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国民民主党・玉木雄一郎代表が指摘する自民党改憲案の問題点とは(講演全文)

室橋祐貴日本若者協議会代表理事
日本若者協議会主催勉強会で講演する国民民主党の玉木代表(撮影:日本若者協議会)

2019年10月4日召集予定の臨時国会で焦点となる憲法改正議論。

9月27日、国会内の勉強会(主催:日本若者協議会)で国民民主党の玉木雄一郎代表が自民党改憲案や私案について語った。

憲法9条については、自身のYouTubeチャンネル「たまきチャンネル」で解説した回を紹介しながら、問題点を指摘。

【憲法9条】違憲論争について(前編)

【憲法9条】改憲問題について(後編)

その上で、憲法9条や他の点についてどのように考えていくべきなのか、自身の考えを語った。

講演の内容を全文で紹介したい。(以下、玉木代表の講演。見出しと太字は筆者)

平和主義とは何か?

「憲法の3原則の一つである、平和主義とは何か。何をすること、何をしないことが平和主義なのか。

ある人は、完全に非武装中立。攻撃されようが何されようが、一切の武器を持たない、武力行使をしない。それを平和(を実現する方法)と定義しているかもしれない。

またある人は、平和を守るために、むしろ強力な武器と武力を持って、ありとあらゆるものを駆逐してしまおうと。つまり潜在的な敵を殲滅すると。それが、平和を実現する方法と定義しているかもしれない。

中には、攻撃されて、我々の平和な生活や領土・領空・領海が侵された時には守るけども、他国にまでは出かけて行って武力行使しませんよ、と平和主義を定義している人もいるかもしれない。

平和とは何か、平和主義とは何か、考えたことがありますか?

憲法論、特に9条を議論する時に一番大事なのは、みんなが当たり前だと思ってきた平和主義ということが一体何なのか。それを戦後、国民がまとまって一回も考えてこなかったことが問題だと思っています。

私にとって平和主義とは何かというと、一体どういう状況になったら、日本国民は戦争を覚悟するのかという、その共通の理解が日本の平和主義だと思う。

攻撃された時に守らないと、我々の生命も財産も守れない。でもどんな状況になったら、我々は国民として戦争を覚悟するのか。武力を行使して、我々の家族や故郷、領土も領空も領海も戦火を交えることを覚悟できるのか。

その範囲と条件は一体どういう時なのか。このことを考えるのが安全保障の議論であり、憲法の議論であり、平和の議論だと私は考えています。

何もない中で、全く武力を持たないで、平和の旗を掲げて万歳していくだけでは平和は手に入りません。厳しい国際環境の中で、現に武力を持ち、一定の攻撃を仕掛けようと時々見せる国や地域がある現実の中では、やはり一定の武力は不可欠だと思います。

でもだからと言って、武器を使って他国の領域に出ていって武力を行使しまくることも、おそらく平和には繋がらないし、多くの日本国民はそのことを求めていないと思います。

じゃあどういう時に、我々は武力を行使するのか。あるいは、武力行使が正当化されるのか。そのことのコンセンサスを国民のみなさんと丁寧に作り上げていく議論が9条改憲の議論だと私は思っています。」

2014年の解釈改憲でほぼ何でもできるように

「そういうことをやった結果、何も変えない方が良ければ何も変えない方がいい。

でも私は、今の9条の一番の問題は、『戦力を保持しない』と書いてあるにもかかわらず、ほぼ何でもできることにあると考えています。

なぜ(ほぼ何でもできる)かと言うと、解釈改憲を繰り返してきたから

しかも、『戦力を保持しない』と書いてある条文のもとで、集団的自衛権まで一部認めるようになった憲法9条の2項は完全にその規範性を失っている。

もっと分かりやすくいうと、今まではそうは言っても、ライオンが暴れないように、檻の役割を一定程度果たしてきた。もともと、戦力不保持と言いながら、『ちょっとずついいよ』と認めてきて、でもここから先はだめだと言ってきた。

例えば、自国が攻撃された時には反撃はいいけど、自国に対して直接の攻撃がない場合に武力を行使するのはだめだと、ある種の檻があった。

でも2014年に、集団的自衛権を認めることを解釈で認めた瞬間に、ライオンは檻の外に出てしまった。

だから9条2項にいくら『戦力不保持』だと書いてあっても、ライオンの行動を制御するための檻としての機能を果たせなくなっている。

だから、考え方は2つある。

一つは、ライオンが檻の外に出てしまったのに、やっぱり檻が大事だから、檻を大事にしましょうと檻を崇め奉って、9条2項のままにしておけば、平和が訪れるという考え方。

私はこの局面は終わったと思っていて、武力行使の範囲を一定程度にとどめるのであれば、新しい檻を用意しない限りは、今の日本の自衛隊の武力行使の範囲は檻の外にあるので、ほとんど制約がかからなくなる。

