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本人に聞く「森保監督はどんな人?」熱い鼓舞、国歌斉唱の涙、物議醸したメモ渡しの真相まで

元川悦子スポーツジャーナリスト
熱くなる時はほんのわずかだという森保一監督(撮影:倉増崇史)

 2026年北中米ワールドカップ(W杯)に向け、3月のウルグアイ・コロンビア2連戦で新たなスタートを切った森保ジャパン。ドイツ・スペインと同居しながらベスト16進出を果たしたカタールW杯からのリスタートとなる2連戦は1分1敗という結果に終わったが、日本の悲願である「W杯ベスト8進出」に向け、さらなる進化が求められるところだ。

 指揮を執る森保一監督は勇気を持ってブレずに目標へと突き進むことができる熱血指揮官だ。2018年7月の代表監督就任から2022年カタールW杯に至る4年間でもさまざまな荒波を乗り越え、日本中が熱狂した大仕事をやってのけた。引き続き選手を信頼し、前だけを見据えて突き進んでいくはずだ。

 普段は穏やかで、自ら取材者のところに歩み寄って挨拶するような礼儀正しい人物だが、試合では国歌斉唱で涙を流し、容赦なく選手に檄を飛ばす。自身の監督像や感情の起伏などを本人はどう捉えているのか…。素の森保一は果たしてどういう人間なのか…。

 単独インタビューを通して深掘りしてみた。

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カタールW杯ドイツ戦の国歌斉唱で目を真っ赤にする森保監督
カタールW杯ドイツ戦の国歌斉唱で目を真っ赤にする森保監督写真:森田直樹/アフロスポーツ

「ひらめき型はダメでしょう(苦笑)」

──3月から始動した新生日本代表ですが、厳しい船出となりました。

「今回は優先順位を考え、今、やるべき一番のチャレンジポイントに集中してもらうべく取り組みました。サイドバック(SB)が中に絞る形のビルドアップがその1つ。わずか1週間の合宿で1から100まで全部伝えられるわけではないので、そういう形を取りました」

──コロンビア戦では上田綺世(セルクル・ブルージュ)と浅野拓磨(ボーフム)両選手の2トップという未知の布陣にもトライしました。カタールW杯でもそうでしたが、森保監督は勝負師というか、練習も含め過去に一度もやってない形をいきなり大一番で実行する大胆さがあります。ご自身はひらめき型なんでしょうか?

「ひらめき型はダメでしょう(苦笑)。選手に伝わらないんじゃ、無謀な策ですよ。W杯もコロンビア戦も、布陣変更したのは、局面で1対1を作って、それぞれのマークを明確にするという意図だったんです。今の日本人選手は強豪国の選手相手にマンツーマンで挑んでも十分勝てる。むしろ、1対1で勝てない限り、日本が世界で勝つことはできないと思っていますから。

 近年、選手個人のレベルが上がっているのは確かですし、局面で対峙する選手に勝つ責任を持ってほしいという要求もあります。私は選手のことを絶対的に信頼しているので、迷うことなく踏み切れました」

──コロンビア戦で浅野選手に渡したメモは、かなり物議を醸しましたね。

「みなさん、ネタを作りたいんでしょ(笑)。メモを渡すというのは監督になってから初めてでしたが、ミーティングでも言ってなかったことだったし、W杯からメンバーも変わって過去にやってきたことを知らない選手もいたので、『メモで伝えよう』と思いました。ヘンに策士とかじゃないですよ(笑)。

 ただ、メモの書き方が良くなかったですね(苦笑)。中盤をダイヤモンド型の4-4-2にしてマンツーマンで行くという指示だったんですが、CBの滉(板倉=ボルシアMG)と歩夢(瀬古=グラスホッパー)のところだけは、後手を踏むのであれば歩夢を前に、と矢印を書いていたのですが、その2人のところがうまく伝わらなかった。それで『3バック? 4バック?』という疑問になったようです」

コロンビア戦の布陣変更とメモ渡しの状況を冷静に説明する森保監督(撮影:倉増崇史)
コロンビア戦の布陣変更とメモ渡しの状況を冷静に説明する森保監督(撮影:倉増崇史)

