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英国映画協会も注目の草野なつか監督。国内外で反響を呼ぶ長編第2作で、あの児童殺害事件を扱った理由は?

水上賢治映画ライター
「王国(あるいはその家について)」より

 通常では表に出ることのない役者の繰り返される本読みやリハーサルから、役者がひとつの役を体得していく過程とひとつのフィクションの映画が生まれる瞬間を収め、フィクションとドキュメンタリーの境界線を軽々と飛び越えた世界が広がる、草野なつか監督の長編第2作「王国(あるいはその家について)」。

 国内の映画祭はもとより海外でも注目を集め、英国映画協会(BFI)がリスト化した「1925~2019年、それぞれの年の優れた日本映画」で2019年の1本として選出されている本作の魅力を紐解くインタビューの後編は、作品のジャンルに関してから。

あくまで突き詰めたかったのは、身体表現と映像の可能性

 前回のインタビューで、いわゆる分類されるとしたら実験映画と書いたものの、本作が実験映画とされることで、わかりづらいといったイメージで敬遠されてしまのは不幸。そう小難しく考えないでみてもらいたいところがある。

「なかなか形容しづらい映画ですよね(笑)。私自身、ひとつの映画として作ろうとは思っていましたが、それがおもしろい映画になるかどうかということはあまり考えていませんでした。

 実験映画と言われることが多いのですが、当時、自分の中で実験映画を作ろうとか、アートに寄った映像作品を作ろうという意識もありませんでした。

あくまで突き詰めたかったのは、身体表現と映像の可能性について

 当時、自分がこれから映画を作っていく上で、映像や俳優の可能性についてとことん一度向き合わないと先に進めない気持ちがありました。映像でもっとやれることがあるのではないか、役者の性質をもっと知りたい、演技力と説得力がイコールでつながるものなのかといったことを、一度きちんと見極めたい。

 そのことを実践してひとつ形にしたら、『王国(あるいはその家について)』になった。

 なので、前作の『螺旋銀河』のような作品をイメージして、『王国(あるいはその家について)』を前にすると戸惑う人は多くいるだろうなという想像はつきます。いわゆるドラマは存在しますけど、通常のドラマ仕立ての映画とはまったく異なりますから。

 あと、今、思い出したのですが、身体や映像の可能性以外で、もうひとつ考えたことがありました。それは、『映画ごっこにしたくない』というか。低予算で時間がなくって、『映画を撮ってみました』みたいなことで終わらせるのが嫌だったんですね。

 『螺旋銀河』のときに、うまく言えないんですけど、滞りなく現場を進めるっていうことが第一優先になってしまう方向にどんどん流れたところがありました。なにか期日があって納期までにきっちり収めるみたいな商業映画のような方式になってしまったところが少なからずあった。それはもちろん、必要な経験ではあったのですが。

 でも、突き詰めたら低予算で時間もないならないで、別のやり方って絶対あったんじゃないかとずっと思っていて。それを探るための一歩と位置付けて作品に取り組んだところもあった気がします。

 それだったら作品ではなく誰かに学べばと思うんですけど、私は自分で実際にトライしてみて実践しないと学べない性格で(苦笑)。それで、ちょっと自分の考えていることを実践したところがあります。

 だから、作品としてはどう形容していいか自分でもわからない。でも、私にとってはとても大きな意味のある作品で。ここでの経験がこれからの映画作りに大きく影響してくると思っています」

「王国(あるいはその家について)」より
「王国(あるいはその家について)」より

15年ぐらい前に起きた母親による連続児童殺害事件がベース

 そうした映像や演技の探求に主軸がある一方で、そのテキストとなる物語は、親の子殺しというショッキングな題材になっている。その理由は?

「あまり表立っては言っていないんですけど、いまから15年ぐらい前に起きた母親による連続児童殺害事件がベースになっています。個人的にずっと気になっていた事件で、いつか映画で向き合いたいと思っていました。以降も、子どもをめぐっては凄惨な事件が相次いでいる。その背景にどういった現実があるのか、そのことを含めて、向き合いたいと思いました

 あと、もうひとつ。ある知人夫婦の家に遊びにいったとき、一軒家だったんですけど、家に足を踏み入れた時、なにか膜が張られているような、外敵の侵入を防ぐみたいな感覚が自分の中に生じたんです。私自身も外敵で家を脅かす存在になっているから、この場所に順応しなければいけないみたいな気持ちがめちゃくちゃ生まれた(笑)。

 その知人夫婦とは普通に仲が良くて、なにか嫌な思いをしたこともない。でも、なぜかそんな感覚にとらわれた。

 この二つを合わせることで家族と、暮らす場である家を描くと見えてくることがあるのではないかと思ったんですね。

 で、ちょっと裏話になるんですけど、私がそういう違和感を抱いた家に、脚本の高橋くんが話の着想を得るために実際に行ってみたいと言い出した。シナハンをさせてほしいと。

 さすがに知人夫妻に申し訳ないですし、自分としても倫理的にどうかと思ったんですけど、彼らの家にいったときに私の感じたことを洗いざらい話して、シナハンさせてもらえないかとお願いしたんです。

 そうしたら、『いいよ』と。それでプロデューサーも同行してシナハンして、さらにその場で、親の子殺しを題材にした作品になるかもしれないと話したら、これも全然問題ないと。なので、彼らの厚意が大きなものをもたらしてくれた作品だと思っています。普通なら断りますよね(笑)。

