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被災した耳のきこえない人たちと、耳のきこえない映画監督の10年の歩み。#あれから私は

水上賢治映画ライター
「きこえなかったあの日」の宣伝・配給を手掛ける西晶子さん

 耳のきこえない自分が、ハンディキャップを抱えた人々と向き合うことで、世間及び自身の中にもある障がい者への勝手な思い込みを打ち消し、相互理解を深めるドキュメンタリー作品を発表し続けている今村彩子監督。2011年の東日本大震災以降、今村監督は熊本大地震、西日本豪雨など、大きな災害が起きるごとに被災地へと足を運び、被災した耳のきこえない人たちの声に耳を傾けてきた

 昨年公開された「友達やめた。」に続き、早くも届けられた新作「きこえなかったあの日」は、その10年にわたる記録。ひとつの節目の作品といっていい。

ハンディキャップを抱えた人々と向き合う、耳の聞こえない映画監督、

今村彩子との出会い

そこで今回は今村監督を良く知るとともに、彼女の作品を多く配給・宣伝を担当してきたリガード/Regardの西晶子さんにご登場いただき、2回にわたるインタビューから今村監督および「きこえなかったあの日」の魅力に迫る。

 はじめに今村監督と西さんの出会いは、いまから5年ほど前になるという。

「映画の制作・配給会社に勤めていたのですが、2016年に独立したんです。ただ、その時点で、先はまったく決まっていませんでした。前社のつながりで、『毎日がアルツハイマー』シリーズの関口(祐加)監督と、『花はどこへいった』などを手掛ける坂田(雅子)監督が次回作にとりかかっているということで、そのときがきたらご一緒しましょうといったぐらい。とりたてて目の前には、何の仕事もなかったんです(苦笑)。

 そんなときに知人の映画宣伝の方から声をおかけいただいたんです。『自分はスケジュールの都合で受けられないドキュメンタリーの映画あるんだけど、どうですか』と。

 その作品が、今村さんの『Start Line』でした。

 私が独立したのが2月で、お話をいただいたのが確か4月の終わりぐらいだったと記憶しています。

 『7月公開決定で、もう(公開)迫っています』と劇場の方からいわれて、慌ててサンプルDVDをみました(笑)。

 『Start Line』は、きこえる人とのコミュニケーションが苦手な今村さんが、そんな自分を変えたい、耳の聞こえる人ともっとコミュニケーションをとりたいということから自転車で日本縦断の旅に出る。

 ただ、ことはそううまく運ばずに、今村さんは自分の殻が破れなくてもがき苦しむ。作品には、今村さんのいいところも悪いところも包み隠さずに記録されている。

 その作品を前にしたとき、まず、このままではいけないと自問自答する今村さんの心情が痛いくらい伝わってきました。さらに自分を変えたい、新しい自分になりたいという今村さんの姿が、新しいことをしようと思って独立した自分にもどこか重なりました。

 作品において、今村さんには、哲さんという伴走者がいて、彼から叱咤激励されながら、さまざまなことに気づいていく。哲さんのようには無理ですが、映画が完成し、これから公開・上映していくというタイミングで、自分が新たな伴走者になれたらと、素直に思えたので、お引き受けすることにしました。それが今村さんとの出会いになります」

「きこえなかったあの日」より 今村彩子監督(右)
「きこえなかったあの日」より 今村彩子監督(右)

 その時点で、長いスパンで一緒に歩んでいけたらとも思ったという。

「同世代の女性監督というのも大きかったです。バイタリティ溢れる方なので、これからどんどん作品を発表されていくだろうと感じましたが、実際に今村さんはコンスタントに作品を発表されています。

