ハンカチのご用意を! 幸せな涙を届ける映画「靴ひも」、障がいのある子の父である監督の願い
パレスチナ問題も宗教も出てこない新しいイスラエル映画
映画「靴ひも」はイスラエルから届いた1作。イスラエル映画となると、おそらくほとんどがパレスチナとの問題に言及した内容を想像するに違いない。でも、本作にはパレスチナ問題どころか宗教についての要素もほとんど出てこない。父と子の普遍的な物語になる。
発達障がいのある息子が、腎不全の父に腎臓の提供を申し出たという実話がベース
ベースになっているのはイスラエルで報道された実在の父子の臓器移植にまつわるエピソード。発達障がいのある息子が、父のために腎臓移植をしようとしたという逸話を基にした物語は、一度は家庭を捨てた父親が、元妻の死をきっかけに発達障がいのある息子と暮らすことに。長らく疎遠にしていた父と子が再び親子関係を築くまでが描かれる。父子関係の修復や発達障がい者をめぐる社会状況など、作品に含まれるテーマは映画でこれまでよく描かれてきたことといっていい。
目新しい題材ではないのになぜ数々の映画祭で数々の観客賞に輝き、世界中の人々に支持されたのか?あくまで推測に過ぎないが、理由のひとつは右傾化する社会への危機かもしれない。不寛容な社会の高まりが危惧される中、本作は他人への思いやりや困ったときはお互いさまといった良心を愚直に描き出す。改めて人としてこうありたいと感じる人は少なくないだろう。そして、その物語は、ますます窮屈になっているコロナ禍の今、さらに私たちの心に響いてくるに違いない。
発達障がいという題材は、当事者であるからこそ避けてきた
手掛けたヤコブ・ゴールドヴァッサー監督は、まずこの実話との出会いをこう明かす。
「話をきいたのは2002年ぐらいと記憶しています。ただ、当時、私自身はあまり深くリサーチしませんでした。医師である友人が本にまとめていて『君が映画にしたらどうだろう』と話をもってきてくれたんです。
なぜ、彼がそういう話をしてきたかというと、私自身が当事者であるから。私には特別支援を必要とする息子がいるんです」
実は当事者であるがゆえにはじめは映画化に乗り気ではなかったという。
「息子のことでいろいろな経験をしてきました。もちろんその中には、ひじょうに大きな痛みを伴うことも少なくなかった。ですから、私は自分の仕事である創作活動であり芸術活動と、家族の問題でありプライベートなことについてはまったく切り離して距離を置くことを心に決めていたんです。
ですから、友人がこの話を持ち掛けてきたときも、『いやいや、こういう題材を僕は手掛けないんだよ』ときっぱり断りました。友人はなおも『君だからこそ描けることがあるんじゃないか』と食い下がってきたんですけど、気持ちは揺るがなかった。それで10年以上遠ざけてきたんです」
発達障がいのある人間のことなど特に知りたいと思ってないだろうと勝手に想像していた
その気持ちを変えたのは、発達障がいのある息子ガディを演じることになる俳優のネボ・キムヒとの出会いだった。
「ネボ・キムヒさんとは、私が演出したテレビシリーズで一緒に仕事したことで出会いました。もうかれこれ15年以上付き合いのある俳優です。すばらしい人間性を携えた人物で、私が尊敬でき、信頼のおける役者のひとりでもあります。
それで、2010年に彼がテレビのシリーズでとても小さな役なのですが、発達障がいのある人物を演じたんです。すると、これが大きな反響を呼んだ。彼に気づいて道行く人が声をかけたり、フェイスブックでこの役柄に多くの『いいね』が寄せられたりしたんです。
このことを聞いて私は驚きました。というのも私の中では、一般の人たちはそういった特別な支援を必要とする人にさほど興味がないと思っていたんです。特に知りたいとも思ってないだろうと勝手に想像していたんです。つまりそういった障がいのある人間と目を合わせたり、近寄ったりといったコミュニケーションは避ける傾向にあるだろうと考えていたんですよ。