「普段の自分は『淡々』『コツコツ』というタイプの人間です」

──森保さんは普段は穏やかですが、試合では国歌斉唱で号泣したり、身振り手振りで選手を激しく鼓舞したり、感情的な振れ幅が広い監督という印象です。

「それだと情緒不安定に見えますね(苦笑)。実は、普段の自分は喜怒哀楽があんまりなくて、『淡々』『コツコツ』といったタイプの人間です。代表の密着映像『Team Cam』などで興奮している姿を見る方も多いと思いますが、あれは本当に1000分の1とか1万分の1。試合の時は声のトーンとかが上がっていると思いますけど、正直言って、私自身の感情の揺れはそんなにないんですよ」

──国歌斉唱の時の涙は?

「あれは自然と高ぶってしまうんですよね(笑)。僕は1992年のキリンカップが選手としての代表デビューだったんですが、そのとき、国歌が全く違うものに感じられたんです。日本人である誇りと喜びが込み上げてくると言うのかな。それからは代表戦のたびに同じような感覚に襲われます。アジア最終予選やW杯はカメラが近づいてくるので、すごくテンパっているように受け取られがちですけど、『日本を代表して戦わせてもらえる。これほどの喜びはないな』と感じながら歌っていますね」

──なるほど。そんな森保さんが選手に最も荒々しい感情を出したシーンというのは?

W杯・コスタリカ戦のハーフタイムじゃないですかね。

 選手はもちろん頑張っていたし、W杯初出場の選手も複数いました。でも、球際でのバトルとか、足を出すとか、粘って奪うといった局面の戦いに負けていた。それはサッカーの基本中の基本。いくら技術や戦術があっても、そこが足りなければ、目標としている場所にはたどり着けませんから。

 ドイツに勝った直後、しかも日曜日のゴールデンタイムの試合ということで、ライト層のファンも沢山見ていたと思います。そこで『そこ勝てるでしょ』という分かりやすい部分で上回られていたらやっぱりダメ。『日本の選手は戦ってる』と伝えることが大切なんです」

──うまくいかなかった試合の後にヤケ酒を飲んだりすることは?

「お酒は飲まないんで、ないですね。ヤケになって何かをすることもないし、愚痴を言うこともない。特別なストレス発散方法もないんです。負ければもちろん悔しいし、壁とケンカしてることはあるかもしれませんが…(苦笑)」

時に表に出す感情の激しさは凄まじい
時に表に出す感情の激しさは凄まじい写真:ロイター/アフロ

──森保さんはご自身の性格を踏まえて、どのようなタイプの監督だとお考えですか?

「どうなんですかね…。みなさんは『動かない森保さん』と思っているんじゃないですか(笑)。どう思われますか?」

──「聞く力」の高い監督と言われますよね。柴崎岳選手(レガネス)らと長く話し込む場面はすごく印象的でしたし。

「聞きはしますけど、どれだけ反映させているかは分からないですよ(笑)。

 ただ、何か1つのことを決定するのに、選択肢を多く持っておいて、その中で一番いいと思うことを決断した方が勝つ確率を高められる。そう考えているところはあります」

──「森保さんは選手ファースト」と吉田麻也選手(シャルケ)が言っていました。

「一番はチームファーストですよね。それが選手ファーストになり、日本サッカーファーストにもなる。そこはブレずにやっているつもりです」

影響を大いに受けた恩師・オフト監督の言葉とは?

──参考にしている監督像はありますか?

