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よき先輩だった監督の死を乗り越えて。後輩たちが完成に導いた映画「ロストベイベーロスト」公開へ

水上賢治映画ライター
「ロストベイベーロスト」 主演の松尾渉平(左)と村上由規乃(中央)、米倉伸(右)

 映画「ロストベイベーロスト」は、京都造形芸術大学(現京都芸術大学)の映画学科で学んだ柘植勇人監督が、母校の仲間とともに作り上げた自主映画だ。しかし、柘植監督はもうこの世にいない。撮影終了後、彼はこの世を去り、撮影を務めた米倉伸が引き継ぎ、編集して作品は完成した。

 そう背景を記すと、どうしても周囲というのは作品に勝手な感動のストーリーをつけてしまう。たとえば、「故人の遺志を継いだスタッフが悲しみに負けずに完成させた」といったように。確かに、この作品に関わった人間にそういう思いがないわけではないだろう。

 でも、こちらがそうした勝手なストーリーで語ることで、作品が宿命を背負ったイメージになることはできれば避けたい。それは、おそらくこの作品に関わったスタッフとキャストの本意ではない。なにより、柘植監督自身が望んでいないような気がする。ただ、残念ながら作品について本来語るべき当事者の監督はもういない。

 紆余曲折を経て、完成に至った映画「ロストベイベーロスト」。監督不在をどう乗り越えて、作品は完成に至ったのか?柘植勇人という映画監督は、何者でこの映画でなにを描こうとしたのか?

 柘植監督と現場をともにした撮影と編集の米倉伸、主演の松尾渉平と村上由規乃の話から作品を紐解く。

柘植さんは自分の中に正義がある人。でも基本はふざけている(笑)

 はじめに3人と柘植監督の出会いから。先に触れたように、京都造形芸術大学(現京都芸術大学)の学生として彼らは出会っている。

米倉「僕は、学年がひとつ違いで柘植さんが上。先輩と後輩になるのですが、同じ学科なので、お互いに存在は知っていました。

 それで柘植さんが4回生で僕が3回生のころ。柘植さんの卒業制作作品『人間シャララ宣言』に、撮影部の応援スタッフとして参加したことがきっかけで少しずつ話すようになりました。

 印象としては各学年に必ずほかとは違って目立つ人がいますけど、そういうタイプ。合評と言って、先生による講評会が毎年あるんですけど、その時の発言とかも面白い。他の作品にもちゃんと意見を出していて、映画に対して『真摯な人だなあ』と思いました」

松尾「僕は米倉と同じ学年で、柘植さんは1つ上の先輩でした。柘植さんを知ったのは、1年のとき。学内での舞台に出演したんですけど、柘植さんがスタッフで音響を担当していて知り合って、たまにご飯を一緒に食べにいくようになりました。

 で、2年生のときに、また同じ舞台をやったときに、柘植さんがまた音響で僕の出演を見て『お前、面白くなったな』みたいな言葉をかけてくれたんですよね。

 それでさらによく話すようになって、他愛のないことから『おもしろいってなんやろな』みたいなちょっと哲学的な話まで、夜中まで語り合うようなこともよくありましたね。

 それだけいろいろと話して、話の延長線上で、『いつかいっしょにやりたいわ』みたいなことを言ってくれていたんですよ。でも、『人間シャララ宣言』には呼ばれなかった。これは、がっかりしました(苦笑)」

村上「私は3年生のときに、柘植さんが4.5回生というか。留年していて(苦笑)。そのころに、友だちになって、よくお昼ごはんをいっしょにいったりしていました。

 初めて話したのは、よく覚えていないんですけど、『人間シャララ宣言』にわたしも少しだけ出演させていただいて、そこから仲良くなった感じですね。

 なぜかギターを柘植さんが学校に持ってきていて。『ロストベイベーロスト』の脚本の相良(大起)君と一緒に、学校の教室でギターをめちゃくちゃ弾くところを見るみたいなこともありましたね。

