はずかしくて演劇部にも入れなかったのに表舞台へ。新作では悲しみから立ち上がる女性役に
いま注視してほしい女優のひとりにあげたいのが和田光沙だ。すでに10年以上のキャリアを誇る彼女だが、ここにきて、瀬々敬久の『菊とギロチン』や白石和彌の『ひとよ』など、気鋭監督の作品に次々と出演。独自の存在感を放つ。昨年、異例のロングランヒットを記録した『岬の兄妹』の自閉症の真理子役といえば、思い浮かぶ人も多いことだろう。
そして迎えた福間健二監督の長編映画第6作『パラダイス・ロスト』では、主演で新たな一面を見せてくれる。
尊敬する映画監督からの突然のオファーにびっくり
まず、福間監督との出会いを和田はこう語る。
「福間監督は、2011年のサトウトシキ監督の『花つみ』という作品でわたしのことを知ってくださったみたい。そのあとも、ありがたいことに出演作品をけっこうみてくださっていたようです。
わたし自身も福間監督の作品が好きで、なんどか観にいったことがあって、そのときにご挨拶はしていたんです。でも、それほど深くお話するような機会はありませんでした。ですから、『映画に出てほしい』といきなりご連絡をいただいたときはびっくりしました。ほんとうにある日突然で」
ただ、このとき打診された映画は立ち消えてしまう。
「夏に北海道で撮る予定だったんですけど、ダメになったと。それからしばらくして、もう完全に無くなったんだろうなと思っていた矢先に、連絡がきたんです。『東京で全然違う企画をやるのでどうか』と。
それで、その年の7月にSKIPシティ映画祭で『岬の兄妹』の上映があったんですけど、そこに福間監督と、奥さまの恵子さんがきてくださって、脚本を頂きました。『こういう内容です』と手渡されました」
福間監督作品は美術館で上質な絵をみるよう。ずっとみていられる
これが主演作『パラダイス・ロスト』。その話に入る前に、まず福間作品についてはこんな印象を抱いていたという。
「確か初めて見たのは、『あるいは佐々木ユキ』なんですけど、それで一気にファンになって、さかのぼってみたんですね。当時は、ほんとうに失礼なんですけど、福間監督が詩人ということもしらないぐらい、なんの前情報もなしに、たまたま観にいったんです。
それが観たらもう、ほかに類を見ないタイプの映画で。美術館で上質な絵画をみるといいますか。いつまででもずっとみていられるような充足感で心が満たされた。ほんとうに映画って自由で、こういうふうに心が動かされることがあるんだなと」
ひとりの演じ手として考えたこともあったという。
「福間監督の作品は、現実にも非現実にも思える世界が広がり、時間が流れている。でも、そこにどの役者さんもひとりの人間として立っているんですよね。その演技としては無機質にも思える淡々としたセリフのやりとりが繰り広げられているのに、それがなぜかエモーショナルな感情となってこちらに届いてくる。映像と言葉が一見すると乖離しているようなんだけど、実は混ざり合って独特なものになって、こちらにリアルな形となって届いてくる。
『秋の理由』の佐野(和宏)さんと、寺島(しのぶ)さんのお芝居とか、もうほかにない世界になっている。どうしたら、あんな芝居になるのか不思議でたまりませんでした。
演じ手にとって、セリフ=言葉って当然ですけどとても大切で。ただ、言葉の暴力性というか。その言葉のもつパワーみたいなところに頼ってしまうときってある。でも、福間さんの作品というのは、言葉をそういう装飾をなく、まっさらに届けてくれる。また、それを役者さんがきちんと実践している。言葉を言葉としてとても大切にされている。ストーリー性やインパクトに頼っていない。そこがすごいなと。
だから、自分が出演するとなったとき、果たしてそういうふうになれるのか不安はありました」
今回の作品は、東京郊外が舞台。人気のない場所で、心臓発作で倒れたひとりの男がこの世を去る。
ひとつの死を受け入れ、生きる場所を探すヒロイン、亜矢子
主人公は、この亡くなった男の妻、亜矢子。夫の突然の死に直面した彼女が、友人や肉親に支えられながら、ひとりの人間の死を受け入れ、自らの生きる場所を発見していく。
「最初に目を通したときは、『これをどうやって映像にするんだろう』と思いました。いままでいただいてきた脚本とはまったく印象が違いましたね。