それですぐに、ネボさんが演じた役をビデオで見たところ、すばらしかった。あまりにも深い感銘を受けたので彼にメールを送ったんです。『とても素晴らしい演技だった』と。そのメールの中にちらっとなんですけど、『こういうエピソードがあるんだけど』と添えておいたんです。そうしたら、ネボさんが『すばらしいストーリーじゃないか、やろうよ』と返信してきた。でも、自分はさっき触れたような理由でダメで、精神的にも心理的にも乗り越えられる自信がないようなことを伝えたら、『大丈夫、僕がバックアップする、力になる』と、もう逃げきれないぐらいの説得をされてしまったんです(苦笑)」
目指したのは発達障がいの子をもつ家族にとっても、一般の方々にもポジティブにみてもらえる作品
こうして映画化に動き出す。
「でも、それでもどこか自分の中にためらうところがあって、自分がこの実話を映画にする理由をみつけなければなりませんでした。
考えに考え抜いて、たどりついた答えは、こういった特別支援を必要とする人々に対する一般の人たちが抱くネガティブなイメージを変えたい。発達障がいの子をもつ家族にとっても、あまりなじみのない一般の方々にももっとポジティブにみてもらえる作品を作ること。これこそが当事者でもあり映画監督でもある自分の役割ではないかと考えました。そして、この主役のガディを、みんなが愛せる、親しみを感じるキャラクターとして描けたらと思いました」
そこで少し内容もユーモアがあって前を向けるものを目指したという。
「実際の話は、裁判で息子が父親に腎臓を提供するということが却下されてしまったんです。息子が腎臓を提供するのであれば、父親が高齢だったこともあって、より若い人に優先順位があるとの判断がなされた。父に提供したいという息子の意思は叶わなかった。ひとつの悲劇といえる。
ですから、このエピソードは大切にしながらも、作品では少し変えることで前を向ける内容にしました」
発達障がいの息子への父の想い。臓器まで奪ってしまうことは耐えがたい
作品は、ガディと父のルーベンが数十年ぶりに一緒に暮らし始めるところからスタート。はじめどう接していいかわからないルーベンはすみやかに施設を見つけてガディを預けることしか考えていない。だが、日々一緒に過ごす中でガディにも自分の世界があり、日々成長していることを実感。見る目が変わったルーベンはガディと深い信頼関係を結ぶ。だが、その矢先にルーベンが末期の腎不全と判明。ここでガディは自らの意思で父への腎臓の提供を申し出るのだが、まさにここのやり取りが脚本作りでは最大の難関だったそうだ。
「長年の盟友である脚本家のハイム・マリンさんとシナリオ作成に取り掛かったのですが、練りに練って脚本作りは5年も費やすことになりました。ほんとうに議論をしつくしました。
1番、彼との間で意見が分かれたのは、腎臓移植の場面です。劇中では、ガディが腎臓の提供を父であるルーベンに申し出る。が、ルーベンはそれを受け入れない。
これは僕の意見だったんだけど、ハイムさんは『なぜ、ガディが腎臓を提供すると言っているのに、ルーベンがそれを受け入れないのか』と。なぜルーベンが断るのかわからない。『もし腎臓を受け取って長く生きられればガディは身内を失うことはない。父にとってもいいことじゃないか』と言ったんだ。
たしかにそうかもしれない。でも、私は確信していたんです。絶対に父親は断ると。それは映画でも描かれていることですけど、発達障がいの息子はこれまでいろいろなものを奪われてきた。その彼から臓器まで自分が奪ってしまうことは父としては耐えがたい。これは当事者である私の気持ちでもある。最後はハイムさんも理解してくれて、ああいう感動的なシーンに落ち着きました」
ガディには私の息子が反映されています
こうして実際の撮影に入るが、そこからはこれまでのためらいが嘘のように進んでいったという。
「実のところ撮影が始まったら、とても簡単といいますか。今までの手掛けてきた作品の中で一番スムースに物事を運べたといっていいかもしれません。というのも、すべてわかるんです。これまである意味、自分が経験してきたことですから、躊躇して悩むことがほとんどない。
通常の作品ですと、こういう解釈もあるかなとか、こういう感情表現は合っているのかなと常に自問自答しているところがある。それで、念のために別バージョンもとっておこうとなることも多々ある。編集の段階で、どちらにするか決めればいいやと。