私は外交官もやっていましたが、日本にとって最も気になる存在はアメリカです。

自民党案で言う、『(国及び国民の安全を保つために)必要な自衛の措置をとることを妨げず』と言った時に、必要性があれば武力行使できます、というところまで広げてしまうと、その必要性の多くはアメリカが判断することになる。

つまり、日本国の判断として、ここまで必要だから武力行使しようとか、主体的にずっと認められるのであればいいんだけど、やっぱり戦争に負けて敗戦国としてスタートして、日米同盟がある中においては、必要性があれば武力行使できます、としか書かなければ、結果その必要性の多くはアメリカが決めることになる。

いい悪いは別として、米軍と自衛隊の一体性というのはこの間ずっと強まっている。それは日米同盟があるから、一体として行動することは必要なんだけども、曲がりなりにも我が国は独立国ですから、自国の実力組織がどういう時に武力行使をして、場合によっては、国民を戦争に巻き込んでいくのか。攻撃された時には我々も反撃しないといけないし、それは国民として覚悟しないといけない。

タダで平和は作れない。」

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(撮影:日本若者協議会)

重要なのは組織名ではなく、自衛権の範囲をどうするか

「ただ、関係ない戦争に『お前行け』と言って、付き合わされるほどバカなことはないし、そんな税金の無駄遣いもない。

だから、9条2項を考える時に重要なのは、『自衛隊』という組織名を書くことではなく、5兆円の規模で存在する自衛隊が一体どこまで自衛権を行使できるのか、あるいはその条件は何なのか。自衛権の範囲を議論することが最も重要。

組織の名前は書いても書かなくてもどっちでもいい。

憲法上、組織名を書いてあるというのはほとんどない。自衛隊を書くのであれば、防衛省も書くという話になってくる。

むしろ大事なのは、自衛権の範囲を一体どこまで認めるのか、憲法上、再定義しなければいけないのではないか、というのが私の問題意識です。

先ほど述べたように、新しい檻の形を憲法上、明確に示す必要があるのではないか。もっと言うと、我が国が当たり前のように考えてきた平和主義とは一体何なのか。どういう時に我々は戦争を覚悟するのか。武力行使と武力行使によって伴う様々な被害を我々全体として受忍するのか、ということを正面から議論しきることが、憲法の議論において不可欠だと思います。

それを誤魔化して、『組織名だけ書きました』とか『自衛隊の息子さん娘さんがいじめられて泣いています』とか、そうじゃなくて、我々はどういう時に戦争を覚悟するかなんです。

例えば、アフリカに来いと、アメリカとかに言われた時に、お付き合いして、それで自衛隊の方が亡くなることを覚悟することまで含めて、自衛隊の武力行使の範囲を広げるのか、それとも一定程度攻撃を受けた時だけに限定するのか。

あるいは、最近は、軍事技術の発展と共に、様々な反撃の形態が増えてきているので、例えばイージス艦はいくつかありますが、実際にミサイル防衛をやる時は、データ・リンクを張って、まるで一隻のように行動します。

ミサイルが飽和攻撃で飛んできた時に、コンピューター計算を瞬時にして、どのミサイルに対して、どの船のどの砲台が最も適切に最短で打てるのか、というのを同時に計算しています。

だから、船が複数あったとしても、例えば3隻でミサイル防衛した時に、データで繋がるので、まるで一隻の大きな船になっていて、たまたま日本の船が攻撃を受ければこれは個別的自衛権、でもたまたま同盟国のアメリカの船に着弾すれば形式的には集団的自衛権になる。

自国の船が攻撃されていないのに、反撃したら集団的自衛権ですから。

ただ、このデータ・リンクを貼って一体としてやっている場合に、たまたまファースト・ストライクがアメリカの船に当たった時には、これは日本に対する攻撃と見なしても良いと、広い意味での個別的自衛権の範囲として考えてもいいんじゃないかと。

軍事技術の発展によって、法的概念も多少の広がりと揺るぎと柔軟性が出てきているので、一体どこまでやるのかということをきちんと、憲法上であれ法律上であれ、考えていくことが必要だと、私は提起しています。」

平和的改憲論

「単に9条を一字一句変えないままでいくと、今みたいに何でもできてしまう。

むしろちゃんと、9条2項で明確な戦力として認めた上で、『ここまでですよ』と武力行使の範囲をきちんと議論していくことが憲法上、一番誠実な議論ではないかと思います。

もちろん最終的に9条2項を変えないという選択もありますが、それは結局無限の武力行使を許してしまうことになる。

実際、アメリカともいろんな話をしますが、2014年の解釈改憲をやる前は、アメリカから9条2項を変えてくれと様々な要請を受けていましたが、集団的自衛権を9条2項をそのままにして認めた以降は、何も言ってきません。

