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カタールW杯で明暗分かれた東京五輪世代の現在地(2)-久保、冨安、上田

元川悦子スポーツジャーナリスト
カタールW杯で悔しさを味わった久保(右から2番目)と上田(中央)(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

カタールW杯で力を出し切れなかった面々の今は?

 2022年カタールワールドカップでは、残念ながら不完全燃焼に終わった東京五輪世代の面々もいる。代表格と言えるのが、久保建英(レアル・ソシエダ)、冨安健洋(アーセナル)、上田綺世(セルクル・ブルージュ)らではないか。

 ご存じの通り、久保は史上初の8強入りが懸かった日本の最重要ゲーム、ラウンド16・クロアチア戦をまさかの体調不良で欠場。肝心な大舞台で活躍できないまま、カタールの地を去ることになってしまった。先発したドイツ・スペイン戦も前半から守備に忙殺され、スペイン戦後には「次はもっと長い時間出られるように準備したい」と野心満々だったのに、この結末に終わったのだから、本人も自分の運命を呪いたくなったはずだ。

 一方、2018年秋の森保ジャパン発足間もない時期から最終ラインの軸を担った冨安も、右足太もものケガが響いてフル出場できたのはクロアチア戦だけ。その大一番で失点に絡むなど精彩を欠き、「1つ言えることは、本当に僕個人のパフォーマンスがよくなかったし、チームに迷惑をかけた。大事な試合でパフォーマンスを発揮できない自分に苛立ちしかない。感情の整理をつけるのが難しい」と苦渋の表情を浮かべたのが印象的だった。

 もう1人の上田も、昨夏のベルギー移籍後、W杯前までに7ゴールを挙げる活躍を見せ、期待が大いに高まったが、スタメン抜擢されたコスタリカ戦では前半45分で交代。「コスタリカ戦であれしかできなかった自分がドイツ・スペイン戦に出ていたら、何ができていたんだろうと思う」と3カ月近い時間が経過した今も模索を続けている。

 世界中が注目するビッグイベントで悔しさを味わった彼らがその後の所属クラブでどのように奮闘しているのか、追ってみた。

久保にとってW杯の挫折はもう過去のことかもしれない

 まず久保だが、W杯後は12月31日のオサスナ戦からコンスタントにリーグ戦で先発。ここまで9試合中、スタメンを外れたのは1月21日のラージョ・バジェカーノ戦だけだ。1月14日のアスレティック・ビルバオ、2月13日のエスパニョール戦ではゴールもゲット。2月に入ってからの3試合では連続MVPに輝いた。直近25日のバレンシア戦は敗戦とやや不完全燃焼だったかもしれないが、本人の中ではすでにカタールW杯の挫折は過去のものになっているのではないか。

「(昨夏に)環境を変えたことによっていい方向に転んだのが大きい。何回も言ってますけど、レアル・ソシエダというクラブが僕をいい選手にしてくれたと思うので、いい監督、いいチームメートに恵まれたことに感謝したいなと思っています」と本人もW杯時に語っていた。目下、スペイン1部で3位とUEFAチャンピオンズリーグ出場圏内につけるクラブで自身の最適解を見出せたことが、充実したシーズンにつながっているのだろう。

レアル・ソシエダで自身の最適解を見出した久保
レアル・ソシエダで自身の最適解を見出した久保写真:REX/アフロ

 2節前のセルタ戦でミケル・オヤルサバルの先制弾をアシストしたシーンに象徴されるが、久保は仕掛けの迫力、パス出しのセンスがともに高まっている。体のキレもよく、ポジションも右から中央へと臨機応変に変えながら、自分らしいリズムでお膳立てに参加できている様子だ。チームメートとの連携・連動もスムーズで、ここまで高度なコンビネーションを発揮できれば、久保は確実に輝くはずだ。

 この経験を3月から発足する第2次森保ジャパンにどう還元するかが注目されるところ。代表での久保はなかなか自分らしさを出せずに苦しんできた過去がある。カタールW杯では4-2-3-1の左MF、あるいは3-4-2-1のシャドウの一角でプレーしたが、前者であれば同ポジションに世界に名を馳せる三笘薫(ブライトン)、セルティックで変貌中の前田大然らがいるし、後者であれば鎌田大地(フランクフルト)や堂安律(フライブルク)らとポジションを争うことになる。そこで絶対的な地位を勝ち得ることができれば、2026年北中米W杯でのリベンジも見えてくる。そうなるようにソシエダでの爆発的成長を続けてほしい。

冨安はマンチェスター・シティ戦のミスをどう乗り越える?

