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日本海に浮かぶ離島へ。人々のシンプルな暮らしと島時間に触れる映画「島にて」

水上賢治映画ライター
「島にて」 田中圭監督 筆者撮影

 日本海に浮かぶ山形県唯一の有人離島、飛島。映画『島にて』は、この島にしっかりと根差して撮られたドキュメンタリー映画だ。ひと言でいえば、本作は離島の暮らしを記録したに過ぎない。ただ、そこからは、利便性や経済性だけが優先された現代の暮らしになれてしまった人間であればあるほどなにかしらの気づきを与えてくれるだろう。

 「生きる」ということは、こういうことなのではないだろうか?そう思うような簡素で質素だけれども豊か、不便さもまた創意工夫で乗り越えるような人の営みが映し出される。それは、自宅に籠ることを余儀なくされたコロナ禍の生活にも、なにかしらの暮らしのヒントを与えてくれるかもしれない。

わたしが飛島にいこうと思った理由

 飛島に田中圭監督が訪れることになったのは、共同監督を務める大宮浩一監督のひと言からだった。

「2018年2月ぐらいですけど、大宮さんから呼ばれて『飛島』に行くぞと(苦笑)。聞くと、大宮さんの同級生が飛島中学校で教員をしていて、作品に登場しますけど、島にいる唯一の子ども、中学三年生の渋谷新くんの卒業までの1年を『撮りに来ては』と誘われたとのこと。それがはじまりでした」

 ただ、二つ返事で島に行こうと思ったわけではなかった。

「あえて突っ込んでききませんでしたが、大宮さんにはなにかしら撮る理由があるだろうと想像しました。でも、それは見ず知らずの私が行く理由ではない。そこで、自分が飛島に行く意味を見い出そうと考えました。

 そのとき、まず私の監督デビュー作『桜の樹の下』に登場する大庭忠義さんと岩崎びばりさんがそれぞれ対馬と佐渡島という離島の出身だったことをふと思い出しました。半農半漁の生活を聞いていて、彼らが去り、去らなければならなかった島に向き合ってみようという気持ちが生まれました。

 それからもうひとつ、大学時代の春休みに静岡県の初島で住み込みのバイトをしたことがあって。そこでお姉さんのように優しく接してくれた女性がいたんです。彼女はガンを隠し、入院を拒否して島で働いていました。彼女が『最期に島に行きたいと思った。そこで働いて生活をしてみたかった』と私に語ってくれたことが思い出され、気づけば、わたしも当時の彼女と同じぐらいの年齢で。このことも自分が島に行く理由を見つけた気がしました。

 でも、最初の段階では助監督でという話しだったので、なんとなく大宮監督のドキュメンタリーの作り方を体験したくてついて行ったかもしれません。隙あらば監督の座を奪ってやろうと思っていたので(苦笑)、そういうチャンスも含めて、行っていたかもしれません(笑)」

 初めて島を訪れた際の印象をこう語る。

「大宮さんからいただいた事前情報は、先ほど触れたように島最後の中学生がいることのみ。あとは自分なりに調べて、新くん同様に作品に登場しますが『合同会社とびしま』の存在はわかっていました。あくまで事前リサーチはおおまかなところにとどめておいて、あとは実際に現地にいって、みて、きいてみようと。

 島の第一印象は、想像と違ったというか。もっと観光地化されている島だと思ってたんですよ。ホームページとかみると、観光のみどころなど、いいところがピックアップして紹介されている。それだけの情報だったので、けっこうな観光地なのかなと思ってたんです。

 でも実際は、昔ながらの漁村じゃないですけど、日本の原風景のような光景が目の前に広がっている。はじめにまずはぐるっと島を回ってみたんですけど、いい意味で観光地化されていない、のどかな島という印象でしたね」

映画「島にて」より
映画「島にて」より

『どうして』と島の人々に聞くことしない

 撮影するにあたり、大宮監督から取り決めがあったという。

「大宮さんはあまりはっきりと『こういうものを描きたいんだ』と示すタイプではない。だから、どういうものを望まれているかわからないので、こちらも手探りなんですけど、その分、自由でもあって、自分が任されて撮影することができました。

