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いつもより多くの涙を見たセンバツ!  2年分の甲子園に36年分の思い

森本栄浩毎日放送アナウンサー
センバツが終わった。そこで見た多くの涙。熱い戦いは夏へとつながる。(筆者撮影)

 東海大相模(神奈川)の劇的なサヨナラ勝ちで、センバツの幕が下りた。先輩たちの思いが詰まる「2年分の甲子園」は、熱戦が続き、いつもより多くの涙を見たような気がする。

先輩たちへの思い

 開会式で、仙台育英(宮城)の島貫丞主将(3年)が、「2年分の甲子園」という言葉を使った。決勝の地上波実況をすることが決まってから筆者が温めていた言葉と同じで、大会中の中継でも再三、使わせてもらった。その言葉には、先輩たちへの思いが込められている。

延長7試合など好試合続く

 今大会の試合内容について、ここで深くは言及しない。開幕の神戸国際大付(兵庫)と北海(北海道)の延長サヨナラを皮切りに、延長試合は大会タイの7試合。苦戦が予想されたチームがひたむきに戦う姿は、甲子園でしか見られない。同地区再戦が4試合もあった抽選方法などの課題は残るが、選手たちは甲子園で戦えることの喜びを素直に表現してくれた。

いつもより多かった涙

 それが、「いつもより多くの涙」だったのだろう。センバツは夏への序章でもあるから、敗戦が決まっても、悔しい気持ちを胸の奥にしまっておく選手が多い。それが、今大会は一変していた。夏の最後の試合のように、泣き崩れてほかの選手に抱えられながら引き上げてくる選手が、実に多かったのだ。

泣き崩れた天理の選手たち

 準決勝で東海大相模に敗れた天理(奈良)の選手たちがそうだった。打線が相手エースの石田隼都(3年)に15三振を喫して完封負け。自校エースの達孝太(3年)をマウンドに送ることなく、甲子園を去ることになった。4番としての責任を一身に背負いこんだ瀬千皓(3年=タイトル写真)は、メガネの奥から溢れ出る涙を何度も拭い、捕手の政所蒼太(3年)は、泣き崩れて立ち上がれないほどだった。「最近のセンバツで、これだけ泣いている姿は見たことがありません」と、思わず実況してしまった。

先輩たちの思いが詰まった2年分の涙

 準決勝に残った4校全てが、昨春も甲子園出場を決めていた。夏の交流試合があったとはいえ、戦いの場を奪われた先輩たちの悔しさを目の当たりにしていたはずだ。他のチームにも同じことは言える。甲子園を懸けた夏の地方大会が中止になり、当時の3年生たちは涙を流した。秋に頑張れたのも、先輩たちのサポートがあったからだろう。それがセンバツにつながった。先輩たちの思いが詰まっていたからこそ、涙も「2年分」だったのだ。

最後の地上波実況での心残り

 私事になるが、センバツの地上波での実況は今大会が最後になる。明豊(大分)の健闘には感動した。だからこそ、最後のシーンの実況は心残りだった。前進守備の遊撃の横をライナーが抜けていった場面だ。あれは打った方が素晴らしかったのであって、捕れないのは仕方ない。それまで再三、明豊の守備の鉄壁さを伝えていたので、「捕ってほしかった」という気持ちが出てしまった。明豊の選手に申し訳ない。36年やっていてもまだまだである。

「また、夏に会いましょう!」

 主将を欠きながらも優勝した東海大相模にも、立派な準優勝だった明豊にも、涙があった。放送では、両校選手たちの表情をシンクロさせた。「嬉し涙と悔し涙。涙の意味は違いますが、一生懸命戦ったことに違いはありません」。この言葉を、32校だけでなく、今春、卒業した全ての高校球児に贈りたい。コロナ禍での開催は本当に大変だった。今大会を成功させた関係者に感謝するとともに、次のステップへ向けての歩みは、もう始まっている。「また、夏に会いましょう!」2年分の夏が待っている。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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