Yahoo!ニュース

滋賀の名門が久しぶりの甲子園チャンス! 42年前の夏に4強

森本栄浩毎日放送アナウンサー
滋賀の名門・瀬田工が久しぶりの進撃。41年ぶりのセンバツ出場なるか(筆者撮影)

 来春センバツに直結する秋の近畿大会(和歌山・紀三井寺球場で22日開幕)出場校が決まり始めている。京都では、乙訓京都国際の連覇を阻み、1位での進出を決め、龍谷大平安が3位に滑り込んだ。好投手が多い兵庫は、報徳学園神戸国際大付の追撃をかわして優勝。今夏代表のは、3位決定戦のタイブレークを制して2年連続の近畿大会出場となった。(文中一部敬称略)

42年前の夏に4強の瀬田工

 2年連続夏の甲子園4強で、今春センバツ準優勝の近江が3回戦で敗れた滋賀は、異色の2校が決勝に進み、彦根総合瀬田工を7-1で破って、近畿大会初出場を決めた。瀬田工は31年ぶり4回目の近畿大会で、41年ぶりのセンバツをめざす。昭和55(1980)年夏の甲子園で4強という名門が久しぶりの復活で、近畿の強豪に挑むことになるが、強豪私学全盛の高校球界に一石を投じられるか。

彦根総合が序盤から主導権

 前日の準決勝との連戦となった決勝は、初回から彦根総合打線が、瀬田工のエース・吉田翔湧(とわ=2年)に襲いかかる。

瀬田工のエース・吉田は彦根総合に14安打を浴びたが、味方の4失策も響いた。小椋監督の「しっかり守って接戦に」の思惑は外れたが、近畿大会までに守りをきっちり修正したい(筆者撮影)
瀬田工のエース・吉田は彦根総合に14安打を浴びたが、味方の4失策も響いた。小椋監督の「しっかり守って接戦に」の思惑は外れたが、近畿大会までに守りをきっちり修正したい(筆者撮影)

 4番・蟹江星允(せいん=2年)の適時打と失策で2点を奪うと、3回までに5点をリードし、主導権をがっちり握った。今大会打線好調の瀬田工は、彦根総合の左腕・野下陽祐(2年)からたびたび得点機を迎えるが、決定打を奪えない。2回には1死3塁からスクイズ失敗のあと、意表を突く本盗に出るが実らず、4回の4番・小辻薫(1年)の適時三塁打による1点にとどまった。

伝統の打棒復活で躍進した今秋

 今夏は初戦で近江と当たり、延長にもつれ込む大熱戦で惜敗していた瀬田工は、エースの吉田を始め、この試合に出場していた選手の大半が残り、今秋は有力視されていた。立命館守山との3回戦がヤマで、これを延長で制すると、準々決勝以降は打線が爆発。42年前の夏、全国の強豪と互角に渡り合った伝統の打棒が復活した。当時の瀬田工の活躍は、全国に後れをとっていた滋賀の球児たちに勇気と感動を与えたものである。

秋田商の剛腕・高山を破る

 43年前、比叡山が夏の甲子園で初勝利を挙げた(最終成績8強)。47都道府県で最も遅い夏の甲子園初勝利である。翌年、センバツに初出場(初戦敗退)した瀬田工は、滋賀決勝で比叡山を破り、県勢初の春夏連続出場を決めた。初戦(2回戦)で明野(三重)に9-7で打ち勝つと、8強入りを懸けた3回戦は秋田商との対戦。当時、高校球界最速と言われた剛腕・高山郁夫(西武ほか、現オリックスコーチ)を向こうに回し、瀬田工の下手投げ軟投派・布施寿則が一世一代の投球を披露した。6回、捕逸で先制した瀬田工は、7回に3番・西原康雄の適時三塁打などで加点すると、布施がわずか2安打で完封する完璧な試合運びで3-0と快勝。県勢2年連続の8強入りを果たした。