「自分が初めて代表入りした時のハンス・オフトさんの影響はすごく大きいですね。

 学んだことはいくつもありますけど、まず基本を徹底することと、選手の良さを引き出すこと。私自身も能力を引き出してもらった1人です。高校までは攻撃的なプレーヤーだったのに、守備能力を評価し、適性を見極めてくれた。そのうえで役割を与え、チームの機能性を高めるように仕向けてもらいました。そのアプローチは今に生きています。

 あと、オフトさんは練習からメチャメチャ厳しい人で激しく怒鳴ることもありましたけど、厳しさと楽しさとを持ち合わせていた人。『楽しむことを忘れずに』というのはオフトさん自身が言った言葉ではないですけど、オフトさんを見ていてその重要性を感じたし、すごく影響を受けたところです」

──3月の連戦の際、来日されたそうですね。

「はい。10分ほど話す時間を持てました。3月21日に『ドーハ会』があって、(ドーハ組の)みんなが応援してるから頑張れと激励されました。W杯の戦い方や采配、選手交代にも意見をいただいて、続投についても『やるんだったら思い切ってトライしろ』と背中を押されました」

──恩師の言葉には勇気づけられますね。オフトさん以外に影響を受けた監督は?

「自分が現役最後にプレーしたベガルタ仙台の監督だった清水秀彦(解説者)さん。選手とのコミュニケーションの取り方がすごくうまいんですよね。グループの一員として機能できないような個性の強い選手も束ねられるし、能力を生かせる。認めてあげることの大切さは教えてもらいました」

「ウイークポイントを厳しく伝えるのは得意じゃない」

──2月の欧州視察時にはフライブルクのクリスティアン・シュトライヒ監督と面談されたと聞きました。

「(堂安)律の獲得意図や評価、要求している点などについて意見交換させてもらいましたが、愛情を持って厳しいことを強く言える方だなと感じました。私はウイークポイントを厳しく伝えることがあまり得意じゃない。『もっとこうすべき』と踏み込んでいく強さを持たなければいけないと実感しました」

──ご自身も変化しつつ3年後(北中米W杯)を目指すわけですが、今、描いている長期ビジョンは?

「代表強化は短期と長期ですね。目先の活動で結果を問われるんで、まずは勝利を目指しながら、その時点でのベストチームを編成して戦うことが第一です。場合によっては途中解任されて長期の目標にたどり着けないこともある。日本のW杯優勝がゴールだと考えていますが、自分が離れても未来に道がつながるようなことをやるべき。それが私の仕事ですからね」

激しさと楽しさを忘れずに選手と向き合う森保監督
激しさと楽しさを忘れずに選手と向き合う森保監督写真:ロイター/アフロ

 つねに注目され、結果次第で批判の矢面に立たされる日本代表指揮官というのは、非常にストレスがたまる仕事だろう。それでも森保監督は平常心を忘れない。動じない性格がアドバンテージなのだろう。

 人との絆を大事にするのも強み。実際、我々が取材から帰る際にもわざわざビルの外で待っていて「名刺を渡すのを忘れてました」とサッと差し出すような気遣いを見せてくれたほどだ。

 そういった人間性ゆえに選手と強固な信頼関係を構築できる。カタールW杯で日本が示した一体感はやはり森保監督あってこそ。そういう意味でも先々が楽しみである。北中米W杯で指揮官が感情をあらわに歓喜の涙を流す姿をぜひ見てみたい。

■森保一(もりやす・はじめ)

1968年8月23日、掛川市生まれ。幼少期は名古屋市、横須賀市、唐津市などを転々とし、小学校1年から長崎市に定住。小5からサッカーを始め、長崎日大高校を経て、87年にマツダ(現広島)へ。92年には日本代表入りし、93年10月のドーハの悲劇を経験する。翌94年には広島で第1ステージ制覇の原動力となり、広島のJリーグ初期を支える。98年は京都で1年間プレーし、99~2001年に広島、2002~2003年に仙台でプレーし現役を引退。指導者転身後は広島強化部、U-20日本代表コーチを経て、2007~2009年に広島コーチ、2010~2011年に新潟コーチを歴任。2012年に広島指揮官となり、2012・2013・2015年と4年間で3度のタイトルを獲得。手腕を高く評価され、2017年10月に東京五輪を目指すU-21日本代表監督に抜擢される。2018年4月には日本代表コーチも兼務し、2018年ロシアW杯に帯同。直後の7月には日本代表監督兼任が決定する。その後の4年間で2021年東京五輪4位、2022年カタールW杯16強という実績を残し、2026年W杯までの続投が決まった。174センチ・68キロ。日本代表として国際Aマッチ35試合出場1得点。

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スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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