松田優作について、いまだから語っておきたいことがある。伝説の一夜の舞台裏とは?

写真:渡邉俊夫

 30年もの間、封印されてきた松田優作追悼ライブを収めた2枚組のDVD「CLUB DEJA-VU ONE NIGHT SHOW 松田優作・メモリアル・ライブ + 優作について私が知っている二、三の事柄」がついに発売に。手掛けたのは崔洋一監督。なぜ、「門外不出」のステージをいま世に出そうと思ったのか? ライブのこと、松田優作のこと、崔監督が、いまだから話しておきたいことを3回に渡って明かす。

 ここからは追悼ライブの発案から、当時の舞台裏までのエピソードについて。

今は亡き、原田芳雄からの1本の電話がすべての始まり

 伝説のライブは、今は亡き俳優、原田芳雄からの1本の電話がすべての始まりだった。

「1990年の夏の暑い昼下がりですよ。電話が鳴った。出ると電話の主は原田芳雄で『ウチでビール飲んでいるんだけど、来ない?』と。行ったら、梅林茂(Exリーダー)、下北レディージェーンの大木雄高とか優作と芳雄の関係者がいるわけです。『なんだ?』って感じですよ。直感で『これははめられたな』と思いましたけどね(苦笑)。

 で、芳雄さんが『一周忌にメモリアル・ライブをやる』と、ついては『構成と演出は君がやる。それが今日のメンツの結論です』ときた。こっちが断固固辞すると『とりあえず、イメージだけでも言ってみて』となって、まあこっちも口から出まかせですよ。『クラブ作りのステージで、オーナー(優作)不在のまま、ろくでもない常連とかつての従業員がグダグダと集って、歌って、身勝手なおしゃべりをする。屋号はCLUB DEJA-VUかな』といったら、芳雄さんは『もうできてんじゃん』ですから。ほんといいかげん」

「俺が前座か」と怒った内田裕也

 この演出プランはほぼ踏襲され、追悼ライブは実施。ただ、当日を迎えるまでもいろいろな出来事があった。まずは出演交渉の話。交渉もすべて崔監督が臨んだ。

「まずは、やはり(内田)裕也さんですよね。僕の最初の構成としては、このライブの主旨を体現させるというかな。ステージを凝視させる存在であり、ある種、みるものを凌駕して沈黙させてしまうような存在のアーティストをトップに持ってきたかった

 それで、曲も含めて『赤い風』を裕也さんにトップでやっていただきたいと。ところが、本人は抵抗しましたよね。『何で俺が前座なんだ』と(苦笑)。裕也さんには『俺が大トリだろう』という気持ちがおありになったと思うんですよ。でも、僕は全然逆のオファーで、『会場にいる人たちに一つ冷や水浴びせるぐらいのつもりでやっていただけませんか』と言ったら、『それはどういう意味だ。俺が客に受けないように演じろってことか』ってなことになっちゃった(笑)。裕也さんって、物事を素直に解釈してくださる人なんですけど、それをひっくり返すやんちゃで天邪鬼なところもある人なんで、それを承知で交渉しに行ってるんだけど、都合3回かな、説得するまで。

 こっちもしぶといし、しつこいから、テレビ局行って、本番の前にロビーで取っ捕まえて、そのまま局の喫茶店に連れ込んで説得とか、都合3回でした、これに関しては。

 出演に関しては問題ないんだけど、何を歌ってどういう風にするかに関しては絶対彼の中で自分で決め打ったことはあったと思う。やっぱり大トリで『きめてやる今夜』を歌うつもりだったと思うんだよね。それを僕はひっくり返しちゃってるわけだから、抵抗しましたよ。それが最初で最大の難関でしたよね。

 逆を言うと、僕もずるいんだけども、他の人を説得するときに『裕也さんだってトップをやるんですよ』と、そのあとはなった(苦笑)。そのあとの出演者が『この曲は歌えない』とか言ったら、『何言ってんですか、あんた、この曲歌いなさい、覚えなさい。裕也さんものんでやるんですよ』と。随分、裕也さんをだしに使いました。

 あと、ノーギャラでお願いするわけで、まず、最初にすべての方に言いました。『お金は出せないんですけど』って。ほぼ100%に近い方たちと直接お話をして、時に電話だったりしましたけれども、出演交渉をしたのも事実です。その交渉上で、要するに、裕也さんに良くも悪くも牽引役をやっていただいた。裕也さんものんだんだから、恨みっこなし。

