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U-18日本代表、前田が導いた悲願の金メダル! 最大の勝因は何だったのか?

森本栄浩毎日放送アナウンサー
U-18代表が台湾を破り、史上初の金メダルを獲得した(写真は別大会で筆者撮影)

 台湾で開催されている第31回U-18野球ワールドカップ決勝は、日本代表が地元の台湾(チャイニーズタイペイ)に2-1で競り勝って、悲願の金メダルを獲得した。この世代(高校)が世界のひのき舞台で頂点に立つのは史上初の快挙だ。(日本選手は全員が3年生)

エース・前田が完全アウェーの中、先制許す

 試合は完全アウェーの中、初回の攻防で、日本が1死1、3塁の好機を逃したのに対し、台湾は、日本のエース・前田悠伍(大阪桐蔭)から1点を先制して、地元ファンが早くもヒートアップする。前田は今大会3試合目で初失点となったが、「打たれても『優勝へ導くんだ』という思いで投げた」と気持ちを切り替え、後続を連続三振。2回以降は本来の落ち着いた投球で、台湾に傾きかけた流れを食い止め、味方の反撃を待った。

中盤にスクイズで一気に逆転

 好機が訪れたのは4回。先頭の3番・緒方漣(神奈川・横浜)の四球から1死2塁とすると、5番・丸田湊斗(神奈川・慶応)が一塁側へ絶妙のドラッグバント。アウトの判定がリクエストで覆ると、続く高中一樹(福島・聖光学院)がスクイズを決める。相手三塁手の悪送球間に丸田も生還し、一気に逆転した。代表を率いる馬淵史郎監督(67=高知・明徳義塾)が「スモールベースボールをやり通してよかった」と唸った瞬間だった。

エースにふさわしい前田の投球

 しかしこの日、1死1、3塁の好機は初回、6、7回にもあったがモノにできたのは一度だけで、特に6、7回は前田が先頭の出塁を許したため、相手の大応援の中での投球は相当なプレッシャーがあったはずだ。それでも前田は微動だにせず、自分のペースを守った。結局、前田は4安打1失点、92球の完投で、世代初の世界一「胴上げ投手」となった。3試合の合計は、16回2/3を投げて、被安打9、14奪三振で、与四球は申告故意四球含めわずか2の1失点。対戦相手(米国、韓国、台湾)の力量を考えれば、エースと呼ぶにふさわしい投球内容だった。

今大会は「投手マネジメント」の勝利

 馬淵監督は「『(一日最多の)105球までいくぞ』と言っていた。さすがの投球だった。大した投手です」と前田を絶賛したが、今大会の最大の勝因は、エースをベストな状態で送り出せた「投手マネジメント」に尽きる。8月末の大学代表との壮行試合で、甲子園で活躍した投手が軒並み打たれる中、前田は別格の仕上がりを見せた。本大会での課題は、複雑な球数制限との絡みで前田をどう起用するか、その一点だった。

試合順にも恵まれた日本代表

 今大会は試合順も、日本にとって有利だった。昨年王者の米国とは3戦目で、前田が無失点投球で勝利。5戦目のオランダには打線が沈黙して敗れたが、グループ2位でのスーパーラウンド進出となり、韓国プエルトリコ、台湾の順での対戦となった。絶対に負けられない初戦の韓国に前田をぶつけるわけだが、悪天候で韓国の1次ラウンドの試合がサスペンデッドになったため、韓国が「ダブルヘッダー」という不利な条件も日本に味方する。前田は中1日で登板が可能な47球で4回を無失点に抑え、韓国を寄せ付けなかった。

決勝進出が決まった段階で、前田を温存

 続くプエルトリコには、東恩納蒼(沖縄尚学)がわずか53球の完全投球でコールド圧勝。その夜の台湾の勝利で日本の決勝進出が決まり、台湾とのスーパーラウンドは「消化試合」となった。この試合で負けが許されない条件であれば、前田の投入しか考えられなかったが、前田を中2日の決勝に温存できた。仮に決勝で前田が打たれても、東恩納を始め、救援で好結果を残している木村優人(茨城・霞ヶ浦)や指名打者で活躍した武田陸玖(山形中央)をつぎ込める。馬淵監督の標榜する「スモールベースボール」は大量点が期待できない反面、質の高い投手を揃える日本の戦い方にマッチしていた。

甲子園との両立は永遠の課題

 中学世代や大学世代の世界一はあるが、高校世代が世界の頂点に立てなかったのは、甲子園があるからだ。かつては大会が夏の甲子園と同時期だったため、出場すらしていなかった。ただ、今大会でもそうだったように、甲子園大会直後の国際試合ということで、選手のコンディショニングは万全とは言えず、この大会に絞って調整してきた前田を筆頭に、活躍選手は夏の甲子園不出場選手が多かった。またスモールベースボールに特化した選手構成が好結果を生んだことは事実だが、木製バットへの対応や、力勝負を挑んでくる外国人投手に苦戦する姿は、以前と変わっていない。甲子園と国際試合を両立させることは、永遠の課題として残る。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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