 基本は自由なんですけど、いくつかはじめに取り決めたことがありました。まず、新くんが中学三年生を卒業するまでの平成最後の1年間で撮影を終えること。それから『どうして』と島の人々に聞くことはやめようと。あと、島の外は撮影しない。カメラが島を出てはいけないと決められました。それから、バードウォッチャーや観光客は撮らなくていいと。

 それと、新くんと、『合同会社とびしま』、新くんのご両親が運営されているデイサービスについてはきちんと撮影しようといって、送り出されました」

 最初に現地を訪れたのは4月のこと。まず、お祭りに顔を出すことからはじまった。

「飛島には、勝浦、中村、法木という3つの地区があって、それぞれに神社があり、例大祭がある。大宮監督からその祭りにはいくよう言われていました。取材というよりも、顔見世。まず、顔を知ってもらうことが大切ということで。そこからはじまって、島をめぐり地元の方と出会っていきました」

空き家を借り、レンタカーを持ち込んでの長期滞在型取材

 撮影は月に1回訪れ、1週間ほど滞在して行った。ただ、離島で酒田港から定期船が1日一往復するのみ。天気が荒れると欠航となり、12月などはなかなか現地に行けないときもあったという。

 そういうこともあり早々に空き家を借り、後半になればなるほど、長期滞在で島に密着した。

「2月後半から3月後半なんて、ほぼ1カ月まるまる島にいました。それから、車も持っていったんですよ。定期船に積んでもらって。はじめは自転車で対応していたんですけど、けっこう険しい山道とかあって移動が大変で。雪が降ると自転車も使えない。機材を背負って雪道を歩くしかない。それは辛いので車も持っていきました。レンタカー屋もないので。そんな感じで撮影していたので、撮影の後半では、島の人に『お、ついに永住か』とか言われてましたね(笑)」

 ただ、当然ながら島に溶け込むのはそう簡単にできることではなかった。

「実は、飛島はけっこうテレビで取り上げられていて、みなさん、カメラに慣れているところがある。とりわけ、定期船が着く勝浦地区の人たちは慣れている。でも、そこから一番離れている法木地区はあまり取材クルーもいくことがないみたいで、ちょっと拒絶があったりするんですね。

 あと、テレビの取材って短期がほとんど。1年の長期にわたって取材されるというのは、島の方にとってほとんど初めてのことで、その点で戸惑われた方もいたと思います。だから、はじめのころは、カメラをもっているだけで『何しに来た』といったような雰囲気を感じるときもありました。

 ただ、いろいろな方と出会う中で、その方がとりもってくれることもあって、徐々に関係を築いていけました」

その人の人間性と人生を表すものに目がいく

 このように現地密着で撮られた本作には、先述したとおり、島で唯一の子ども、15歳の渋谷新くん、彼の両親で島に移住して「デイサービス和楽」を立ち上げた渋谷聡さんとわかさん、「島内に雇用を生みだし、移住者を受け入れ、コミュニティを維持すること」を目的に掲げる「合同会社とびしま」の本間当さんと渡部陽子さん、85歳になる斎藤染さんらが登場。作品は、彼ら島民の暮らしというよりも、飛島で生きる人々の日常生活を丹念に収める。ただ、この何気ない日常が、ただの日常にみえない。たとえば、86歳の佐藤みつさんがいつも通りの掃除をしているシーン。簡略して言葉で説明すれば老女が掃除をしている場面に過ぎない。ただ、これは見てもらうしかないが、ここには確かに、みつさんの人間性とそれを形成する人としての矜持が息づいている。そこにわたしたちは、その人の「美」であり「輝き」を見いだすことになる。

島のみなさんと時間をともに過ごす中で、その人を成すものといいますか。その人を表すものに自然と目がいくようになりました。

 みつさんは、家を訪ねるといつでも掃除が行き届いている。ほんとうに廊下なんか、ピカピカで光っている。歩くのも大変そうなのに、どうしているのかなと思って、聞いてみたら、広い一軒家を一人で掃除していると。しかも、毎朝欠かさずという。

 その習慣を紐解くと、あのあたりの地区の方は観光シーズンになると、旅館の清掃のアルバイトをすることが多いそうなんです。若い方はほとんど。みつさんもそうだったと。あの掃除は撮らせていただいていて、なにかみつさんの人間性と人生に触れたような気がしました