 でも、『俺が前座かよ』と言ってた裕也さんは、実際のステージでは見事に裏切るんですよ。あのオープニングは、台本上は、静かに下りてきて凝視して、店の中を見回して、差し込んでくる夕景、赤い光を浴びて、ふっともう一度シャープに客席を見たところで太鼓が『ドン』と入って、『赤い風』に入る。そうしてたんだけど、下りてききて凝視の後に『きめてやる今夜』を朗読するわけですよ。俺としては『やられた』って感じだよね。なるほどねと。さすが内田裕也だなと思いましたよ。半分以上は構成どおりなんだけど、階段を下りてからは、もう裕也さんの世界。誰も止めようがない。さすが」

崔洋一監督  筆者撮影
崔洋一監督  筆者撮影

 内田裕也のこの姿勢が象徴するように、すべての出演者がステージに並々ならぬ意気込みをもって挑んだ。それはリハーサルからはじまっていた。

「1度通しでリハーサルをしたんですよ。僕が冒頭からの流れを説明をして、じゃあ通しでやりましょうと。詰まったら詰まったで、そっからやり直せばいいということで。

 このリハーサルがそうとうエキサイティングだった。スピーカーの前でずっと、(桃井)かおりが踊り狂っていたりね(笑)。いまだったら、メイキングが全部押さえているんでしょうけど、そういうことじゃなかったんで映像がないのが惜しい。何を思ったか、リハーサルにこない人がひとりだけいたりしてね。

 通しで終了後は、僕が『次の方たち、ちょっと居残りです。もう一回やってもらいますから』と言って、『名前呼ばれなかった方はOKです。おかえりください』といったら、受けてましたね。みんなまさか自分が残されるとは思わないから。しかも『ここ駄目、あそこ駄目』と言われるなんて予想もしていない。そういう意味では、わりと演劇的な作法ですよね。この手のライブは、自分のパートさえできればOKというようなことになっちゃうんだけど、僕としてはトータルのイメージを重要視していて、そこは共有したいなと。

 でも、このリハーサルが当日の本番以上に、何のためにここに来ているのか、何のために自分はいまここにいるのかということが、すごくオーラとして出ていたリハーサルでした」

リハーサルの模様 写真・渡邉俊夫
リハーサルの模様 写真・渡邉俊夫

開演直前、大楠道代に呼び出された理由とは?

 リハーサルを経て迎えた公演当日。その直前にもこんなトラブルがあった。

「客入れが始まる直前かな、僕はもう演出席にいたんだけど、アシスタントが『監督、大楠(道代)さんが呼んでます。きてください』と。で、スタッフいわく『衣装を替えたくて、今から取りに行かせるから、開演時間を遅らせてくれ』と言ってるときた。

それで楽屋に入って『道代ちゃん、どうしたの』ときいたら、『おっぱいが、おっぱいが』って言うんだよ。コーラスでの参加なんだけど、本人は胸を強調するような衣装でお客さんに少しでも楽しんでもらいたいと思ってたみたい。ところが、わざわざ作ったドレスがどうもイメージと違って、胸が強調されないと苛立っちゃった。こういうステージに立つのはまったく初めてだから、そういう緊張があったから余計にだったと思うんだけどね。

 こっちが衣装に関してお願いしたことはひとつだけ。何を着ても結構。ただ、どこかに、たとえ見えなくてもいいから、インナーが黒とか、ピアスが黒とか、どこかで弔意を表してくれということだけ。全身、黒にしろなんていう野暮は言わないから、ただ追悼の意を意識してくださいっていうことはお願いしたんですよ。

 それがさ、『おっぱいが』で開演遅らせてくれって、『できるわけねえだろう』と(笑)。いまとなったら、セクハラになってしまうかもしれないけど、演出の僕がもっとバストを強調する衣装を着てくれって言ってさ、本人が拒否するならわかるんだけど。本人が胸がみえないから怒りだすという、これは大笑いだったなぁ

 ただ、これも大楠道代という女優の、このライブで何かを残さなきゃいけないというひとつの意欲の表れ。その意識は出演者全員にあったといっていい。

「優作のためにもへたはできないというかな。アーティストとしてのひとつの覚悟を見せる場でもあったと思うんですよね。だから、どこかでみんな感化しあって、いい意味で張り合っている。それがいいよね。