 わたしの中では、『正義感のある人だなあ』という印象がすごくあります。柘植さんの中にけっこうはっきりとした正義があるというか。たとえば大きな事件が起きたりすると、すごくそのことについて真剣に自分の意見を熱く語る。でも、ふだんはずっと冗談というかふざけたことばかり言っている。そういう両極端というか。ギャップのある人でもありました

映画「ロストベイベーロスト」より
映画「ロストベイベーロスト」より

 そうした関係性がある中で、柘植から『ロストベイベーロスト』の作品参加への打診を受ける。

米倉「『人間シャララ宣言』から1年後ぐらい、僕が大学を卒業間際ぐらいのころに、『新しい自主映画をやろうと思ってるから、撮影を担当してくれないか』と。

 実は、最初は何となく断っていたんですよ。僕の撮影作品も見てくれていて、『それもあってお願いしたいんだ』とか、『とりあえず脚本を読んでくれないか』と誘われていたんですけど。僕自身が卒業間際で、『東京に行くかどうか』みたいなときにきた話だったので、最初は『違う人の方がいいんじゃないですか?』と。

 ただ、その段階で出来上がっていた脚本がとても興味深かった。それで『これは断る理由がない。参加しようかな』と。あと、松尾と村上が出演するということをその段階で聞いていたのも大きいです。もともと、僕は2人とも好きな役者で、いつか『撮りたい』と思っていたので」

松尾「僕は先ほど言ったように『人間シャララ宣言』に呼ばれなくて、がっかりしたんですけど、柘植さんが卒業するぐらいに、やっぱりこの人といつかいっしょにやってみたいと思って、『もっとおもろなるんで一緒にやりましょう』とラブコールのようなことを伝えていたんです。

 柘植さんは『わかった、わかった』といった感じだったんですけど、その半年後ぐらいに『ロストベイベーロスト』の脚本が送られてきた。それで『これ、やんねんけど、一緒にやらへんか』みたいなことを言われて、もう断る理由はなかったです」

村上「わたしはそれこそまだ『ロストベイベーロスト』の企画が始まる前から、誘っていただいたんです。『まだ、脚本とか全然ないんだけど、次、いっしょにやろう』と。

 ですから、お話をいただいたときは、松尾君と同じでそのときが来たんだなと思いました」

 それぞれ脚本の印象をこう明かす。

米倉「脚本は、相良大起が手掛けています。経緯を相良に聞くと、彼が基本は執筆をしていて、アイデアだしに関しては柘植さんも一緒にやっていたと聞いています。

 僕が脚本から受けた印象は、言葉でうまく説明できないというか。ちょっと語弊を生んでしまうのかもしれないんですけど、『ものすごいぐちゃぐちゃな脚本だなぁ』と。普通の脚本は読むと、なにかしらシーンとシーンにつながりを感じて、ひとつの物語が構成されていく。でも、この脚本はそれが一切ないなと。

 でも、撮影としての目線も入るんですけど、それがマイナスな印象に僕は思えなかった。むしろ面白いと思った。『こんなことが起きて、次はこんなことになります』というシーンとシーンの間にある飛躍を描けるんじゃないかなと思ったんです。

 それはたぶん、柘植さんの前作を見ていたから。柘植さんがこれを撮るとなったとき、この脚本のいわゆる行間の書かれていない空白の部分を、メインは役者の芝居で埋めていくんだろうなと思えた。それで、松尾と村上の二人がやると聞いてたから、これはぜったいにいいものになると思ったんですよね」

松尾「僕の正直な印象は、すごい役がきたなと。すぐさま陽平という役に思いを巡らせる一方で、考えれば考えるほど『自分でいいのか』と悩みました。

 字面だけを追うと、陽平はすごくやさぐれているというか。荒っぽい人間の印象に思えたんですよね。不良っぽく僕の目には映った。

 それで、柘植さんには提案したんですよ。『金髪にしたほうがいいですか』とか、無理なんですけど『がたいがいい感じに見えるように鍛えましょうか』とか。

 でも、柘植さんは『いやいや、別に鍛えんでも髪も黒でいいよ』みたいな答えで。演じるうちに陽平の印象は変わったんですけど、最初のうちはずっと『果たして、自分が演じていいのか』と悩みましたね。

