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不倫=絶対悪、女性同士の恋愛=自然となった現在。背徳的なイメージ「卍」と改めて向き合う

水上賢治映画ライター
映画「卍」より

 女性同士の性愛に焦点を当て、いまだ「禁断」といった背徳的なイメージの強い谷崎潤一郎の小説「卍」。

 1928年に発表されてから、これまで何度も映画化されてきた同作が、令和のいま再びリメイクされた。

 となると、これまで何度も映画化されてきた原作を、なぜいま再び描くのか?いま、改めて映画化する意味は果たしてあるのか?

 そう疑問を抱くことはある意味、素直な反応かもしれない。

 でも、いまだから「卍」なのかもしれない。むしろいまこそ「卍」ではなかろうか。

 令和に届けられた「卍」を前にすると、そんな感想を抱く。

 禁断はもはや過去で、「卍」という物語の世界が、いまという時代にひじょうにフィットしていることに気づかされる。

 いま、「卍」と向き合って何を考えたのか?

 W主演を務めた新藤まなみと小原徳子に続き、井土紀州監督に訊く。全八回。

井土紀州監督  筆者撮影
井土紀州監督  筆者撮影

いま谷崎潤一郎の作品を読み直す試みをしたい

 はじめに、今回の「卍」の映画化について、自身はこんなことを考えていたという。

「これまで何度も映画化されている原作ですから、いろいろと考えないといけないといいますか。

 今回は『令和版』と言われることになるのでしょうけど、でも、単に年代だけではなくて、やはりいま改めて映画化する意義を見出さないといけない。

 そう考えたとき、僕は『いま谷崎潤一郎の作品を読み直す試みをしたいな』とシンプルに思ったんです。

 どういうことかと言うと、『卍』の中で大きくクローズアップされているのは同性愛、しかも女性同士の恋愛で。

 これまではその部分で『スキャンダラス』や『禁断』といった作品のイメージになっていた。

 でも、時代を経たいま女性同士の恋愛と聞いて、『スキャンダラス』と思う人はあまりいないですよね。

 女性同士の恋愛が自然なものとして受け入れられている。そうでない人もいますけど……。

 一方で、園子と光子、そして二人の男性のパートナーを合わせた四角関係の物語でもある。

 互いにパートナーがいながら、違う相手と関係をもってしまう。簡単に言うと不倫ドラマでもある。

 で、いまの時代と照らし合わせると、不倫という点に関しては、昔と比べて、許しがたいことになっている。

 たとえば、芸能人の不倫のニュースが流れるといまは、もう当人は芸能界から追放されるぐらい風当たりが厳しい。

 その点だけで考えると、谷崎が発表した当時の原作のもっている世界観や当時の人々の中にあった倫理観みたいなものが、いまは逆転してしまっている。

 じゃあ、そこで改めて谷崎=『卍』を向き合ったときに、一体何が残るのかと、思ったんです。

 つまり、そこで残るものこそが、谷崎の『卍』の中にある本質なのではないかなと。

 その本質を浮かび上がらせることが、いまだからこそできるのではないかと思いました。

 そこを僕なりに掘り起こそうと、脚本の小谷(香織)さんとともに原作と向き合うことにしました」

映画「卍」より
映画「卍」より

「女性が見て気分を害するような、嫌な気持ちになる映画にはしたくない」

 原作を前にしての脚本作りはどのような話し合いがもたれたのだろうか?

「まず、プロデューサーも交えて、話し合いの場をもうけたんですけど、その時点で、小谷さんはこう発言したんです。『女性が見て気分を害するような、嫌な気持ちになる映画にはしたくないんです』と。はっきりと明確に宣言された。

 僕は『なるほどな』と納得したというか。

 どこか『卍』というのは『道ならぬ女性同士の恋愛』といったイメージがあった。

 で、そのネガティブなイメージの起因は園子と光子の関係にあって。二人の関係は道ならぬものとしてきたところが多かれ少なかれあった。

 端的に言うと、光子と園子の存在は否定的にとられていた。

 ただ、これは自分の恋人には、自分の妻にはこうあってほしくない、二人のようになっては困る、といった男性の原理というか、男性の目線が要因になっている気がする。

 だから、小谷さんに『女性が見て嫌な気持ちになる映画にしたくない』と言われて、改めて、男性目線だけで作られるのではなく、きちんと女性性を映し出しながらの作品にしないといけないんだと思いました。

 また、そうすることで、さっきの話に戻りますけど、いまだからこその『卍』になると思いましたし、『卍』の中にある本質が浮かびあがるのではないかと思いました」

改めて男の僕と女性の小谷さんでは考え方がちがうものだなぁと

 そこではいろいろと議論を重ねたという。

「一番印象に残っているのは、園子と光子が初めて肉体関係をもつ場面がありますよね。

 ああいう場面とか、僕と小谷さんではかなり見方が異なるというか。

 僕はけっこう肉体関係に至るにはその過程において決定的な場面があるだろうと思うんですよ。

 たとえば、一回激しくケンカしてぶつかり合った挙句、ぐっと距離が詰まるとか、あるいはエロスとタナトスじゃないですけれども、危機的な状況を感じることで、二人の意識が性の方向にぐっと向いていくとか。

 これまでピンク映画や、それに類するような映画をつくってきたときに、わりとそういうことを考えて、二人が関係をもつにいたるような流れにしていたところがある。

 でも、小谷さんは違って。『女性同士は必ずしもそうではない』と。

 たとえば、食事を一緒にしたり、女子会をやったり、そういう中でも関係性が親密になることがある。

 あと、映画で描かれてますけど、たとえば浜焼き食べながらはしゃいでいるときに、強烈な結びつきを感じることもある。

 つまり、僕の考えるような決定的瞬間みたいなことがなくても、関係が深まることがある。

 関係が深まるのにケンカや危機的状況が絶対に必要というわけではないんですね。

 なるほどなと思って、改めて男の僕と女性の小谷さんでは考え方がちがうものだなぁと思いました」

(※第二回に続く)

映画「卍」ポスタービジュアル
映画「卍」ポスタービジュアル

映画「卍」

監督:井土紀州

脚本:小谷香織

出演:新藤まなみ 小原徳子

大西信満 黒住尚生 明石ゆめか ぶっちゃあ(友情出演)/仁科亜季子

全国順次公開中

筆者撮影以外の写真はすべて (C)2023「卍」製作委員会

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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