いままではやはり基本、会話のやりとりが書いてあって、それをどうひとつの芝居にしていくかと考えることがほとんどでしたけど、『どうやってこれを映像にするんだろう』と思ったわけで、まずはどう演じるかなんてまで考えが及ばない。だから、ちょっと不安はありました。今までにないものだから。
でも、分からないからこそ、いろんな所に演じるヒントがいっぱい隠れているだろうとも思ったんですよね。自分が実際に演じるとしたら、そういうところに思いを至らせてその謎を解いて演じていくんだろうなと。だから、分からない面白さは、確実にありましたね。
あと、やっぱり福間監督ならではの言葉の力強さに心を奪われました。会話のセリフもすごく詩的で、これをどういうふうに言えばいいのかワクワクもしました。言いづらいセリフこそ、自身の真価が問われますから、そこは心して挑もうと。なので期待と不安半々といった気持ちでしたね」
亜矢子って1番、苦手とする役かも(笑)
現場では福間監督から特に指示はなかったという。
「ほとんど何も言われなかったんですよ。ひとこと、『たぶん、分からないところもいっぱいあると思うけど、迷ったら自分、光沙ちゃんでやって』と(笑)。
でも、わたし、これまでどちらかというと、キャラクターの濃い、個性的な役ばかりやってきていて。しかも、物語の中でもにぎやかし的な、飛び道具的な役のほうが多かった。ある種のキャラクター性や装飾をつけられることを求められてきたので、そういわれると困るというか。
亜矢子という役は、たぶん、キャラクターの濃さでいうと、いままで演じていた役とはほど遠い人物で、ごくありふれた人間。しかも、自分がどうこうではなくて、周囲の人間からさまざまなものを受け取っていく役回りで、どちらかというと受け身の人物なんですよね。
これまでわたしが多く演じてきたのは、真逆で自ら動いて周囲を掻きまわすタイプ。演じる際、ついやりすぎたり、余計なことをして存在を証明することが多かったんですよね。
だから、亜矢子ってわたしが1番苦手とする役だと思って(苦笑)。だから、もう挑戦でしたね。
福間監督は『迷ったら自分を』とおっしゃってましたけど、たぶん、普段のわたしを出してということではないんですよね。だから、ずっと悩んで演じていました。
その中で、ひとつ心にきめたのは、小手先の芝居やちょっと色気をもったような演技はやめようと。ある意味、ありのままでその場に立つというか、そういう気持ちを素直に出せたらいいなと思って演じました。
演じ切れたかどうかはいまも全然わからない。でも、亜矢子と同じ気持ちになって心を動かされてひとつの哀しみを乗り越えていったことは確かです」
作品をみてもらえればわかることだが、和田は亜矢子の心の軌跡を繊細に表現。ごくごくありふれた日常を過ごす人間が、大きな喪失を味わい、そこから少しずつ立ち直り、新たな幸せを見つけるまでの心模様をこちらへと届ける。その演技は、これまでのトリッキーな役柄とはイメージを一新させるといっていい。
「いやもうこれは福間監督のおかげですね。さっき言ったように、演じているときは悩み通しで、なにが正解かもわからなかった。でも、作品をみてみたら、亜矢子がいろいろな人の優しさに触れ、受け入れ、現在地をもう一度見つめ直して、一歩一歩進んでいこうとする気持ちが伝わってくる。
演技って自分がどれだけやり切ったかで満足を得られるような気がどこかしていたんですけど、そうではないんだなとも思いました。この作品は、ドラマチックになりそうなところとか、人が感情をぶちまけてしまうようなところを全部避けている。脚本も、演出も。役者もどちらかというと演技をそっちにしたがるんですよね。そうすると、やっぱりやった気になるし、安心するんです。でも、そうではないところで伝わることもあるんですよね。そのことをほんとうに、今回の作品からは学びました。
あと、さっきも言いましたけど、『秋の理由』の佐野さんと寺島さんって、すごいなって改めて思いました。なんかある意味、福間監督の作品世界に抗おうとしているんですよね。自分という人間を、自分という役者を持ちこもうとしている。その上で、最後はただの人として立っているような気がするんですよね。
できたら自分もそうありたいと思ったけども、全然、たぶん、もう全然です。そこは、もう、まだまだ修業が足りなかった。でも、大いに悩んで右往左往して、自分のいま出せることは出せたんじゃないかなと思っています。