 ちなみに私が感じた膜がはっているような感覚は高橋くんもプロデューサーも感じたそうで。自分は『ここにいていいんだろうか』という感覚になったといったようなことを言ってました(笑)。言葉で説明しづらいんですけど、鳥の巣に、自分が違う動物なのに迷い込んじゃった感覚といったらわかってもらえるでしょうか。

 この家というのは重要なポイントで。今回の作品では家が重要なポイントとなっていますけど、『螺旋銀河』のときはコインランドリーをすごく重要な意味をもつ空間に置いているんですよね。なにか外部と分断されている世界に、私自身はすごく興味がある。このことに今回気づきました

人と人のコミュニケーションについて私はなにかを見出したかった

 空間で言えば、役者の変化というのも、与えられた空間でどう変化するかをみているところがある。

「そうなんです。さらにさきほどの話に続けると、空間の中での距離に私は興味があることに気づきました。

 どれぐらいの距離で声を届け合うと、きちんと届くのか、もしくは不快に感じるのかとか。読み合わせのときに、それこそ横並びで、顔が見えない状態だと、どう届くのか。実際に顔を合わせると変化するのかとか。検証しようとしていたところはあります。

 つきつめると人と人のコミュニケーションについて私はなにか答えのようなものを見出したかったのかもしれません。

 それから、後付けになってしまうかもしれないんですけど、なぜ家という空間と、親による児童殺害事件を合わせようとしたのかと考えたとき、正しくいることを求められる窮屈さみたいなことで自分の中ではつながったんですね。

 今の時代、正しい大人であったり、きちんとした母親であることが必要以上に求められるというか。子どもをきちんと愛すること、子どもは愛すべきものといった意識が高くて、そうできないと自分をどこか全否定してしまうところがある。世間もそれを許さない。

外にいても家にいても母親だったら母親として完璧さを求められる。その生き辛さがどこで爆発してしまうか考えると、やはり家のような気がするんですよね。社会という外ではいろいろと紛れて薄まるけど、その歪みは家の中に入ってしまうと強固な形になって浮彫になってしまう。そういうことが殺害事件と家というモチーフに自分の中でリンクしたのかもしれないと思いました。もちろん高橋君が書き上げた脚本あってのことなんですけど」

足立智充さんがいなかったら、この企画は成立しなかったかもしれません

 こうしたいわば特殊な場へ立つことになった主要な役者は、亜希役の澁谷麻美、野土香役の笠島智、直人役の足立智充。絶妙なキャスティングとなっている。

「澁谷麻美ちゃんは『螺旋銀河』から引き続きなんですけど、さきほどいったように自分の中で詰め切れなかったところがあったので彼女は最初から決まっていました。

 相手役の笠島さんは、杉田協士監督の『遠くの水』という短編に出ている彼女がすばらしくて、いつか一緒にと思っていました。

 それで、この作品の中で展開する物語は、野土香がどっちに転んでどうなるかといった要素があるので、なるべく色のついていない人がいいなと思っていて。強くも弱くもみえない、予想がつかない存在でいてほしいと思ったとき、笠島さんがいい意味でどのようにも染まれるところがある俳優さんだと思って、お願いしました。

 問題は直人役で、様々な理由により直前まで全く決まらず、もうどうしようとなったんです。ただ、こういう設定で渋谷さんも笠島さんもまだキャリアがたくさんあるという方ではないので、軸となってくれる演劇経験が豊富な俳優さんがいいなと思っていて。友だちを何人もつかまえて、誰かいないか相談したんですけど、そのうちの一人が『足立さんがいいんじゃない』かと。

 自分としても足立さんなら確かに軸になってくれると思って。知人を介してすぐに連絡したら、偶然にもスケジュールがちょうどハマって、大丈夫と話がまとまりました。ギリギリに決まったんですけど、結果としてはもうベストの選択で足立さんには助けられました。

 足立さんはキャリアが豊富で芝居がぶれないので、そこを軸にして、いろいろと変化させていくことができました。あと、足立さんはキャリアが豊富なんですけど、いい意味で自分の流儀のようなものを押し付けてこない。すごく軸はあるんですけど、臨機応変に対応してくれる。ほんとうに足立さんがいなかったら、この企画は成立しなかったかもしれません

英国映画協会選出はどんなことなのか正直わかりません

 最後に、作品は、英国映画協会(BFI)がリスト化した「1925~2019年、それぞれの年の優れた日本映画」で2019年の1本として選出された。このことをどう受け止めているだろうか?

「とてもありがたいことですし、いわゆる通常の劇場公開をしていない本作にとって、このことをきっかけに、知名度が少し上がったな、という点では助けになったのですが、個人的にはこれがどんなことなのかよく解っていないです。

 とはいえ、言葉の意味の変化ではなく『声そのものの変化を追う』側面もあるこの作品が(日本語ネイティブではない)海外で評価されたことによって、これから先、もっと無茶苦茶をやれるな、という希望にはつながりました」

「王国(あるいはその家について)」より
「王国(あるいはその家について)」より

「王国(あるいはその家について)」

監督:草野なつか

脚本:高橋知由

出演:澁谷麻美 笠島智 足立智充 龍健太

アテネ・フランセ文化センターにて開催中の<ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京2020>にて 12月12日(土)18:00~上映

写真はすべて提供:草野なつか

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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