 それから、染さんはお宅をお伺いしたら、漬物樽がいっぱいあるのにびっくりして。お話しを聞くと、『飛島の人たちは昔は漬物をよく漬けたんだ。海が荒れると船がこないことが続く。だから保存食を作らないと大変だったから』と。あと、大根の漬物は息子さんの好物だから毎年漬けるということで、これも染さんらしさだなと思って、『(漬物をつけるところを)撮らせてください』とお願いしました。

 はじめは島についてなにかをと考えていたところがあったと思うんですけど、どんどんその人自身に私の視点が移っていった気がします」

映画「島にて」より
映画「島にて」より

 どこか離島というと、「不便」や「過疎」、もしくは「素朴」といったこちらの勝手な思い込みの枠組みでみて、その枠に収めようとしがちだ。だから、ついつい「どうして島を出ないのか」、「どうして不便な島に住み続けるのか?」などと聞きたくなってしまう。

 だが、本作は、先述したとおり「どうして」と島の人々に聞くことを封印した。それによって自然とみえてきた、島全体に流れている時間や空気そのものをとらえている。それはこの島の変わらないことであり、もっといえば自然の摂理にも感じられる。

「本編には入っていないんですけど、ある漁師の方を撮らせていただいているとき、『このカモメは秋の時期だけに来るんだよ』みたいな話になったとき、『同じ秋が来た』とおっしゃったんですね。その言葉がすごくいいなと思ったんです。人口が減ったり、子どもが島からいなくなってしまったりと、島全体には厳しい現実がある。それでも、変わらず季節はやってくる。季節がめぐり、時を刻む。同じように時が流れゆく。その中で、祭りをはじめ島独自に育まれてきたことがある。そういうことを体感しながら島の人は生きているんじゃないかなと。

 変な話なんですけど、撮影をめぐってカメラマンとぶつかって大ゲンカをしたときがあったんですね。借家に戻っても怒りが収まらない。それで外に出て、車で島をぐるっと一周したんですけど、畑の作業をみたり、ゆっくり釣りをしてるおじいさんたちをみかけたりしているうちに、すごく大したことないような気持ちになって、自然に平静を取り戻せた殺伐とした都市にいたら、こういう気持ちにはたしてなれたかなと思うんですよね」

飛島の変えてはいけない営みを持続可能な形で受け継ぐ試み

 このような島で生きる人々が受け継いできたこと、育まれてきた時間や歴史を、新たに継承し、未来を築こうとしているのが「合同会社とびしま」かもしれない。医療の問題、高齢化、過疎化など、飛島には日本のあらゆるところで起きている厳しい現実がある。その解消となると、とかく島のリゾート化や移住者への優遇措置といった経済成長を促す思考になりがちだ。でも、「合同会社とびしま」が実践するのはまったく違う。島の繁栄というよりかは、飛島の変えてはいけない営みを持続可能な形で受け継ごうとしている。

「ある種、島という閉ざされた社会では、なかなか新しいことが受け入れられない。これは飛島に限ったことではないですけど、そういう側面が島や村にはどうしてもある。ただ、『合同会社とびしま』がやろうとしているのは、一回、すべて壊して新しいものを創るということではない。昔からの島の人たちの営みや暮らしの知恵を自分たちが学んで、それをどう変えていったら現代に残すことができるだろうかということ。島で育まれてきたことが基本にある。そこの新たな価値を見い出して紹介することで、島外の人に興味をもってもらおうとしている。

 そういう活動が地元でも認められて、部外者が入ってくることとか無理と考えていた人たちの意識をかえつつある。こういう島の存続の在り方はすごく健全なのではと感じました

映画「島にて」より
映画「島にて」より

 「合同会社とびしま」と同じく、島の人々に密着しながら、新たな試みを始めたところとして渋谷さん夫妻が移住してスタートさせた「デイサービス和楽」を取り上げている。こちらは島で初めてのデイサービス施設になる。

「作品の中で渋谷さん夫妻も語られていますけど、最初は島のみなさんには抵抗があったみたいなんですね。デイサービスときいて、他人に介護されるみたいな感じに抵抗を覚える人が多かった。ただ、これも渋谷さん夫妻の努力や人柄で、だんだんそうではないといいますか。年々利用者が増えていて、いまはみんなの茶飲み場といいますか。新たなコミュニティの場になっている」

