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大阪桐蔭熱戦! 東海大相模を倒す! 交流試合最終日

森本栄浩毎日放送アナウンサー
初めて甲子園で実現した大阪桐蔭と東海大相模は、終盤を制した桐蔭に軍配(筆者撮影)

 初めて甲子園で実現した東西を代表する名門対決。大阪桐蔭が優勝8回なら、東海大相模(神奈川)も優勝4回、準優勝3回と実績では負けていない。ファンにとっては「ドリームカード」は、その期待に違わぬ好勝負となった。

両先発好投で終盤勝負に

 大阪桐蔭先発の藤江星河(3年)は、左腕から自己最速タイの141キロの速球を軸に、スライダーやチェンジアップも冴え、東海大相模の強打線を4回まで無安打に抑える。相模の先発左腕・石田隼都(2年)も速いテンポで的を絞らせず、初回の1失点だけで、中盤を迎えても投手戦の様相は変わらなかった。7回、ようやく試合が動き出す。相模は先頭の3番・加藤響(3年)が四球で出塁すると、4番・西川僚祐(3年)との間で鮮やかにヒットエンドランが決まり、一気に好機が広がった。ここで6番・神里陸(3年)が逆転打を放ち、逆転に成功する。終盤、それまで静かだった試合が一気にヒートアップした。

桐蔭主将が粘って快打

 追う桐蔭もその裏、1死満塁と石田を攻め、2番・加藤巧也(3年)の犠飛で追いつくと、8回以降は救援投手の勝負になった。最速150キロ左腕の松浦慶斗(2年)がわずか7球で8回の相模の攻撃を抑えると、桐蔭が相模の右腕・笠川洋介(3年)に襲いかかる。1死2、3塁で、打席には背番号14の途中出場・薮井駿之裕(3年=主将)が登場。新チームでも試合にはほとんど出ず、ずっと選手たちをサポートしてきた。スクイズ失敗もあったが懸命に粘る薮井。笠川の9球目を振り抜くと、打球は左翼線で弾んだ。二者をかえす適時打で、ベンチは大いに盛り上がる。薮井の苦労を知っているベンチの選手たちは、まさに狂喜乱舞。これで勝利を確信した。

「神様が薮井に回した」桐蔭監督

 最後は松浦が相模を三者凡退で寄せ付けず、終盤戦を制した桐蔭が、4-2でドリームゲームをモノにした。薮井は、「同点で頑張ってくれていたので、絶対に打ってやろうと思っていた。ずっと苦しい思いをしてきたので、報われた」と決勝打を振り返った。その思いは西谷浩一監督(50)も同じ。「チームを支えた薮井に、野球の神様が回してくれた。この1勝は、一生、忘れられない」と感慨深げに話した。薮井は、下級生の頃は試合にも出ていたが、内野の層が厚い学年で徐々に出番が減ったと言う。それでも西谷監督は、主将に指名した。

「自然と人が集まってくるタイプ」

 「決してよくしゃべる方ではなく、むしろ口下手。『もっとうまく伝えろよ』と言ったこともある。でも、自然と周りに人が集まってくるタイプで、寮で共同生活をしているチームには欠かせない存在」と西谷監督。ナインも同じ考えだった。エースの藤江は、「薮井あってのチーム」と全員が信頼を寄せる。現在の3年生の入学式の日がセンバツの決勝で、春夏連覇を目の当たりにした。偉大な先輩たちの背中を追い続けた世代だった。コロナ禍に翻弄された1年で、わずか1試合だけに終わった甲子園。憧れの聖地を後にするとき、「これで終わりかと思うと、寂しい気持ちがあった」と薮井は涙を浮かべた。

苦労人の主将から次チームへ

 この日の大阪桐蔭は、1番で2安打を放った池田陵真や松浦ら2年生も躍動した。次チームは、2年前の「黄金世代」を彷彿とさせる好選手がそろっていると評判だ。苦労人の主将が、身をもって後輩たちに力強くバトンを手渡した。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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