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女優の妻の濡れ場を演出し、初のR-18映画に挑む。出発点は14年間、親の介護に明け暮れた女性の投書

水上賢治映画ライター
「光復」の深川栄洋監督  筆者撮影

 「白夜行」や「神様のカルテ」をはじめ、数々の映画、テレビドラマを手掛けている深川栄洋監督と、1990年に「櫻の園」のヒロイン、城丸香織役でデビューを果たし、現在まで女優としてキャリアを重ねてきた宮澤美保。

 ご存知の方も多いと思うが、二人は2016年に結婚している。つまり夫婦。

 映画「光復(こうふく)」は、深川が監督を、宮澤が主演を務めている一作だ。

 本作の前に公開がスタートした「42-50 火光(かぎろい)」もまた深川が監督を、宮澤が主演と、タッグを組んでいる。

 映画監督が、自身の妻である女優を主演に迎えることは珍しいことではない。

 ただ、深川と宮澤がこの二作で見せる試みは少々異例というか。

 これまでの映画監督が自身のパートナーである女優を主演に迎えて作った映画とはかなり異なる。

 というのも、「光復」も「42-50 火光」も二人が主体となって企画を立ち上げて作り上げた自主映画。

 宮澤は主演女優ではあるが、5人体制だったスタッフのひとりとして製作の一翼を担っていた。

 しかも、「光復」においては、夫である深川の演出のもと、宮澤は40代にして初のヌードでの濡れ場に挑戦。

 一方、ヒューマン・ドラマの名手のイメージが強い深川もまた、初めてR-18指定の映画に挑んだ。

 片や映画監督として、片や女優としてキャリアを重ねてきて、いま公私ともにパートナーとなって映画を作ることになった二人へのインタビュー。

 主演の宮澤美保に続き、深川監督に訊く。(全六回)

夫婦二人三脚でライフワークとして今後も続けていければ

 前回(第一回はこちら)は、パートナーの宮澤と二人三脚で自主映画を制作する「return to mY selFプロジェクト」へと至った経緯についての話を聞いた。

 自身のルーツである自主映画へ舞い戻ったことは確か。

 ただ話を聞いてみると、原点回帰というよりも、商業映画から、テレビドラマ作りを経ての新たなチャレンジという意味合いの方が強い気がする。

 今回のプロジェクトについて最後にこう付け加える。

「そうなんです。自主映画の時代に戻ろうというわけではなく、自主映画で自分のやりたいことをとことん追求したい、といった意味合いが強い。

 自主映画の時代から、商業映画の時代があって、テレビドラマの時代があって、ひとりの作り手として新たなチャレンジをする時期に来ているのではないかと考えた。

 そのときに頭の中に浮かんだのが、自分が0%から100%まで考えて作る自主映画だった。

 それと、かつて僕は、自分の理想とする表現と、実際の自分の表現力とのギャップが埋まらないもどかしさがあって、自分の限界を感じて自主映画作りを断念した経緯がある。いまならばそれを払拭して、自分の納得できる自主映画を作れるのではないかと考えました。

 さらに、自主映画に挑むことで、自分の演出の技量や表現力の現在地も見えるような気がしました。

 それでパートナーの(宮澤)美保さんに話をしたら、のってくれて、じゃあ二人三脚でやってみようということになった。

 二人でチャレンジするというのも新たな試みで、その先に何が待ち構えているのか、未知数でわからないからこそトライしてみたいと思いました。

 こういう感じなので、プロジェクトを『return』としたんですけど、戻っている感じはないんですよね(苦笑)。

 ただ、この試みをうまく当てはまる言葉がみつからなかった。それで、自分に回帰していくというのがいったん合うかなと思って、『return to mY selFプロジェクト』としたんです。

 ですから、確かに『原点回帰』ではあるんですけど、チャレンジ精神にあふれているプロジェクトだと思っていて、夫婦二人三脚でライフワークとして今後も続けていければと思っています」

「光復」より
「光復」より

14年の間、親の介護をした女性のある投書を目に

真面目で優しい人ほど、社会から見放されているのではないか?