同世代で、同じように歩を進めながら、長く関係性が続けられる作り手の方と出会いたい気持ちもあったので、いいご縁と思いましたね」

今村監督は作品の中に登場する、そのまんまの人です

今村監督の第一印象をこう明かす。

「今村さんの作品を見たことがある方はおわかりだと思うんですけど、作品の中に全てが映っている。そのまんまの人です。それは初めてお会いしたときからかわらないですね。

 映画の中で、もう内面をさらけ出しているからか、最初にお会いしたときも、初めて会った気がしないといいますか(笑)。『コミュニケーションが苦手だ』といまもおっしゃっいますけど、すごく人当たりは柔らかいし、お話も面白くて、『コミュニケーション上手!』と思いました。私は手話が全くわからなかったので不安もありましたが、お会いした瞬間に、打ち解けられました。今村さんはわたしのことをどう思ったかはわからないですけど(笑)。

 実際、取材してくださった記者さんからもよく言われるんです。『今村さん、コミュニケーションが下手だとは全然思いませんけど』と。そして皆さん、今村監督のファンになって帰られていく。

 自分のことを理解してもらおうと積極的にコミュニケーションをはかってくれる。すごく素直に自分の気持ちをこちらに伝えてくれる。それって受け手からするととても気持ちのいいことなんですよね。

 ですから、『Start Line』『友達やめた。』に登場するまんまの人ですね」

耳のきこえない監督さんとご一緒することで戸惑ったことはないです

 とはいえ、耳のきこえない映画監督ということでなにか戸惑ったところはなかったのだろうか?

「耳がきこえない監督とご一緒することは、わたしも初めてだったわけですけど、手話がわからないから、筆談の用意をしたほうがいいかな、とかそれぐらいで、特に戸惑ったことはないです。取材時などには手話通訳さんも入ってくださっていましたし。

 ただ、今村さんの思考というか。性格をつかむのには少し時間がかかったかなと。

 たとえば、今村さんが誰かに仕事の依頼をするとします。で、返事が少しだけ滞ってしまったりすると、『もうダメだ』とすぐ諦めちゃうところがあるんです。

 なので、今村さんが『返事ないから、もうノーだね』と言って、わたしが『えっ? そこはもう一回、どうでしょうと聞き直してみようよ。相手が忘れてるだけかもしれないし』なとどいったやりとりになることはしばしばありました。

 きこえない人は白黒はっきりしていて、曖昧さを嫌うタイプの方が多いと聞いたことがあるので、そういうことなのかな、と考えたこともありましたが、多分、今村さん個人の『思い込みの強さ』からきているんだと思います(笑)。

 まあ、ただ、わたしも白黒はっきりさせたいタイプなので、似たもの同士とも言えますね。

 あと、今村監督はとにかくせっかち(苦笑)。相手があってこちらだけで決められないこともある。そんな時に、せかされて『ちょっと待って!』となることは、今でもたまにあります(笑)。

 それぐらいで、大きく戸惑ったことはないですね。基本、今村さんは楽天的で、前向きな方なので、そういう部分にすごく助けられています。」

「きこえなかったあの日」より
「きこえなかったあの日」より

震災という社会的な題材を扱った新作『きこえなかったあの日』は、

正直なところ、期待と不安が半々でした

 西さんが配給・宣伝を手掛ける今村さんの作品は、「Start Line」(2016年)「友達やめた。」(2020年)に続き、今度の「きこえなかったあの日」で3作目になる。

 今回の「きこえなかったあの日」はどう受け止めたのだろう?

「今村さんは『Start Line』で自分の内面を見つめ、『友達やめた。』で自分と友人のまあちゃんとの関係性を通して、他者と向き合い、コミュニケーションというテーマに一歩踏み込んでいった。

 セルフドキュメンタリーともいえるこの2作の後に、震災という社会的な題材を扱った『きこえなかったあの日』がどのような作品になるのかなと思っていたんです。正直なことを言うと、期待と不安が半々でした。