 ただ、柘植さんが『言葉で伝わらなくてもいい。そこに立った雰囲気で怒っているとか、悲しんでるとか、そういう雰囲気さえ伝わればそれでいい。シルエットでなにかが伝わればいい』といって、『なるほど』と思って役にも脚本にも向き合ったところがあります」

村上「そうですね。私も松尾君とけっこう同じことを思いました。柘植さんは、人と人との間に映画があるというか。さっき松尾君が言っていたみたいに、『こういう人物はこういう見た目の印象でこういう言葉遣いじゃないといけない』みたいな固定観念にとらわれない。こういう脚本があって、この役者とやりたい、『じゃあどうする』みたいな感じ。

 だから、わたしが最初に凛子役に受けた印象は、自分にあてがきした役ではないだろうなと。だからこそ、やりがいがあるなと思いました。

 脚本の内容のことも話す機会はもちろんあったんですけど、あまりよく覚えていないんですよね。ただ、すごく覚えているのは、柘植さんに『女心としては、この脚本はどうなのよ』と問われて、わたしは答えられなかった。『そうですね』と言ったまま、何も言えなかったんです(笑)。振り返ると、柘植さんはもうその段階で、凛子の気持ちは分からないってことをもう分かっていたのかもしれない。それでわたしにきいて、やはりわからないんだなと思ったのかもしれません」

いろいろな人間がいていい、そう思える映画にしたい

 作品は、特に将来を見据えることもなく、何でも屋として働く陽平が、ある日、帰宅すると同棲している恋人の凛子が見ず知らずの赤ん坊をどこかから連れてきたところから始まる。この凛子の行動にまったく同意できない彼だが、彼女にどこかおんぶにだっこしてきた身としては何かを強くいうこともできない。特に反論をすることもできず、彼は赤ん坊のめんどうをみるようになる。小さな命に向き合ったとき、陽平の何かが変わる。

 傍から見ると、赤ん坊を勝手に誘拐した若い男女の身勝手さに批判が集まるかもしれない。ただ、ひとつひとつの事象をみていくと、社会の片隅で生きながらも失わない人としての誠実さ、小さな命への責任と優しさなど、今の社会に対するメッセージが読み取れる。

 実際のところ、柘植監督はここで何を描こうとしていたのだろうか?

米倉「柘植さんは、あまり文字面に表れてくるストーリーみたいなのに興味がない。そう僕が言い切るのは変なんですけど、そういうところに映画をつくる醍醐味を感じていない人のような気がします。ですから、脚本の段階でこういうことがやりたいということを話した記憶はないんですね。

 ただ、現場で松尾と村上の芝居をみる中で、『いろいろな人間がいるという映画にしたい』ということを何度か僕に言ってきて、『そういうふうに撮ってくれないか?』と言われたんです。

 それがおそらく、柘植監督と僕の間にある唯一の架け橋というか。唯一の共通項で。

 この映画には実は、最初の編集版で切ったシーンも入れると、あと2~3人出てくるんですよ。そして、どの人間も完璧な人間ではない。いわゆる社会的に地位があったりとか成功していたりとか、すごく気持ちのいいさわやかな人間だったりといった第一印象としてポジティブな人間がまったく出てこない

 陽平と凛子に顕著に表れていますけど、凛子は赤ちゃんを連れてきてしまう何を考えているか分からないような女性、陽平はその日暮らしであらゆる面で怠惰な男。で、陽平がつるんでいる友だちも、おそらく10年後のことなんて考えないで暮らしているような男たち。

 そういう人間でも生きていていい時間というのを、柘植さんは映画の中にはつくりたいと思っていた気がします

 ちょうど時期的にも、僕らもそうでしたけど、学生と社会人との間にいた時期で。まだ何者でもないときだった。その中で、周りとうまく歩調を合わせられなかったり、メールの返信ひとつ時にうまくできなかったり。自分が不器用であることを柘植さんは自覚していた。それはなんとなく会話を交わす中で、僕は感じていたんですね。