 一方の冨安だが、プレミアリーグ後半戦再開となった12月26日のウエストハム戦は欠場。12月31日のブライトン戦から復帰し、そこから2月4日のエバートン戦までのリーグ5試合は終盤出場しただけだった。

 そして、満を持して2月15日のマンチェスター・シティとの大一番の先発。4バックの右サイドバック(SB)に陣取ったが、ご存じの通り、ケヴィン・デブライネの先制点につながる痛恨のバックパスをしてしまい、多方面からバッシングされる事態に陥っている。

 欧州メディアやサポーターは1つの物事に一喜一憂する傾向が日本人によりはるかに強い。ただ、頂上決戦での致命的なミスは確かに印象が悪かった。クラブが新たな右SB獲得に動き始めるといった報道もあり、彼の立場は厳しくなりつつあるようだ。それだけアーセナルのようなビッグクラブで生き抜くのは難しい。それは本当のトップクラブに行ったプレーヤーにしか分からないことなのだろう。

 過去の日本人選手を見ると、マンチェスター・ユナイテッドの香川真司(C大阪)、リバプールの南野拓実(モナコ)がやはり苦境に直面し、確固たるポジションを築き上げることができなかったが、冨安には何とかその壁を越えてほしい。それが日本サッカー界の地位向上、W杯8強入りの力になるからだ。

 そのためにも、タフに戦い続けられるトップコンディションを作り上げることが第一。ここ数年間ケガ続きだった冨安は「よくないサイクルだと思います。何か嫌になりますね」とW杯時にも感情的になっていたが、今一度、しっかりと自分自身と向き合い、着実に前進していくことを考えることも必要だ。絶対にここで歩みを止めてほしくない。

冨安が壁を乗り越えることは日本サッカー界にとっても大きな影響をもたらす
冨安が壁を乗り越えることは日本サッカー界にとっても大きな影響をもたらす写真:ロイター/アフロ

本職でないシャドウでプレーの幅を広げる上田綺世

 そして、もう1人の上田だが、昨夏赴いたベルギー1部で後半戦スタートとなった12月23日のメヘレン戦からリーグ10戦連続先発出場中。1月21日のオーステンデ、29日のヘント、2月4日のスタンダール・リエージュと3戦連続ゴールも奪い、早くも2ケタ得点に到達。さらに直近25日のオイペン戦でも得点を重ねており、今やチームに不可欠な存在になっていると言っても過言ではない。

 ただ、ポジションは本職の1トップではなく2シャドウの一角。彼自身もその起用には不完全燃焼感を抱いているものの、与えられたところで結果を出すことで活路を見出していこうとしている。

「9番のポジションをさせてもらえないのは体の強さとか、求められることの相違とかいろいろありますけど、出る試合でつねにゴールを目指すのは同じ。どの環境に行っても点を取るのが自分の理想。チームとか環境とかに言い訳せずに得点にこだわることが僕のやるべきことだと思ってます」と、立ち位置が変わったとしても点取屋の矜持を忘れることはないという。

 こうした前向きなマインドでいられるのも、カタールW杯で壁にぶつかったことが大きいようだ。同じ東京五輪世代の三笘や堂安、田中碧(デュッセルドルフ)は結果を出せているのに、なぜ自分は思うようなプレーができなかったのか…。その命題を自分なりに考え、解決策を探すべく、メラメラと闘志を燃やしているのである。

新天地・ベルギー1年目で充実したシーズンを送る上田(筆者撮影)
新天地・ベルギー1年目で充実したシーズンを送る上田(筆者撮影)

「W杯で世界基準が分かったというよりも、薫君や律のように欧州5大リーグのトップトップでやってる同世代の選手に刺激を受けました。彼らは僕よりも早く海外に出て、もがいて、努力してきた。そのことがすごく伝わってきたんで、すごくリスペクトしてます。だからこそ、僕も今いるセルクル・ブルージュで自分のアップデートと向き合っていかなきゃいけない。日本人、アジア人という枠では見られたくないので、その壁を越えていきたいですね」と上田は話す。仲のいい三笘らに追いつけ追い越せで高みを目指して行く覚悟だ。

 東京五輪世代には、上田のような選手が他にもいる。1月にポルトガルに渡った相馬勇紀(カーザ・ピア)、W杯メンバーから落選した旗手怜央(セルティック)らも「いつかは自分も欧州5大リーグで活躍する」と野心に満ち溢れているはず。日本代表経験のない上月壮一郎(シャルケ)らも虎視眈々と次のW杯を狙っていくだろう。彼らがポジティブな競争を続け、日本の選手層を分厚くしていってくれれば、8強の壁を破れる日はそう遠くないうちにやってくるに違いない。

 東京五輪世代は北中米W杯が行われる2026年には26~29歳。フットボーラーとしての円熟期を迎える。彼らがどこまで高い領域に到達できるか次第で日本の命運は大きく変わってくる。そういう意味でも、カタールで「暗」を味わった面々には猛然と巻き返してくれることを期待する。

 本当の勝負はここからだ。

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スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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