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前の優勝は甲子園ができる前だった! 107年ぶり優勝の慶応に吹いた2つの追い風

森本栄浩毎日放送アナウンサー
慶応の107年ぶり優勝で幕を閉じた甲子園。前回は甲子園ではなかった(筆者撮影)

 107年ぶりという気の遠くなるような空白を経て、慶応(神奈川)が仙台育英(宮城)を8-2で破り、頂点に立った。甲子園は来年で誕生から100年を迎えるため、慶応の前回の優勝は甲子園ではなかったことになる。

慶応の2回の決勝は甲子園にあらず

 夏の選手権は大正4(1915)年に大阪の豊中球場で産声を上げた。慶応(当時は慶応普通部)が優勝した107年前の第2回大会までが豊中で、第3回以降は甲子園からも近い兵庫県西宮市の鳴尾球場で開催された。慶応が決勝に進んだ103年前の第6回大会は鳴尾での開催で、甲子園での開催は大正13(1924)年の10回大会から。つまり慶応の決勝戦は、2回とも甲子園以外での試合だった。

センバツと練習試合では仙台育英が連勝

 それほどまでに歴史的な優勝だったが、相手は昨年、東北に初の甲子園優勝をもたらした仙台育英で、戦力が昨年を上回ることは誰の目にも明らか。戦前の予想は慶応にとって、決して芳しいものではなかった。両校はセンバツの初戦(2回戦)で当たって、タイブレークの末、仙台育英が2-1でサヨナラ勝ちし、夏の地方大会(甲子園の予選)直前の練習試合でも、仙台育英が4-2で勝っていた。しかし、甲子園でのこの試合には、慶応に追い風が吹いた。

史上初の夏の決勝先頭打者弾!

 初回、先攻の慶応は1番の丸田湊斗(3年)がいきなり先制パンチを浴びせる。自身「公式戦で初めて」という本塁打が、夏の決勝戦で史上初の先頭打者弾となって、球場のボルテージが早くも最高潮に達した。三塁アルプススタンドからは、地鳴りのような「若き血」の大合唱。声出し応援が認められなかった昨年なら、ありえない光景だった。仙台育英の須江航監督(40)が「丸田君の一発がこの試合の大勢を決めた」と唸るほど効果的な一撃で、慶応は一気に流れをつかんだ。

慶応の大応援が仙台育英を侵食

 3点を追う仙台育英もさすがで、慶応先発の左腕・鈴木佳門(2年)をじわじわ攻め、3回までに1点差と迫る。しかし、先発の湯田統真(3年)が4回までで90球と球数を要し、須江監督は5回からエース・高橋煌稀(3年)を救援させる早めの継投に出た。ここで慶応は交代機を逃さず、一気に5安打と相手外野の落球で5点を奪い、8-2とした。特に痛かったのは、平凡な左中間の飛球を外野手が交錯して落球した場面で、慶応を後押しする応援に、野手の声もかき消されたような感じだった。それほどまでに、慶応の大応援の圧は仙台育英を侵食し、ベンチから須江監督が「まだ5回だから」と懸命に声を枯らせたが、選手たちは平常心を失っていた。

「一挙5点!」慶応に吹いた2つの追い風

 6回以降は淡々と試合が進む。今大会初めてビッグイニングを完成させられた仙台育英に、反撃する力は残っていなかった。「超強豪とばかり当たった」(須江監督)1回戦からの疲れが選手たちに襲いかかり、慶応の二番手・小宅雅己(2年)からフライアウトばかり。慶応よりも1試合多く戦ったツケが、5回の5点で一気に噴出した。5勝で優勝した昨年とは違い、今大会は初日からの登場で、激戦が続いた。豊富な投手陣も昨年と比べると好不調がハッキリし、「湯田と高橋の負担をもう少し軽くできていたら」と、投手マネジメントに長ける須江監督も苦しい采配が続いた。強い相手ばかりに6勝して優勝するのは、改めて難しいと実感させられた次第。慶応に「応援」と「疲労」という2つの追い風が吹き、仙台育英は「魔の5回」で、精根尽き果てた。

グッドルーザーだった仙台育英

 慶応の森林貴彦監督(50)は優勝インタビューで感極まり、「実力プラスアルファのものが出せた。多くの方々に支えてもらって、今日の試合、今日の結果があった」と熱烈な応援に感謝した。これをベンチで聞く仙台育英の須江監督、選手たちは揃って拍手していたが、「負けた時にこそ、人の価値が出るグッドルーザー(良き敗者)になろう」という、須江監督の日頃からの教育がそうさせたものだ。30数年前、仙台育英のユニフォーム変更を縁に始まった両校の交流は、甲子園の決勝という最高の舞台につながった。今年もいい大会だった。多くの人に感動をもたらした甲子園は、来年、100歳になる。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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