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なぜイタリアはW杯出場権を逃したのか?EUROの優勝チームの「成功体験」と変化を加える難しさ。

森田泰史スポーツライター
ドリブルするジョルジーニョ(写真:Maurizio Borsari/アフロ)

衝撃的な一報が、届けられた。

日本中がカタール・ワールドカップ出場を喜ぶなか、欧州では最終予選のプレーオフが行われていた。注目はポルトガルとイタリアの「1枠」争いだったが、準決勝でイタリアが北マケドニアに不覚を取り、予選敗退となった。

敗れたイタリア代表
敗れたイタリア代表写真:Maurizio Borsari/アフロ

イタリアにとっては、2大会連続のW杯出場権獲得逸だ。

1958年以降、イタリアはW杯に連続出場してきた。ブラジル、アルゼンチン、ドイツ、そういった国と並び、まさしく「強豪国」のポジションを確立してきた。そのイタリアが、少なくとも12年にわたり世界最高峰の大会に姿を現さないというのを想像するのは困難だ。

「フットボールとは、こういうものだ。時に、信じられない出来事が起こる。この試合を分析するのは難しい。我々はEUROの優勝に値するチームだった。運命が、我々を不運な方向に導いた。こんな風になるべきではなかった。私の将来がどうなるかはわからない。それ以上に、今はショックが大きい」とはロベルト・マンチーニ監督の弁だ。

■カテナチオからの脱却

イタリアといえば、言わずと知れた“守備の国“である。「カテナチオ」と呼ばれる守備体型を崩すのに各国は苦しめられ、「鍵」の意味の通り、ゴール前に錠前をかける戦い方は勝利への方程式になっていた。

だがロシアW杯出場を逃して、イタリアは変わろうとしていた。マンチーニ監督の就任で、攻撃的なフットボールを志すようになった。

そのイタリアの試金石になったのが、昨年夏に行われたEURO2020だった。攻撃的な戦い方で、欧州の強豪相手に、どこまでできるかーー。それがイタリアの挑戦だった。

EURO2020で優勝したイタリア
EURO2020で優勝したイタリア写真:Maurizio Borsari/アフロ

マンチーニ監督は【4−3−3】を基本布陣にした。カテナチオからの脱却を試みて、3バックや5バックを捨て、なおかつ3トップを置くというスタイルを提示した。

それだけではなく、左サイドバックの選手を「WG化」するという斬新な手法で、攻撃を強化した。

そして、EUROの優勝という、最高の結果を手にした。

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■決戦の戦術

では、なぜイタリアは“決戦”の北マケドニア戦で敗れてしまったのだろうか?

イタリアは【4−3−3】で試合に臨んだ。対する北マケドニアは【4−5−1】の布陣だった。イタリアが攻め、北マケドニアが守る。その構図は明確だった。

イタリアは左SBのエメルソンが上がる。可変で3バックを採り、インシーニェが左のハーフスペースを取る。

中央にはインモービレがいる。右WGのベラルディが大外に張り、右IHのバレッラが右のハーフスペースに陣取る。5エリアを攻略するという意味で、形はできていた。

だが北マケドニアの牙城を破るのは困難だった。【4−5−1】と【5−4−1】を採りながら、必死で守る北マケドニアに、32本のシュートを浴びせながら、ゴールが遠かった。

■タクティカルな欠陥

マンチーニ監督は、左の攻撃のメカニズムに関しては整理していた。だが、そこが止められた時に、右サイドの攻撃が死んでしまっていた。

例えば、左サイドで固め(オーバーロード)、逆サイドに振れば、効果的なアタックが期待できる。自ずと、アイソレーションの形になり、ベラルディが大外から仕掛けられるのだ。

左サイドから右サイドに一気に展開して、無論ここでベラルディが1対1で突破してくれれば言うことはない。

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スポーツライター

執筆業、通訳、解説。東京生まれ。スペイン在住歴10年。2007年に21歳で単身で渡西して、バルセロナを拠点に現地のフットボールを堪能。2011年から執筆業を開始すると同時に活動場所をスペイン北部に移す。2018年に完全帰国。日本有数のラ・リーガ分析と解説に定評。過去・現在の投稿媒体/出演メディアは『DAZN』『U-NEXT』『WOWOW』『J SPORTS』『エルゴラッソ』『Goal.com』『ワールドサッカーキング』『サッカー批評』『フットボリスタ』『J-WAVE』『Foot! MARTES』等。2020年ラ・リーガのセミナー司会。

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