あと、これまではどこかキャラクターを作ろうとするあまり無理なアプローチをすることがあったんですけど、今回は自分の思うまま、身体が感じるままできたところがあったので、これは今後につながるかなと」
この作品は、人として試されてる感じだったのかもしれない。
「ほんとうにそうだと思います。わたしの人間力が試されるというか。福間監督の作品に身を投じてみて、改めて、役者としてというよりも、ふだんの役者をやっていないときの自分がどうあるかみたいなことを考えましたね。何を幸せだと思って生きるかとか。日常をどう生きるかも役者にとってはとても大事なことなんだなと痛感しました」
会社勤めから役者へ転身
この作品でまた新たなステップを踏んだように思える彼女だが、役者としてスロースターター。一度、会社勤めを経験している。
「学校卒業して1年ちょっとなんですけど、普通の会社員やっていました。でも、辞めないと、たぶん、もう一生できないなと思って。ある日突然会社を辞めて役者をやってみようと思ったんです」
でも、そのときは劇団に所属していたりとかいうことはなく、演技経験はゼロだったという。
「ほんとうに基礎を学んでもいなかったんですよ(笑)。ただ、もうほんとに、物心ついた時からお芝居やりたくて、将来の夢は役者だったんです。小学校の低学年の時からずっと。
でも、はずかしがり屋で、『役者になりたい』なんて誰にもいえなくて。どうやって始めたらいいのかも分からず、はずかしくて演劇部にも入れなかったんですよ。『おまえが、女優になりたいなんて」とか言われるのが恥ずかしくて(笑)。
それで学校を出て働いたけど、やはり会社というレールを一生歩んでいくのかなと思うと、違うんじゃないかと。それで、『これは辞めないともう無理だ』と思って。でも、それぐらいの勢いがないとダメだとおもって、踏ん切りつけて役者をはじめたら、いまこんなことになっています(笑)」
先に触れたように『岬の兄妹』での演技は大きな反響を得た。
「いや、あれは片山監督の執念だと思います。わたしはなにもしていない。作品の力がすごかったんだと思います。ただ、自分の演技がそういって目にとまってくれたことは素直にうれしいです」
今後をどう考えているのだろう。
「辞められなくなっちゃいましたね。はじめて11年ぐらいになるんですけど、ほんとうにいい人たちに、いい作品に出会ってきていることに感謝しています。自分が結果を出せているかどうかはほんとうにわからないんですけど。
これからも、出会いを大切にして、ひとつひとつの作品にきちんと向き合って、真摯にやっていくしかないなと思っています」
和田光沙という女優の新たな可能性を見せてくれる「パラダイス・ロスト」だが、今回のコロナ禍の影響をまともに受けて上映が中断されてしまった。ただ、この作品が描く、突然の哀しみとの向き合い方や日常にある幸せは、むしろコロナ禍のいまこそ届くといっていい。中断を経て、再上映が始まったいま、福間監督がメッセージを寄せてくれた。
「身近な人に『死なれる』ということのつらさ。その一面は、自分がなにかをやり遂げるのを、その亡くなった人に、見せることができなかった悔しさから来ると思う。
でも、亡くなった人はどこかで見ていてくれるかもしれない。死者を思うというのは、その視線を感じて、自分の生を問いなおすことであり、そこから新たな地平へと踏み出すことではないか。『パラダイス・ロスト』で伝えたかったことのひとつは、そういうこと。
再上映は、つらさをくぐりぬけた先の『出会い』だという気がする。『生きる、生き抜く』ことの大切さという点で、この公開時期と作品との運命的なつながりを感じます」
「パラダイス・ロスト」
東京・アップリンク吉祥寺にて公開中。7月3日(金)~京都・出町座、7月4日(土)~大阪・シネ・ヌーヴォ、神戸・元町映画館、8月1日(土)~横浜シネマ ジャック&ベティにて公開。群馬・シネマテークたかさき、鹿児島ガーデンズシネマ、近日公開予定。
『パラダイス・ロスト』公開記念「福間健二監督特集 京阪神三都編」開催。
京都・出町座 6月19日(金)〜7月2日(木)
大阪・シネ・ヌーヴォ 6月27日(土)〜7月17日(金)
神戸・元町映画館 6月27日(土)〜7月3日(金)
福間健二監督特集+『パラダイス・ロスト』
名古屋・シネマスコーレにて8月8日(土)以降予定
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