 そのプロジェクトの第一弾作品となったのが「光復」だ。この作品の創作の原点をこう明かす。

「僕の中には、自分の中でどうしても答えのでないことというか、疑問や不思議に感じていることがいくつもあって。そのひとつを『光復』では描いてみたい気持ちがまずありました。

 例えば、社会や学校から教えられてきたこと。少し長い話になってしまうのですが、若い頃の僕は父や母が老いたら、自分がめんどうをみるのが当たり前だと思っていた。

 僕の父や母も実際に祖父母を介護して看取る姿を見てきているし、祖父母もその上の世代の世話をしてきたと思います。

 年老いた親は子どもが面倒をみる。そのことを社会通念として受け継いできた。介護以外にもそういう意識が僕達には、いくつもあると思う。

 ただ、現代社会において、僕たちはもうそういう正しいとされてきた教えに耐えられなくなってきている。その教えは呪縛の様に僕たちを縛りあげている。

 僕は昭和51年生まれ、いわゆる『団塊ジュニア』ラストの世代で、「人間や社会は法律の下で平等である」と、学校や大人たちから教育を受けてきました。僕らの下の『ゆとり教育』世代では、競争は良くない。だから運動会での50m走はみんなで手をつないで一斉にゴールする。そういう教えです。

 昭和の終わり頃から、みんなで協力することが善だと学び続けてきた。

 でも、実際はまったく違った。

 洗礼を受けたのは就職時でした。社会は平等と教えられてきたのに、いざ社会に出ようとしたら就職氷河期で、熾烈な生存競争に巻き込まれることになった。就職もままならない状況に置かれました。

 実際に社会に出てみたら、いままで教わってきたことに次々と裏切られる、先生や学校に嘘を教えられていた。そんな感覚が僕にはありました。

 それから年を重ねて、いま40代半ばを超えてきましたけど、さらに体感できていない。

 ある程度の社会ラインから上にいないと享受できないものがある。

 そこから零れ落ちると一気にサバイバル戦になるような社会になっている気がします。

 周囲に迷惑をかけてはならない、すべて自己責任という風潮は今も多く、トランプのババを引くように介護の問題がふりかかってきたら、自分の人生を諦めなくてはならない状況に追い込まれていく。その人に正義感が強ければ強いほど、優しければ優しい程にドツボにハマってしまう。

 介護の末の殺人事件のニュースに触れるたびに、僕が受けた教育はもう少し社会享受として公助があるような、みんなが幸せになるようなものだったのに、という思いに駆られる。

 学校の教育を受けていた頃は、漠然とですけど、自助だけではない、共助、公助も機能するような社会になっていくことをイメージしていた。年老いた両親の生活を、子どもだけではなくて社会全体で見るみたいな、そういった社会になっていくような気がしていたんです。もちろんそういうサービスを受けている老人もいる。そういう生活を許される人は、生存競争に残り続けた人やラッキーな人達です。

 そんな折の2018年に、14年の間、親の介護をした女性のある投書を目にしました。

 彼女は14年の長きにわたって親の介護をしてきた。そして、両親が亡くなったときはじめて自分のことを考えたら、すでに子どもを産める年齢ではなくなっていた。介護しかしてこなかったので、恋愛をまともにしたこともない。

 当然、外で働くこともできないできた。それで『これからわたしはどうしたらいいでしょうか?』という相談の投書だったんです。

 この文面を読んだときに、真面目で優しい人ほど、社会から見放されているのではないか?と、すごく考えさせられた。

 今の日本で起きていることを集めて、ニュースでは他人事に感じてしまう社会のことを、映画の中で感じてもらう。そんな作品を作りたいなと思いました。

 ここが『光復』の出発点でした」

(※第三回に続く)

【深川栄洋監督「光復」インタビュー第一回はこちら】

「光復」ポスタービジュアル
「光復」ポスタービジュアル

「光復(こうふく)」

監督・脚本:深川栄洋

出演:宮澤美保、永栄正顕、クランシー京子、関初次郎ほか

高崎映画祭(3/18(土)~3/31(金))にて上映決定!

「光復」3/22(水)18:30~/「42-50火光」3/23(木)18:30~

詳細はこちら→ https://takasakifilmfes.jp/

4月から下北沢トリウッドで「光復」「42-50火光」の再上映決定!

ほか全国順次公開予定

公式サイト https://kofuku-movie.com/

筆者撮影以外の写真はすべて(C)2022 スタンダードフィルム

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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