 だから、柘植さんもそうだし、僕もそうだし、脚本の相良もそうだし、周囲の人間もみんな得手不得手がある。そういうことでひとりで苦しんでいる人間に『もっと気楽に生きていいんじゃない?』ってことが言いたくて、そうした人間ばかりを映画に登場させたんじゃないかと僕は思っています。それで僕に『いろいろな人間がいる映画にしたい』と言ったと思うんですよね。

 だから、僕は編集をするときに、その言葉をよりどころにした。いろいろな人間がいていいということを描こうとしていた気はします」

映画「ロストベイベーロスト」より
映画「ロストベイベーロスト」より

村上「映画の中では、なんで凛子が赤ちゃんを誘拐してきたのかも、赤ちゃんを育てようとしたのかも明かされないまま。凛子と陽平がどのような状況にいるかは触れられているんですけど、二人の関係がどういうものなのはあまり明かされてない。

 でも、決して豊かな暮らしではないし、いろいろな人に助けられている。そこで周囲への負い目というか。みんなにいつも迷惑ばかりかけて申し訳ないなとか、自分てダメな人間だなと思いながら二人とも生きてる。

 そうした社会からどこかあぶれてしまった人間たちに柘植さんは思いを寄せているんじゃないかなとわたしは感じました

松尾「僕は陽平を最初、『こんなやつ、いるんかな?』と思ってたんですよね。恋人が誘拐してしまった見ず知らずの赤ん坊を自分なりに必死に守ろうとする。こんな男がいるのかと。

 でも、いま、柘植さんと同い年になったんですけど、すごく同意できるというか。『けっこう、こうなる人間いるんちゃうかな』とおもうんですよね。

 ほかにも、たとえばコンビニのおじさんが陽平に『ちゃんとやれよ』といいますけど、このセリフとか突き刺さってくる(苦笑)。なんか3年前の撮影だったんですけど、時を経ることで自分が陽平にどんどん近づいていっている。

 まさか、演じた役が後から『お前はこうなるぞ』と言ってくるパターンか、とけっこういまびっくりしているんですよね。柘植さんに見透かされたような気もして。

 ただ、どこか宙ぶらりんでいる陽平のような人は世の中にいっぱいいると思うんですよね。でも、それを悪くは描いていないそれが柘植さんの視点だったのかなという気はします」

映画「ロストベイベーロスト」より
映画「ロストベイベーロスト」より

突然の柘植監督の死、しばらくは何も考えられなかった

 このようなことをスタッフもキャストも考えながら撮影は無事に終了。しかし、編集段階に入ったとき、柘植監督がこの世を去る。

米倉「僕は、そのとき、京都に家はあったんですけど、仕事で東京にいたんです。その仕事のクランクアップの日の朝だったんですけど、起きたら相良から電話が入っていて、『柘植が死んじゃって』と。

 そのとき、僕と相良と柘植さんで一緒に映像制作の仕事をしていたので、あまりにも唐突なことだったから、はじめは『死んじゃった』は、その映像のデータを消失してしまったことかと思ったんですよね。ちょうどその仕事の納期も近いころだったんで。

 それで改めて『どういうこと?』と聞いたら、『ほんとうに亡くなったんだ』と。

 僕は東京にいたこともあってどこか信じられないというか実感がない。でも、相良がほんとうにメンタルがまいっていることは伝わってきて、とりあえず東京の現場に休ませてもらえないかと連絡したら、理解してくれてすぐに京都に戻ったんですね。