 というのも『きこえなかったあの日』には、前段として2013年に発表している『架け橋 きこえなかった3.11』があります。

 この作品を、わたしは『Start Line』で今村さんとご一緒して、仕事が一段落した後、翌年の3月11日に都内で開催された上映会でみたんですね。

 今村さん本人にも伝えたんですけど、わたしはいまひとつピンとこなかったんです。きこえない人が災害に直面したとき、どんな状況になってどんなことに困るのかを伝えたいという今村さんの気持ちはわかる。きこえない人たちの現実を問題提起することで、社会にもっと認知してもらうことの意義もわかる。でも、そういう情報を伝えることに重きが置かれていて、ニュース映画の範囲にとどまっているのがわたしは少し不満だったんです。

今村さんが耳のきこえない映画監督として負っている道義的責任というか。聞こえる人たちに聞こえない人たちのことを伝えたい、知ってもらいたいという強い思いがあることは重々承知しているんですけども……

 その中で、『きこえなかったあの日』はどうなるのかなと、思っていたんです。ニュース性の高いものになってしまうのか、それとも新たな境地を見出すことになるのか。

 結果としては、新たな境地というか、今村さんにとって常にメインテーマになっている、コミュニケーションの問題に行き着いたなと。

この10年間、今村さんはいろいろな被災地に足を運んで、実際に耳のきこえない人たちの声をきいてきました。きこえない人たちが災害に直面したとき、どんなことに戸惑い、困ったのか、それが10年間でどう変化していったのか作品から知ることができる

 ただ、『きこえなかったあの日』は、そこだけにとどまっていない。今村さんが被災地で出会った人たちと共に歩んだ震災から10年という月日が刻まれている。

 そういう意味で、今村さんが映画作家として確固とした自分の道を見出したような印象をうけました」

自分と被災した耳のきこえない人々との対話や関係の変化をつぶさにみつめることで、被災地の現実が浮かび上がる作品に

 これまでの今村監督の作品は、よくも悪くも自分が前面に立ち、すべてを自らの問題として語るところがあった。ただ、今回は、自分と被災した耳のきこえない人々との対話や関係の変化をつぶさにみつめることで、被災地の現実が浮かび上がる

 単なる窮状をうったえる作品にはなっていない。今村監督と被災地で生きる人々の育んだ忘れがたい時間が刻まれている。

「いままで村さんの視線は、どちらかというと自分の内へ内へ向かっていた。それゆえに深いところまで掘り下げることができたのだと思います。でも、今回は、それが外へ外へ向かっていったことで、10年という時間や、取材に訪れた場所ごとの記録、そこで育まれた人間関係などが積み重なり、作品に厚みが生まれていった。より広い視野で物事を捉え、その人を見つめようとしているところがあります。

「きこえなかったあの日」より
「きこえなかったあの日」より

 実は、『きこえなかったあの日』の尺は当初86分だったんです。それが最終的に116分になった。それはある映像作家の方から『映っている人たちは確かに被災者。でも、それはごく一部であって、震災だけが彼らの人生じゃないよ』とアドバイスを受けたことが起因になっている。

 その言葉から監督がひとつ気づきを得て、被災者も自分と同じひとりの人間であるという原点に立ち返った。そこから今村さんは、作品に登場される一人ひとりととことん向き合って、その人の「人生」が垣間見えるカットを探し出し、再編集して、今のバージョンになったんです。

 そのことが、作品をみるとよくわかる。今村さんの眼差しが一人ひとりに注がれ、深い愛情をもって、みなさんと過ごした大切な時間を丁寧に紡いでいる。

 この視点に立てたことは今村さんの大きな飛躍ではないか。ひとりの映画作家として大きな成長を遂げた作品になったと、わたしは感じています」

(※後編に続く)

「きこえなかったあの日」より
「きこえなかったあの日」より

「きこえなかったあの日」

監督・撮影・編集:今村彩子

出演:加藤褜男、菊地藤吉、信子、小泉正壽(宮城県聴覚障害者協会

会長)、岡崎佐枝子(手話通訳士)

新宿K's cinema、名古屋シネマスコーレ、横浜シネマリンにて公開中。

および、インターネット配信中

公式サイト http://studioaya-movie.com/anohi/

場面写真はすべて(C)2021 Studio AYA

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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