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「少年期の抜け出せない窮屈な人間関係と重なった」。異色の湘南映画と話題の出演作で森優作が感じたこと

水上賢治映画ライター
「ある殺人、落葉のころに」に出演した森優作 筆者撮影

 笑顔の裏に隠された狂気。優しそうな目の中に潜んだ邪心。正義の人のイメージもあれば、悪人のイメージがついてもおかしくない。なにか人間の心の正と悪、表と裏を使い分け、ここにきて存在感を増しているように思える俳優の森優作。

 現在公開中の映画「ある殺人、落葉のころに」は、ここのところ「いい人」の続いていた印象のある彼が、久々にダークサイドな面を出した1作といっていいかもしれない。

 作品の詳細は、先ごろお届けした三澤拓哉監督と、出演者のひとり、中崎敏との対談(前編後編)で伝えた通り。そちらでも確認いただきたいが、今回は、森へのインタビューから作品の新たな側面を語ってもらうとともに、彼の俳優としての現在地をきいた。

三澤監督とはすぐに仲良くなったということはなくて(苦笑)

 はじめに今回の出演に至った経緯をこう語る。

「2015年に、出演作である塚本(晋也)監督の『野火』(2015年)が<大阪アジアン映画祭>で上映されたんですけど、そこに僕も参加させていただきました。

 このとき、三澤監督も『3泊4日、5時の鐘』で参加されていて。『野火』の宣伝担当の方を介して、ご挨拶させていただいたのが三澤監督との出会いです。

 ただ、そのあとすぐに仲良くなったということはなくて(苦笑)。とくに連絡をとりあうこともなかったんですよ。

 それから、3年後ぐらいですか急に連絡がきて、台本が送られてきて、『出てほしい』みたいな(笑)。それが今回の『ある殺人、落葉のころに』の話でした。

 脚本を読んだら、おもしろい。当時、事務所に入って確か1年ぐらいで、今もそうですけど、まだまだ駆け出しでいろいろとやってみたいところでいただいたお話で『ぜひ出演したい』と思いました」

脚本の世界が、自分の育った町と重なった

 脚本の印象をこう語る。

「狭いコミュニティの物語ですけど、自分が育った町と重なったんですよね。

 大阪生まれなんですけど、子ども時代、団地で過ごしたんです。団地で暮らしたことがある人はわかると思うんですけど、独特の世界があるというか。団地の中ですべてが完結するサイクルみたいなものが存在して、今考えるとひとつの社会が形成されている。

 たとえば、外からみるとちょっと変に思えるルールも、団地の中にいる人間からすると当たり前に受け入れていたりする。

 結局、僕は引っ越して転校して、のちのち『団地には不思議なルールや共有意識があったな』とか気づくんですけど、おそらくそのまま団地にいたらその世界の中で生きていたと思うんです。

 そして、たぶん、『ある殺人、落葉のころに』で描かれているように、気づいたら、俊、知樹、和也、英太のような不動の4人でありながら、いびつなパワーバランスでつながった人間関係が出来上がってそこから抜け出せなかったかもしれない。

 そういうことを想起させる脚本で、三澤監督の独特の着眼点に唸らされるところがあったし、ひと言で言い尽くせないいろいろな問題を提示しているところもおもしろいと思ったんですよね」

森優作 筆者撮影
森優作 筆者撮影

 そう触れるように、とりわけ俊、知樹、和也、英太の序列にはわかるところがあったという。

「団地時代の環境に割と近かった。

 なかなか言葉で説明するのは難しいんですけど、たとえば集会があって、親が欠席したりすると、『あそこの親は』みたいなことになって子どもにも影響が及ぶみたいな。『親が仲悪いから子ども仲が悪くなる』といったことが当たり前のようにありますよね。

 その小さなコミュニティの風通しの悪さみたいなことが、この4人の置かれた状況や過ごしてきたバックグラウンドから伝わってきて、なんともいえない自分の子ども時代に引き戻された感覚がありました

和也は「野火」の永松にも重なる役

 4人には共通の恩師がいる。森が演じた和也にとって、その恩師は叔父。しかも、4人は恩師の弟で和也の父が経営する土建屋で働いている。

 自ずと和也は力をもち、うだつのあがらない3人の仕事のめんどうをみているような感覚がある。

 微妙なヒエラルキーの最上位にいるこの男を、森はしたたかに少しの毒をもりながら演じている。狡猾で弱みにつけこむような性格の男は、どこか『野火』で演じた永松にも重なるところがある。

「実際、三澤さんは『野火』の僕の印象が強かったみたいで、最初から『和也をやってほしい』と打診されました。

 ここまでお話したように、物語の全体像や男4人組のパワーバランスは、すごく共有できたんですよ。ただ、和也の性格はいまひとつピンとこなかったというか。最初に読んだときは、『何で彼はこういう思考なんだろう?』とあまり理解できなかった。

 でも、ご指摘の通り、台本を読んでいく中で『あぁ、『野火』の永松に近いな』って感じました。永松は妾の子という家庭環境に後ろめたさみたいなものを抱えている。和也も同じように家庭に不和があって悩んでいる。

 あと、これは僕が演じたから感じたことだと思うんですけど、和也の行動や行為の根底には寂しさがある。永松も同じで。

 二人とももともとはすごいピュアな人間なんですけど、孤独に耐えられなくなったとき、完全に真逆にふれてしまって真っ黒な人間になってしまう。

 そういうところを共有できたし、僕の中にも同じような部分がないとはいえない。そこからは、すごいやりがいのある役だと思って、演じることにうちこんでいけました。

 ただ、なにか別に自分の隠しているつもりはないけど、あえて表にだしていない保守的的な部分を、三澤監督に見透かされたのかなと思って、ちょっと複雑な心境にはなりました」

「ある殺人、落葉のころに」より
「ある殺人、落葉のころに」より

 実際にできての作品の印象をこう明かす。

「日本に厳然とある小さなコミュニティで現実に起こりえることが描かれた、きわめてリアリスティックな物語ではある。歪んだ人間関係や日本独特の村社会の古い体質といったことに言及しているところもある。

 その一方で、僕はなにかSF映画のようにも見える気がするんです。現実と幻想が入り乱れているように思えて、この作品は独特の不穏さがずっと全編にわたって漂っている。

 見方によっては、この世の物語ではないかもと、受け止められなくもない。

 たとえば、守屋(光治)くんが演じた俊は、なにを考えているかわからない。そこに所在があるのか、ないのかわからなくなる瞬間がある。

 おもしろい役だなと思って、演じてみたいと思ったぐらい、とらえどころがない。実像がみえない。どこかをさ迷っている。

 堀(夏子)さんが演じた千里も同じで。なにか幻のようにも見える。

彼らの存在だけでも、この作品の何を表しているのかを考えたくなる。そんな深読みできる余地が残された映画だと思うんです。

この映画がみなさんにどういう受け止め方をされるのかひじょうに興味があります」

(※後編に続く)

「ある殺人、落葉のころに」
「ある殺人、落葉のころに」

「ある殺人、落葉のころに」

監督・脚本:三澤拓哉

出演:守屋光治 中崎 敏 森 優作 永嶋柊吾

堀 夏子 小篠恵奈 盧 鎮業 成嶋瞳子 大河原恵

全国順次公開中

場面写真は(C)Takuya Misawa & Wong Fei Pang

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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