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あまりにも劇的!感動の連続! 補欠から快進撃の近江が、初V懸け大阪桐蔭に挑む!

森本栄浩毎日放送アナウンサー
快進撃が続く近江は、劇的勝利で大阪桐蔭との決勝に進む。初Vなるか(筆者撮影)

 センバツ準決勝は、近江(滋賀=タイトル写真)が浦和学院(埼玉)と対戦。2-2で迎えた延長11回、近江が8番・大橋大翔(3年)のサヨナラ3ランで劇的勝利を収めた。間違いなく今大会最高の熱戦。感動的なシーンの連続に、甲子園のファンからは拍手がしばらく鳴りやまなかった。決勝では、滋賀県勢の春夏通じて甲子園初優勝を懸け、2試合連続2ケタ得点の大阪桐蔭に挑む。

山田は死球後、足を引きずって奮投

 3試合連続完投勝利の近江・山田陽翔(3年=主将)はこの日も4番投手で先発。先制されるもすぐに挽回し、1点ビハインドで迎えた5回の攻撃で、左足へまともに当たる死球を受けた。すぐに立ち上がれず、仲間の肩を借りてベンチに下がる。6回に登板するときには歩くこともままならなかったが、マウンドでは変わらぬ投球を見せた。むしろ、死球後の方が、余計な力が抜けていたのかもしれない。この日、最速は145キロを計測した。

気迫で監督に交代をさせず

 投げ終えてベンチに戻る際も足を引きずり、仲間たちが肩を叩いて迎える。すぐにベンチ裏で、患部を冷やす。6回以降はそれの繰り返しだった。ベンチを預かる多賀章仁監督(62)は「このまま投げさせていいものか、私が決断しなければいけない」と、ずっと考えていたという。しかし山田の気迫がそうはさせなかった。そして誰よりも間近で山田の痛みを感じていた捕手の大橋が、延長11回、決着をつけるサヨナラ3ランを放った。「この回で決めてやるぞ、という覚悟を乗せたホームランだった」と指揮官も大絶賛の一撃で、補欠校からの快進撃は、ついに最終章までたどり着いた。

「本当にすごい男」と近江監督

 「山田にはこれまでから何度も感動させられてきたが、今日ほどすごいのは…。本当にすごい男。感動しました」と、多賀監督は試合後のインタビュー台で声を振り絞った。山田のあまりの気迫、あまりのすごさに、ベンチでも涙が止まらなかったという。甲子園のファンも、山田を懸命に支える近江のチームワークに魅了され、自然に手拍子が沸き起こったほどだった。コロナ禍、しばらく現場で直にプレーを見る機会を奪われていたファンも、久しぶりに高校野球のすばらしさを体感できたのではないだろうか。

浦和学院のフェアプレーにも感動

 感動的なシーンは、浦和学院のフェアプレーからも垣間見えた。山田が足を痛めてから、浦和学院の選手がバントヒットを狙おうとした瞬間、ベンチの森大監督(31)から「何やってんだ」と言わんばかりの厳しい声が飛んだ。山田の責任によるケガならいざ知らず、やはりぶつけた以上、森監督の指導は正しかったと言える。それ以降、浦和学院はバント攻めをしていない。試合後、引き上げる際にも森監督は頭を下げて山田に謝罪していたが、見ていてすがすがしい気分になった。さすがは優勝経験のある森士・前監督(57)の長男。父の教えをしっかり継承している。

チーム状態最高潮の大阪桐蔭に挑む

 さて決勝は大阪桐蔭との対戦になった。2試合連続2ケタ得点で、チーム状態は最高潮にある。両校は昨夏2回戦で当たっていて、近江が4点差をひっくり返して6-4で勝った。山田のケガは左足の打撲で済んだ(主催者発表)ようだが、登板するとしても球数制限(116球まで)の懸念がある。また試合後の様子を見る限り、登板はおろか、試合出場すら厳しいようにも見受けられた。山田が志願しても、ドクターストップがかかる可能性がある。チーム状態に大きな差がある以上、近江の苦戦は免れない。しかし補欠校から初の決勝進出。さらには滋賀勢初の甲子園優勝が懸かる。チーム一丸となって大敵にぶつかり、最高の形で最終章を完結してもらいたい。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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