 そこからはほんとにバタバタで、葬儀も少し手伝ったんですけど、何の実感もないまま終わった感じでした」

松尾「僕は伸君から電話をもらって知りました。直後は、もう信じられなかったとういか、『何が起きてしまったのか』と戸惑うばかりでした」

村上「わたしも電話をもらって知ったんですけど、どう受け止めればいいかわからなかったです」

 それぞれに心の整理がつかない状況が続いたという。

米倉「僕は、残されたものが多過ぎて悲しむ間もなかったというか。実際の作業としてやらなければいけないことが山積みになっていた。さきほどの仕事も納品しなければならなかったし、この『ロストベイベーロスト』もどうするのか決めなくてはいけない。

 そもそも自主映画だから、作品を完成させる義務はないじゃないですか。でも、関わってくれた人たちのことを思えば、『責任はあるな』と思って。

 ただ、僕は撮影部として今もフリーでやっていて、自分の仕事もあるし、やりたいこともある。時間が無限にあるわけではない。しかし、『どうにかしないと』という気持ちは常にある。でも、実際問題としては、少なくとも2~3カ月ぐらいは柘植さんのことを考えないことはなかったですけど、仕事作業に忙殺されていました」

松尾「1年ぐらいは心が沈んだままでしたね。でも、伸君が『ロストベイベーロスト』を完成させると言ってくれ、たびたびYouTubeに映像がアップされ、それが救ってくれたというか。少しずつ作品が形になる中で、自分も逆に何か返せないかなと思うようになった。柘植さんになにか恩返しじゃないけどできないかなと。

 そうなって初めて、ちょっと悲しみから抜け出せた気がします。でも、まだあの日からなにもかわらないような気もしています。ほんとうに『柘植さん、いてや』って感じです」

村上「最後に話したときのことを、思い出すんです。そのとき話したのが、あるミュージシャンの方が、ある学生の演奏会で、自由にソロを叩いたドラムを担当していた男の子を殴ったという事件のことで。

 柘植さんが『どんなことであれ、殴るべきではない』と力説していて、その子はすごいとずっと話していたんですよね。

 わたしの中では、その会話から時が止まってる状態というか。柘植さんが言ってたことを思い返すことが多くなりました。『柘植さんってどういう人だっただろう』とか考えたり。

 まだ悲しい気持ちはあるんですけど、最近になってようやく悲しみに暮れるより、柘植さんとの楽しかった思い出を考えることが多くなったと思います」

監督の不在を乗り越え、作品の完成を決意した理由

 そうした中、米倉は作品を完成させる決意を固める。

米倉「やると宣言はしたんですけど、正直いうと、その最初の時点では、本当にやるかどうか、自分の中であまり決め切れていませんでした。

 柘植さんはカメオ出演をしていたりもするので、その映像素材に向き合うのは正直なところきついし、彼の姿を冷静に見られる自信もなかった

 実際にやろうと決めたのは、たぶん亡くなって半年、いや、10カ月ぐらいたってから。そこでやっと素材を開けてみる気持ちになった。その時点で、気持ちに整理がついたとは言えないまでも、『もうやるしかないな』と。

 ほんとうは、こういう取材で『この作品は完成させるべきと思った』と格好よく言い切りたい。でも、本音を言うと、めちゃくちゃ嫌で(笑)。ものすごくポジティブな感情で『やります』と決めたわけではない。関わってくれた人への責任という気持ちはもちろんゼロではない。でも、それがすべてではない。当時も今も『大変なこと引き受けてしまったな』とずっと思っている。単純に作業量としてもそうだし、おのずと柘植さんの死と向き合うことでもあったので。

 だから、確かに『やります』と言ったのは、なし崩し的なところは半分あるんです。でも、その中でも『やろう』と踏ん切りをつけてやれたのは、さっき村上が言ったように、柘植さんのことを思い出すことが増えていって。僕は柘植さんとの関わりの大部分は、この作品に対してのことだったんですよね。

 ほかの仕事でも関わってはいたけど、この作品での時間がたぶん柘植さんと関わった時間の8割を占めている。それで、柘植さんについて思い返すことのほとんどは、この作品のことだったんですよね。

 その中で、自分が撮影して、柘植さんと一緒にカメラのこちら側でフレームを見ていたこととかを思い出したときに、自分の中で『けっこう好きな作品だ』と確信できた。それから松尾と村上の芝居を、僕は撮影しながらすごく楽しんでいた。ほんとうに好きな役者だったので。