20得点で滋賀勢初の4強入り

 準々決勝はその2年前のセンバツ王者の浜松商(静岡)を相手に、20-5の大勝だった。高山を倒してすっかり自信をつけた看板の打線が大爆発し、4回までに16得点で、県勢初の4強入りを早々と決めた。この試合で出た5番・木村浩司の3ランは、県勢の夏の甲子園第1号で、20点も県勢の甲子園最多得点である。準決勝では、当時1年生だった荒木大輔(元ヤクルト)の早稲田実(当時東東京)に敗れたが、そのほかの4強進出校が、横浜(神奈川)、天理(奈良)と強豪私学ばかりなので、初出場だった瀬田工の健闘ぶりがよくわかる。持ち前の強肩でピンチを救った正捕手の橘高淳は、阪神を経てNPB審判員になり、先日、3000試合出場の偉業を達成した。

トレンディエース・西崎擁し、センバツ2回目の出場

 その翌年の秋、大阪・日生球場で開催された近畿大会に瀬田工は、滋賀2位で出場した。筆者が初めて見た近畿大会として鮮明に記憶している。初戦で京都1位の宇治(現立命館宇治)に5-0で快勝した試合は、瀬田工の歴代公式戦でも、秋田商戦と並ぶ会心の試合だったと思う。左腕・渡辺武史が内野安打1本に抑え、姜山孝雄主将の本塁打で加点する理想的な展開だった。翌昭和57(1982)年のセンバツには選ばれたが初戦敗退に終わり、これが瀬田工にとって現状、最後の甲子園となる。この試合で終盤に投げた西崎幸広は、愛工大を経て日本ハムからドラフト1位指名され、滋賀県出身投手として最多のNPB通算127勝をマークしている。西崎は「元祖トレンディエース」として、80年代に人気が沸騰した。

ユニフォームは全盛期を彷彿

 「近畿大会出場が決まって、多くの人たちからお祝いの連絡があった」と、OBでもある小椋和也監督(41)は伝統の重みを実感しているようだったが、奇しくも、小椋監督は全盛期だった昭和56年生まれ。母校の監督になって、ユニフォームを現役時代仕様に戻したと言う。胸の字体は甲子園出場時のゴシック体から変わったが、アンダーシャツやストッキングのエンジ色は往時を彷彿とさせる。名神高速や新幹線から校舎がよく見えることもあって、甲子園活躍時には多くの激励が寄せられたようだ。

「頭と脚を使って攻める」と小椋監督

 「強豪私学では能力的についていけないような選手ばかり」と小椋監督は謙遜するが、そこは「頭と脚を使ってかく乱する」と言うように、意表を突く攻撃も持ち合わせている。

2回2死3塁から、走者の杉本宗治郎(2年)が意表を突く本盗敢行も実らず。その前のスクイズ失敗もあって、絶好の反撃機を逃した。ここで得点できていれば、試合展開が大きく変わっていたはずだ(筆者撮影)
2回2死3塁から、走者の杉本宗治郎(2年)が意表を突く本盗敢行も実らず。その前のスクイズ失敗もあって、絶好の反撃機を逃した。ここで得点できていれば、試合展開が大きく変わっていたはずだ(筆者撮影)

 失敗に終わったが2回の本盗は「アイコンタクトだった」と、全員への意識付けも徹底している。体調不良で出遅れていた本来の4番打者・平田大樹(2年)も途中出場し、メドが立った。近畿大会では、高校通算13本塁打の強打と50メートル5秒台の俊足を生かしたい。

滋賀の高校野球文化を開花させた名門

 滋賀の高校球界はこの2年、近江の大活躍で活気づいている。半世紀前まで、滋賀の高校球児にとって甲子園は夢でしかなかった。ようやく一県一校となった四十数年前は、滋賀の高校球界にとってはまだ黎明期で、全国から完全に取り残されていた。この時代に全国4強まで駆け上がった瀬田工の活躍で、湖国の高校野球文化が一気に開花したと言っていい。来春には、全国のオールドファンに、懐かしい「SETAKO」のユニフォームを見せてもらいたいものだ。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

森本栄浩の最近の記事