でも、今回は迷いは一切なかったんです。これは要る、これは要らないということがはっきりわかっていましたから。この作品は予算が限られていたこともあって、16日で撮り上げました。通常だったらおそらくその2倍は必要だったでしょう。でも、今回は16日の日数で十分でした。それぐらい自分で明確に何を撮ればいいのかわかっていたのです。
ガディはある意味、私の息子を重ねればよかった。実際、反映させた部分があります。息子の名はウリというのですが、彼はユーモアであって、会う女性ごとにこう言うんです。『彼氏はいるの?』と。彼なりのジョークなんですけどね。あと、眼鏡を掛けたままシャワー浴びるとか、そのあたりがすべてガディに反映されています。
ですから、ほんとうに迷うことがなくて、自分の中にある明確なシーンを撮っていけばいいだけでした」
イスラエルでは紛争といった大きな問題に隠れてしまって、特別支援が十分とはいえない
そこで気になるのは、イスラエルの知的障がいや発達障がい者に対する国のケアや社会のシステムだ。劇中では、なかなか受け入れ先の施設が決まらなかったり、閉鎖病棟的な施設があったりと、シビアな現実が描かれている。
「イスラエルでは、非常に深刻な問題がすでにいくつもあるわけです。戦争や紛争、イランの核の脅威であったりといったことが。
そういった大きな問題のために、ほかの問題は常に後回しにされてしまう。また、大きな問題にのみこまれて、埋没してしまう。ですから、ほんとうは社会全体できちんと考えないといけないことが、なかなか注目を集めない現実があります。
そのひとつが発達障がいの人々への支援であり福祉といっていいでしょう。イスラエルでは特別支援の施設はほとんどが民間の運営です。政府の予算はいくらかついていますが、十分とはいえません。ですから、施設は独自に運営費を賄う道を模索しないといけない。
それでも民間の努力もあって、徐々に環境は整ってきて事態は良くなってきていると私は感じています」
ハンカチをお忘れなく(笑)
タイトルの「靴ひも」は、ガディの苦手とする動作の一つである「靴ひもを結ぶこと」からとられている。これは、発達障がいの一つである「協調運動障がい」によるもので、指先の不器用さ(運動性だけではなく考え方や対人関係の取り方にも不便が生じることがある)として現れ、障がいの程度を審査する指針の一つとされている。
劇中では3度、ガディが靴ひもを結ぶシーンが登場。このことがガディの成長の軌跡を示し、最後に深い感動の余韻を残す。
「これまでのキャリアで発表してきた中で『靴ひも』は唯一、メッセージ性の強い作品といえるでしょう。
ガディを通して、発達障がいの人にもそれぞれの価値観、美意識があることを知ってもらえたらうれしいです。彼らはいわゆるエモーショナルIQという、心の知能指数が高くて発達しているんです。私はそれを『心の英知』と呼んでいるのですが、そこにはひじょうに豊かな世界がある。ですので、彼らを知ることで、私たちも学べることがいっぱいあるのではないかと私は思っています。
ですから、観客のみなさんには自らの意志で未来を拓き、困難を乗り越えて大きく成長していくガディの心の中の感情の旅を共有してもらえたらと思っています。ガディの心を旅することで多くの気づきがあると思っています。
私は日本のみなさんの心に(この作品が)届くと信じています。というのも、2018年に東京国際映画祭で上映したときも、本当にお客さまの心が動いたというのを実感しているんです。多くの方が涙を流されて思いを共有してくださいました。
ですから、今回の劇場公開でもみなさんの心に届くと信じています。そして、ご覧になる方はハンカチやティッシュを忘れずにご持参ください(笑顔)」
映画「靴ひも」
10月17日(土)より、シアター・イメージフォーラム ほか全国順次公開
公式サイト:https://www.magichour.co.jp/kutsuhimo/
『靴ひも』初日に監督トークイベント決定!
初日10/17(土)14時の回にて、ヤコブ・ゴールドヴァッサー監督と
中継でトークイベントをシアター・イメージフォーラムにて実施。
詳細は、こちらまで
写真はすべて(C)Transfax Film Productions