 この二人が、これだけ魅力的な芝居ができること、特に松尾に関して言うと、ラストカットのあの表情を見た時に、『この作品はたぶん成功できるだろう』と思った。この表情ができる役者っていうのは、今の果たして同世代の役者にどれほどいるんだろうと思った。

 それを考えたときに、これを届けないのは無責任とまでは言わないけど、ちょっともったいないなと思ったんです。単純に『二人の芝居を見てほしい』という思いが、引き受けた大きな理由というところはあります。

 逆にそうじゃないと僕も割り切れないというか。柘植さんにひっぱられると、自分が潰れるかもしれないと思ったんですよね」

映画「ロストベイベーロスト」より
映画「ロストベイベーロスト」より

 こうして作品は完成した。いま、この作品をどう感じているのだろうか。

松尾「いろいろな意味で、つながりを感じています。

 まず、作品の中で陽平はいろいろな友人とのつながりで助けられながら、生きている。現実世界の自分も、(米倉)伸君だったりとの人とのつながりの中で生きている。また、柘植さんとのつながりから始まったものの、途切れてもおかしくなかった『ロストベイベーロスト』を伸君がつないでくれて無事に完成させてくれた。いまは、こうしたつながりに『ありがとうございます』という感謝の気持ちでいっぱいです

 そして、こうしたつながりで生まれた作品が、観客のみなさんにつながっていただけたらなと。また、観てくれた方が、ハチャメチャやっても許してくれる友達がいるとか、自分の味方にいつもなってくれる人がいるなとか、自分とつながっている大切な人を想いだす機会になってくれたらと思っています」

村上「わたしは『柘植さんと一緒にどういうものを作ることができたのか』ということをいますごく考えています。それで、この作品で描かれたことを大事にしたいと思っています。

 その中で、ラストシーンに込められた想いをみなさんに感じてほしいというか。いまのこの国では、苦しい状況にいる人が多くいる。陽平も多くの困難に直面して、時に投げ出したくなりながらも、守るべき存在を必死に守ろうとする。ラストに示される陽平のその先の未来を信じたい。そのことが多くの人に伝わって元気づけられたらいいなと思っています」

米倉「これは柘植さんの生死を問わず、単純に自分にとってとても大事な作品だなと思っています。

 柘植さんが死んだことによって、作品が僕の中で特別大事になったというわけではない。自分が携わった作品として、いい意味で普通に大切な作品です。

 いまはこの作品が誰かに大事にしてもらえたらうれしいし、誰かにとって大切な作品になってくれたらと願っています

映画「ロストベイベーロスト」より
映画「ロストベイベーロスト」より

「ロストベイベーロスト」

9月12日(土)より新宿K's cinemaにて一週間限定公開。

9月26日(土)より大阪シアターセブン、

10月10日(土)より名古屋シアターカフェにて公開。

新宿K's cinemaにて上映での上映期間中、豪華ゲスト登壇による上映イベント決定!連日21:00の回の上映後実施。詳しくはこちら

9月12日(土) 舞台挨拶

松尾渉平、村上由規乃、中村瞳太(以上、出演)

9月13日(日) トークショー

今泉力哉(映画監督)、松尾渉平、村上由規乃、米倉伸(撮影・編集)

9月14日(月) トークショー

佐々木敦(評論家)、松尾渉平、村上由規乃、米倉伸

9月15日(火) トークショー

林海象(映画監督)、松尾渉平、村上由規乃、米倉伸

9月16日(水) 舞台挨拶

松尾渉平、村上由規乃、吉井優(以上、出演)

9月17日(木) トークショー

山中瑶子(映画監督)、金子由里奈(映画監督)、松尾渉平、米倉伸

9月18日(金) トークショー

青山真治(映画作家)、松尾渉平、村上由規乃、米倉伸

筆者撮影以外の写真はすべて(c)2020 映像制作 離

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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