なぜアルゼンチンはフランスを倒せたのか?メッシの悲願のW杯優勝とマラドーナを超えて伝説になった日。
新しい王者が、誕生した。
現地時間18日にカタール・ワールドカップの決勝が行われた。フランス対アルゼンチンの一戦は、3−3(PK戦4−2)でアルゼンチンが勝利を収めている。この結果、アルゼンチンがカタールW杯の優勝チームとなった。
■決勝までの厳しい道のり
決勝までの道のりは、それぞれ厳しいものだった。
アルゼンチンは初戦でサウジアラビアに敗れた。波乱づくしの大会になる。そういった予感を抱かせるようなゲームを終え、そこから立て直しメキシコとポーランドを下してグループ突破。決勝トーナメントではオーストラリア、オランダ、クロアチアを倒してファイナルまで勝ち進んだ。
一方、フランスは大会直前にカリム・ベンゼマが負傷離脱。レアル・マドリーのエースを欠き、ディデイエ・デシャン監督は組織の再構築を強いられた。それでもキリアン・エムバペを中心にチームを作り直して早々にグループ突破を決め、決勝トーナメントに入るとポーランド、イングランド、モロッコに競り勝ち決勝に駒を進めた。
また、フランスは選手のコンディション面でも苦しんだ。W杯が佳境に入ったところで、体調不良者が続出した。アドリアン・ラビオ、ダヨト・ウパメカノが準決勝を欠場。キングスレイ・コマン、ラファエル・ヴァラン、イブラヒマ・コナテといった選手も次々に体調を崩していった。
決勝の見所は、勝敗だけではなかった。リオネル・メッシ(決勝前の時点で6試合5得点3アシスト)とエムバペ(6試合5得点2アシスト)が得点王を争っていた。
当然、対峙するチームとしては、彼らを抑える必要がある。
フランスはオウレリアン・チュアメニの出来が重要だった。今大会、デシャン監督が全試合で先発させてきたのがチュアメニだ。ラビオあるいはユスフ・フォファナとコンビを組み、フランスの中盤を支えてきた。
メッシが中盤に降りてきて「レジスタ化」するアルゼンチンに対して、チュアメニが厳しくマークできるかどうかは、大きなポイントだった。
他方で、アルゼンチンはエムバペ対策として5バックの採用を考慮していた。リオネル・スカローニ監督は、今大会、度々試合中に【5−3−2】へのシステム変更を行なっていた。この布陣をオランダ戦のようにスタートから使うかを検討していた。
■アルゼンチンとフランスの戦い方
蓋を開けてみると、アルゼンチンは5バックではなく4バックで試合に臨んだ。だが、単なる4バックではなかった。【4−3−3】と【4−4−2】の可変式システムでフランスを迎え撃った。
アルゼンチンの作戦は功を奏した。とりわけ、フランスのキーマンである2選手を潰すためのリオネル・スカローニ監督の策は当たった。
アントワーヌ・グリーズマンにアレクシス・マクアリステルを、キリアン・エムバペにナウヘル・モリーナをマークさせた。
パスの出し手であるグリーズマン、受け手であるエムバペを封じた。グリーズマンにはエンソ・フェルナンデスのカバーリング、エムバペにはロドリゴ・デ・パウルをダブルチームで行かせて徹底的にストップした。
攻撃面では、アンヘル・ディ・マリアが左サイドに配置された。左にディ・マリア、右にメッシ、アルゼンチンには起点が2つできた。そして、22分にメッシのPKで先制すると、36分には完璧なカウンターからディ・マリアがネットを揺らし、2点のリードを奪った。
■デシャンの失策と4トップ
何かを変えなければいけない。そのように感じたディディエ・デシャン監督は前半のうちに動く。ウスマン・デンベレ、オリヴィエ・ジルーに代えて、ランダル・コロ・ムアニとマルクス・テュラムを投入した。
だがこれは失策だった。前線で、両サイドにコロ・ムアニとテュラムを、CFにエムバペを配置する形は機能せず。サイドを崩してクロスを上げても、ジルーのようなターゲットマンがいない。仕舞いには、ボールを欲しがるエムバペが下がってきてパスを受けるようになり、ゴール前に人数が揃わないという攻撃に終始することになった。
71分、フランスベンチが再び動く。グリーズマンとテオ・エルナンデスがピッチを退き、キングスレイ・コマンとエドゥアルド・カマヴィンガが送り込まれた。
ここで吹っ切れたように、フランスの重心は攻撃に傾く。【4−2−4】で、中盤を省略して前線に素早くボールを預ける戦い方にシフトした。
79分にエムバペがPKを成功させ、81分にはフランスの同点弾が生まれる。テュラムとのワンツーからエムバペが豪快なボレーシュートを叩き込み、試合を振り出しに戻した。
そこからは我慢の時間が続いた。両チーム、基本的に同ポジションの選手の交代を行いつつ、スタミナの調整に入る。延長に突入したゲームで、109分にメッシがアルゼンチンに勝ち越しゴールをもたらす。そして、アルゼンチンはマクアリステルに代えてダニ・ペッセーラを入れて5バックに切り替えるが、それでもエムバペを止められず。118分にエムバペがPKを決め、タイスコアで試合の決着はPK戦に委ねられた。
PK戦は時の運である。コマン、チュアメニが失敗したフランスに対して、アルゼンチンはメッシ、パウロ・ディバラ、レアンドロ・パレーデス、ゴンサロ・モンティエルが成功。アルゼンチンのサポーターに、歓喜が届けられた。
アルゼンチンが最後にW杯で優勝したのは、1986年だった。その時、中心にいたのはディエゴ・マラドーナだった。
メッシは、ずっと、マラドーナと比較されてきた。バルセロナで数多のタイトルを獲得しても、どこかアルゼンチンでは認められていないところがあった。ジュール・リメ杯の獲得は、それだけ大きな意味を持つものだった。
アルゼンチンにとっては、3度目のW杯制覇だ。そして、ついにーーメッシはマラドーナを超越して、生ける伝説としてフットボール史にその名を刻んだのである。
※文中の図はすべて筆者作成