夏の甲子園中止の余波は、賛否両論、多岐に及び、一種の社会現象にまで発展している。それだけ影響力の大きなイベントで、甲子園が「国民的行事」と呼ばれることに、改めて得心している。だからこそ、結論をもう少し先延ばしにしてもよかったのではないかという思いは変わっていない。まだ、選手たちと会えていない指導者も多いはずで、心中は察するに余りある。代替大会を断念した地方高野連もあり、そうした地区の指導者は、選手たちのモチベーション維持に腐心していることだろう。

甲子園を味方につける

 甲子園で旋風を巻き起こしたチームの続編をお送りする。前回の甲西(滋賀)は、開校3年目での躍進で、2試合連続の逆転サヨナラ勝利は、まさに「ミラクル=奇跡」としか言いようがなかった。直後のセンバツでも、「ミラクル」を連発したチームがあった。豪雪で満足に練習もできない。それでも、地元の人たちと一体になって、甲子園を味方につけたそのチームの記憶は、色褪せることなく語り継がれている。(文中敬称略)

大会前、最低評価のチーム

 筆者が高校野球の実況デビューした1986(昭和61)年センバツ。この大会の優勝校は池田(徳島)だが、池田以上に強烈な印象を残したのが新湊(富山=タイトル写真は2011年夏の出場時)である。しかし、このチームの活躍を予想した人は皆無に近かっただろう。チーム打率の.291は出場32校の最下位。エース・酒井盛政(伏木海陸運送)の防御率1.46は32校エース中9位とまずまずではあったが、特に秀でたデータがあったわけではない。練習試合も含めた前年秋の成績は16勝8敗で、毎日新聞記者による大会前評価は、わずか2校しかない最低の80点だった。

大会前からミラクル?

 新湊のミラクルは、出場が決まる前から始まっていた。前年秋の富山大会で2敗した新湊は、本来なら北信越大会には出られない。しかし、富山開催だったため、数合わせで開催県は4位まで出場できる。5年に1度の巡り合わせがミラクルの始まりだったという次第だ。北信越決勝で松商学園(長野)に2-3と善戦したため、筆者はなぜこれほど評価が低かったのかわからない。聞くと、その冬はかなりの豪雪で、グラウンドは雪に埋もれていたようだ。当時、室内練習場を持つチームは少なく、ましてや公立の新湊が万全の状態で甲子園に乗り込めると思えなかったのも無理はない。それでも連日、地元の人たちが雪かきをし、選手たちはぬかるんだグラウンドでノックを受け続けた。これが本番で生かされることになる。

大会一の左腕に堅守で対抗

 初戦の相手は、近藤真一(現真市=中日コーチ)擁する享栄(愛知)で、優勝候補の一角だった。チーム打率最低の新湊が、大会ナンバーワン左腕に対抗できるとは誰も想像できなかった。開始前から降り出した雨は、その後の試合が順延されるほど、徐々に強くなっていった。雨の甲子園が新湊に味方する。新湊は酒井の適時三塁打で2回に先制し、近藤からワンチャンスをモノにした。気を良くした酒井は、ぬかるんだグラウンドに慣れているバックの堅守にも支えられ、享栄打線を沈黙させる。1-0のまま、最大のヤマ場が7回に訪れた。無死1、3塁で主砲の近藤を迎えた場面だ。

長い冬に耐えて最高のプレー

 次の試合が担当だった筆者は、準備をしながらグラウンドをチラチラ見ていたが、この瞬間ははっきり覚えている。遊撃正面のゴロで、まず2塁へ送球。「ああ、同点になる」と思った瞬間だ。ここで3塁走者が本塁を狙う。二塁手の長谷川大介は、とっさに体勢を入れ替え、本塁へ見事な送球。間一髪でタッチアウト!当時の長谷川の紹介文に、「スローイングがよく、守備は堅い」(サンデー毎日臨時増刊)とあるが、その通りだった。長い冬に耐えた雪国のチームが、ここぞの場面で最高のプレーを見せた。

ミラクル連続で富山勢最高成績

 試合が終わった瞬間の歓声が忘れられない。酒井は享栄をわずか2安打に抑え、1-0で完封。これしかない勝ち方だった。雨で観客は少なかったが、新湊のアルプスだけは異様な盛り上がりで、内外野のスタンドにもファンがあふれていた。続く拓大紅陵(千葉)も優勝候補だったが、中盤までの劣勢を一挙6点の猛攻でひっくり返した。圧巻だったのは、京都西との準々決勝だ。この日の新湊の応援団は1万人を超えたと記憶している。酒井は延長14回を投げぬいた。18安打を浴びたが1点しか許さず、またもや粘りの本領を発揮。13回のサヨナラ負けのピンチでは、相手の本盗を冷静に外し、阻止した。決勝点は相手2年生投手のボークによるもので、この一連の流れは、享栄戦の美技から続くミラクルそのもの。中継車にいた同期社員も「涙が出た」というくらいの劇的な展開で、球場にいた者すべてが試合に引き込まれた。新湊は続く準決勝で敗退するが、富山勢初のセンバツ4強は、県の春夏甲子園最高成績として今も輝いている。

ミラクルの伝統は続く

 夏は優勝校の天理(奈良)に初戦敗退を喫するが、最終回の見事な追い上げで、強豪を慌てさせた。1997(平成9)年夏は左腕のエース境剛志で出場。また「さかい」だ、と思ったものだ。徳島商との初戦は、頼みの境がライナーを顔面に受けてタンカで運ばれるアクシデント。それでも終盤2イニングで5点を奪い、5-7まで詰め寄った。その2年後の夏も、同じような試合展開となる。隣県対決となった小松(石川)との初戦は、8回を終わって0-5で見せ場もあまりなく、最終回に入る。ここでミラクルがまたも出た。相手守備のスキをつくと、導火線に火が点き、一気の同点劇。延長11回に4点を奪っての劇的勝利だった。ここまでミラクルを演じられると、これはもはや「お家芸」と言うほかない。その後、春夏ともに1回ずつ出場しているが、愛工大名電(愛知)、龍谷大平安(京都)と、甲子園優勝経験校相手に、いずれも劣勢の前評判を覆す見事な試合で初戦を突破した。

当時の監督は高岡向陵で秋優勝

 「最初」のミラクル時にチームを率いた新湊OBの檜物政義監督(67)は、現在、県内の高岡向陵で監督を務める。かつてセンバツでゲスト出演していただいたときは、地元愛の強い、実直な人だという印象を受けた。昨秋、高岡向陵は県大会で優勝し、北信越大会にも出場している。今夏も優勝候補だっただけに、断腸の思いで中止決定を受け止めているだろう。新チーム以降の甲子園出場に期待したい。

出場を待ち望まれるチームに

 「新湊は甲子園に来れば必ず何かをやってくれる」。これがファンの共通認識だ。決して常連ではないが、甲子園では不思議な力を発揮する。ファンに出場を待ち望まれる。新湊のようなチームの存在は貴重だ。強豪私学全盛にあって、センバツでは、主に地方の公立校を念頭に置いた「21世紀枠」が存在する。時を経ても、ファンの記憶に残るようなチームが出現することを楽しみにしている。