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3月1日はビキニ環礁で水爆実験が行われた日 第五福竜丸被ばくから68年

森田正光気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ会長
1954年3月1日ビキニ環礁で行われた水爆実験(パブリックドメイン)

ウクライナ侵略とチェルノブイリ原発事故

 今回のロシアによるウクライナ侵略で、プーチン大統領は「軍の抑止力(核兵器)を、特別警戒態勢にする」と述べています。旧ソ連時代にチェルノブイリ原発事故を経験した国とは思えない発言です。

 1986年4月26日、深夜1時23分(現地時間)、旧ソ連のチェルノブイリで史上最悪の原発事故が起こりました。爆発とともに火災も発生し、大量のセシウムなどの放射性物質が、高度1万メートルにまで上昇したと言われています。

 この上空に昇った放射性物質は偏西風に乗って、その後、約8000キロ離れた日本にまで届きます。日本で放射性物質が観測されたのは事故から七日後の5月3日でした。天気を左右する低気圧などは、一日に大体1000キロほど進みますから平均より少し早めの到達だったと言えるでしょう。

 当日の気圧配置は南海上に前線が停滞し、この前線によって東京でも3.5ミリの雨量を観測しています。いわゆる「放射能雨」ですが、放射性物質を含んだ雨が日本で降ったのは過去にもありました。

 それがビキニ環礁で行われた水爆実験です。実験の2週間後には沖縄などで放射能雨が観測されたと言われています。

水着の”ビキニ”の由来とは

 1946年7月、第二次世界大戦が終わった後も原爆実験が南太平洋のビキニ環礁で行われました。この時の様子が世界に伝えられ、その驚きと衝撃をキャッチフレーズにということでセパレート型の水着に「ビキニ」と言う名前が付けられました。

 時は流れて1954年3月1日、そのビキニ環礁で今度は水爆実験が行われました。水爆と原爆は爆発の仕組みが違い、原爆を起爆剤とする水爆の方が圧倒的に破壊力が強く、広島型原爆の約1000倍の威力を持つと言われています。

 そしてその3月1日に悲劇が起きます。水爆実験を知らなかった日本などのマグロ漁船1400隻以上がその海域で操業していたのです。中でも日本の第五福竜丸は水爆実験の死の灰を受け乗組員23名が被ばく、そして被ばく半年後には乗組員の一人が亡くなりました。

築地市場駅前の様子 赤丸がマグロ塚プレート 筆者撮影
築地市場駅前の様子 赤丸がマグロ塚プレート 筆者撮影

マグロ塚プレート 筆者撮影 
マグロ塚プレート 筆者撮影 

 現在、第五福竜丸は江東区「夢の島公園」展示館に保存されています。また、地下鉄大江戸線・築地市場駅のE18番出口を上ると、ひっそりと工事の仕切り壁に金属製のプレートが貼ってあります。このプレートは、当時、全国の子どもたちの

10円募金をもとに作られたといいます。

「死の灰」をつきとめた猿橋勝子

 自然科学の分野で顕著な業績をおさめた女性に贈られる「猿橋賞」が有りますが、この賞を創設したのが猿橋勝子です。

 猿橋は、女性科学者がまだ少ない時代に帝国女子理学専門学校(現・東邦大学理学部)を卒業し、中央気象台研究部(現・気象庁気象研究所)に入ります。そこで、地球科学者の三宅泰雄の指導を受け、微量物質などの分析に力を発揮します。

 猿橋は現在のオゾン層などの変化にいち早く気付き、いまから70年以上前の1951年には、三宅とともに「大気オゾンの年変化と子午線分布に関する理論」を発表しています。しかし、猿橋が本当に真価を発揮したのは、前述した、ビキニ環礁水爆実験の「死の灰」の分析でした。

 第五福竜丸が被ばくしたあと、日本にも微量ながら放射能を含んだ雨が降り、当時は大変な社会不安が起きていました。しかし、実験を行った当のアメリカは、放射性物質は海流によって拡散するので5キロも離れれば無害になるとしていました。

ビキニ環礁と海流の図 スタッフ作成
ビキニ環礁と海流の図 スタッフ作成

 ところが猿橋は、その「死の灰」を分析し、それが炭酸カルシウムだという事を突き止めます。炭酸カルシウム、つまりサンゴなのです。

 水爆によって粉々に吹き飛ばされたビキニ環礁のサンゴが、放射能を帯びて海に広がったということを猿橋は証明しました。

 こうして、アメリカとの放射能論争にも決着をつけ、その後の1963年「部分的核実験禁止条約(大気中の核実験は行わない)」締約に結びついたのです。

 放射性物質の微量分析という一見地味な研究ですが、こうした地道な研究の積み重ねによって我々の現在の安全が有ると言ってもよいでしょう。

 その安全は、油断しているとすぐにまた戻ってしまう危うさも持っていることも、今回のウクライナ侵略で感じてしまいます。

参考

チェルノブイリ原発事故 今中哲二

NHKBS コズミックフロント「地球科学者の先駆け 猿橋勝子」

福井新聞WEBコラム 

気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ会長

1950年名古屋市生まれ。日本気象協会に入り、東海本部、東京本部勤務を経て41歳で独立、フリーのお天気キャスターとなる。1992年、民間気象会社ウェザーマップを設立。テレビやラジオでの気象解説のほか講演活動、執筆などを行っている。天気と社会現象の関わりについて、見聞きしたこと、思うことを述べていきたい。2017年8月『天気のしくみ ―雲のでき方からオーロラの正体まで― 』(共立出版)という本を出版しました。

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