 いまや介護デイサービス施設は当たり前のように存在するが、飛島にはこれまでなかった。たとえば、歩けなくなってしまった人など、それまではどうなっていたのかとつい考えてしまう。

「そうなんですよね。これはわたしの想像の範囲内なんですけど、ほんとうに島の人はみんなのことをだいたい把握しているんですね。『そろそろ野菜が切れるでしょ』とか、『今、ご飯は足りてる?』とか、わたしですら気にとめてくれて声をかけてくださる。

 昔からいる人たちは、この天気だったらあの人はきっと漁に出てるとか、この時間はあの人は山にいってる、畑仕事しているとか把握している(笑)。自然と助け合いのシステムができているところがある。ただ、現実として助ける側というか若い人が減ってきてはいるので、支え合いは変わらないんですけど、『デイサービス和楽』さんの存在は心強いものになっていきていると思います」

 そして、本作のある意味、主人公である15歳の渋谷新くん。島で唯一の子どもである彼は卒業して高校へ通うため、島を去る。この場面が映し出すのは、飛島の人々の温かさかもしれない。

「新くんは、ほんとうにみんなの孫という感じで、すごいかわいがられている。わたしなんかは『うらやましいな』って思っちゃうぐらい。

 島を出ていくときも、島のみなさんに悲壮感みたいなのはまったくなくて。彼が行きたい高校に行くというので、ほんとうに明るく送り出していた。船が見えなくなるまで『頑張れよ』とみなさんが声を上げていて、その瞬間は心にじんとくるものがありました

 この島で生きる人の温かさに触れた瞬間でしたね」

映画「島にて」より
映画「島にて」より

 こうした飛島の人々の暮らしやコミュニティの在り方は、コロナ禍のいま、自分の生活を見直すきっかけにもなるかもしれない。

「人間が人間らしくいるための身の丈にあった生活といいますか。わたし自身、飛島から帰ってきてから、もっとシンプルに生きたいなと。あと、不便なことが以前よりも苦にならなくなりましたね(苦笑)」

 当初は、飛島のある山形県のフォーラム山形と鶴岡まちなかキネマで5月8日からの先行上映を予定。だが、今回の新型コロナウィルスの影響を受け、両館とも休業(のちにフォーラム山形は5月15日から開始、鶴岡まちなかキネマは残念ながら閉館)になり、まずはデジタル配信の『仮設の映画館』で5月8日から公開はスタートすることになった。

「コロナの影響で、知り合いにでさえ『映画ができたから見て』と言えなくなってしまう現実があって。どうしようかと悩んだんですけど、『仮設の映画館』でやってみてはと話がきたときは、心が救われたといいますか。ひとつ安心しました。とりあえず、ちゃんと完成したものを見てもらえる機会ができた。あと、危険を冒してまで『見てよ』っていうことを言わなくてすむことに安堵を覚えました。

 ほんとうは山形の先行上映では舞台挨拶でお伺いする予定だったんですけど、それも叶わずに終わってしまい……。ほんとうに残念なんですけど、映画館のない飛島の方から『仮設の映画館でみたよ』という声がいくつも届いて、それがいますごく自分の励みになっています(笑顔)。『仮設の映画館』でまずはスタートを切れてすごくよかったと思っています」

 6月1日からは東京のポレポレ東中野での公開がスタート。今月以降、本格的に劇場での公開が始まる。

「『島にて』は焦っていま観てほしい映画ではなかったので、ゆっくりゆっくりと広がっていくことが出来たら良いなぁと思っていました。ところが、上映予定だった鶴岡まちなかキネマが閉館し、どうにかなるという勝手な願望は打ち消されました。ポレポレ東中野がスタートしましたが、未だに不安は続いています。もしかしたら、年内は来場者数が戻らないかもしれません。そういう中で映画を観に来てくださった方、まだ観に行けないけど、必ず映画館に観に行くと言ってくださる方に、心から感謝を申し上げます」

映画「島にて」より
映画「島にて」より

『島にて』

フォーラム山形(~6/11まで)、東京・ポレポレ東中野で公開中、6/19~山形・イオンシネマ三川、京都シネマ、6/20~大阪・第七藝術劇場など順次全国公開、「仮設の映画館」でも配信継続中。最新の情報は公式ホームページ https://shimanite.com/ まで。場面写真はすべて(C)『島にて』製作委員会

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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