なぜかというと、何でもできるから。

つまり、9条2項は一定の制約を日本の自衛隊に課す機能を失っている。だからアメリカは言う必要がなくなった。

それはやっぱりおかしいと思うので、新たな檻を、軍事的公権力の行使をきちんと縛っていく新しい檻を議論していかないと、日本の平和主義は守れないんじゃないかと。

そういうことで、私は平和的改憲論を本会議でも提案させてもらって、9条の2項を虚心坦懐議論した方がいいんじゃないか。

新しい檻の形を国民のみなさんと考えていかなければいけないのではないかと、提案しています。

ですから、9条を変えないと平和で、変えたらとにかく軍拡だ、という単純な議論から抜け出て、本当に何が必要なのか、特に日本が守ってきた平和主義と制度的な乱用を縛る新しい檻の形は何なのか、若い人たちと議論を積み重ねていきたいと思っています。」

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(撮影:日本若者協議会)

同性婚や食料安全保障について

「今日は9条を重点的に話しましたが、9条以外にも、例えば同性婚。

日本でも同性婚の法律を作ろうという議論があります。

憲法の中には婚姻の条件として、『両性の合意に基づく』と書いてあります。

両性というのは、異なるSEXということ。男女ということですが、厳密に読むと、『両性の合意』だから同性では結婚できないという風にも読める。

だけど、これは解釈上、日本国憲法は同性婚を否定したものではないと、固まっています。現行の憲法の中でも、同性婚は認められます。ただ、解釈改憲がだめだと言う人もいる。

『両性の合意』と言いながら、同性婚が認められるのも、解釈改憲なんです。

憲法の規範性をより明確にするのであれば、『両性』ではなくて、『両者の合意』と書けば、明文上も明確に同性婚が認められるようになる。

これは、リベラル側からの改憲論として十分あり得るんじゃないかと思います。

9条に関しては解釈改憲がだめで、(同性婚に関しては)急に解釈改憲でいいんじゃないか、というのはダブルスタンダードにもなる。

もう一つは、食料安全保障の規定を入れるべきだというのが、従来からの私の主張です。

今は、日本の食料自給率は38%ぐらいで、お金さえ出せば世界中から買えますが、2020年代、2030年代、2040年になると確実に、食料を巡る大戦争になります。

そうすると、一定程度、国内で日本人が日本国民に食べさせる食料は確保する、食料安全保障を考えないと、大変な時代になるんじゃないかと。

今も水産物なんかは、中国に買い負けしていて、十分な量を買えなくなってきていますから。

やっぱり食料安保は非常に重要だと思います。

2017年に、スイスは憲法に明確に食料安全保障を書きました。

いくつか理由を掲げていて、その一つが、日本も非常に参考になると思うんですが、人口が都市に集中しないようにするためにも、一次産業が大事で、食料安保が大事だと書いています。」

104条のa 住民への食料の供給を保証するために、連邦は以下を支える条件を整備しなければならない。

 a. 農業生産基盤、特に農地の保護

 b. 地域の条件に適合し、天然資源を効率的に使用する食料生産

 c. 市場の要件に対応する農業および食品部門

 d. 農業および食品部門の持続可能な開発に貢献する国際貿易

 e. 天然資源を保全する方法による食物の使用

出典:スイス連邦憲法

「国の形をどうするか。農業が滅んでも、他の国から買ってくればいいじゃないか、というのも一つの考え方。

ただ私はそうじゃなくて、日本はこれだけの広い国土があって、北海道から沖縄まで様々な自然と植生がありますから、農業、漁業など、一次産業をちゃんと維持していくという意味でも、食料安保を憲法に書いていくことも議論すべきだと提案しています。

いずれにしても、幅広く、国のあり方、形を、憲法を議論することによって、みんなと考えていくことが大事だと思いますので、我々国民民主党は、憲法の議論をしっかりしていこうと、これからも進めていきたいなと思っています。」

・日本若者協議会とは

「若者の意見を政策に反映させる団体」として各政党との政策協議、政策提言を行っている団体です。具体的には、「被選挙権の引き下げや供託金の引き下げ」「審議会での若者比率の上昇」「若者担当大臣/子ども・若者省の設置」等を提言してきました。2016年参院選や2017年衆院選、2019年参院選では、主要6政党の公約に載せることに成功しています。2018年5月に発足した超党派の「若者政策推進議員連盟」では事務局を担当。個人・団体会員の合計は約4,100名となっています(2019年8月時点)。

https://youthconference.jp/

日本若者協議会代表理事

1988年、神奈川県生まれ。若者の声を政治に反映させる「日本若者協議会」代表理事。慶應義塾大学経済学部卒。同大政策・メディア研究科中退。大学在学中からITスタートアップ立ち上げ、BUSINESS INSIDER JAPANで記者、大学院で研究等に従事。専門・関心領域は政策決定過程、民主主義、デジタルガバメント、社会保障、労働政策、若者の政治参画など。文部科学省「高等教育の修学支援新制度在り方検討会議」委員。著書に『子ども若者抑圧社会・日本 社会を変える民主主義とは何か』(光文社新書)など。 yukimurohashi0@gmail.com

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