本にとっても不可欠のものですし、それ自体を否定することはできません。しかし、いかに経済関係が深化しても、それは国家間の戦争を回避することはできても、それだけで両国の国民の間にある不信感を解消したり、まして中国国内にある反政府感情を緩和することはできません。

そのなかで、「実効支配」を掲げて中国との協議機会すら拒絶することが、逆に中国国内の反日世論、ひいては今回のデモや暴動に絶好の口実を与えてしまったことも確かです。その意味で、「経済関係があるから現状をとにかく維持するためにあらゆる問題にフタをする」という選択は、「たとえ軍事的手段によってでも中国を押さえつけるべき」という意見と同じくらい無責任なものです。尖閣問題が両国で国内政治の道具に利用され、それが日中両国間の関係悪化を助長する負の連鎖を断つ時期にきたといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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