 それで思い出したけど、裕也さんに構成でも言われたことがあったんですよ。演奏の順番。新井英一の後に仲野茂。で、(原田)芳雄さんで、世良に続いてくんだけど、それについて、裕也さんが『茂がかわいそうだ。うまいやつ2人の間に挟まれて、入れ替えろ』と。でも、僕がここも断固拒否したんですよ。『それはそれで味わい深くでいいじゃないですか』ってね。裕也さんてそういう優しいところもあるんですよ」

内田裕也でさえ当日は緊張していた

 この時代、松田優作の存在に引き寄せられたアーティストたちには、特有の仲間意識と共に、それとは相反するライバル心があった。追悼ライブは互いがそれぞれを意識していながら、ひとつの強烈な個性を放っていることが伝わってくるステージでもあったのだ。単なる鎮魂や追悼だけではない、それぞれの生きた証みたいなものが表出してくるような。

「それはあったと思います。優作のためのメモリアル・ライブなんだけれども、同時に、自分に何ができるか、自分がこれから何をやりたいか、自分はなにものであるか、自分の存在を人に知ってもらうという場でもあったんですよね。

 出演者同士が張り合ったりしながら、信じられない連帯感が生まれる。一方で、ひとつの自立・独立した人間であることの発見のようなことが目の前で展開されていった。人間て、顔が変われば、性差も含めて、やはりすべて違うんだけど、1つのことのために集うことはできる。でも、同時に、それはまた1人になるための始まりでもある。そのことを実感する場でしたよね。

 舞台って映画の撮影とも違って、始まってしまったら『カット、カット。もう1回いくから』なんてできない。その場限りの勝負で、多くの人間と向き合って自分のことを考えるというのかな。自分を試される。

 だから、正直言って、緊張してましたよ、みんな。それこそ裕也さんも含めて。俳優はもとよりミュージシャンも普段、自分が歌い慣れた曲ではないものを歌わないといけない。しかも松田優作に捧ぐ意味も入っているわけで、この緊張感は半端じゃないと思います。そういう緊張の輪がいくつもあった中で、各人勝負しないといけない。

 たとえば、白竜はミスって『ごめん、ごめん』といってやり直しますけど、もう必要以上にExのメンバーに頭下げてるんですよ。あれってなぜかというと、白竜は正確に言うと明太ロック上がりじゃない。出身が佐賀の伊万里だから。だから、福岡中心にした明太ロック系のExに関してはすごい先輩意識が強い。特に梅林とか、ベースの奈良敏博なんかは憧れの人なんですよ。だから、その人たちの前で歌詞を飛ばしちゃったわけで、もうああするほかない。実は、歌詞のカンペを用意していたのに、飛んじゃう。ステージなれしている白竜でさえそうなっちゃった。

 でも、そのあとは見事で、ハイトーンの伸びのある声で歌い切って、そこはさすが。で、普通のライブドキュメントだったら、ここは編集でカットするわけですけど、切らない。それは白竜しかできなかったステージだと思うので」

 こんなこともあった。

「『ONE FROM THE HEART』の曲の間で、カーテンコール的なことも含んだメンバー紹介のところで、(石橋)凌が出て、僕がちょっとごあいさつに出るじゃないですか、あれも断固やらないよって宣言してたの。アーティストと、その日遊びに来てくれた人の紹介だけでいいと。

 だけど、どうしても紹介したいと、(桃井)かおりが言い出して。スタッフから『絶対やると言ってます、どうしましょうか』と連絡がきて、もうしかたねぇと、凌を説得して、取りあえず、ライブで止めることができないから、ちょっと顔だけ出そうとなって、急きょ袖の裏で待機ですよ。で、紹介されて、すっと顔だけ出して、あの後、僕も石橋も持ち場に戻らなくてはならない。大変ですよ。それでなくてもバタバタなのにさ」

 いま、ライブをこう振り返る。

「さまざまな人の力というものが結集できていたのは事実。ハラハラドキドキしながらあっという間に終わっちゃいましたね。

 あと、優作という存在に引き合わされて、不思議な縁を感じることもいっぱいあった。たとえば、最後、優作に関わった、つまりセントラル・アーツを中心にして関わってきたスタッフが、会場の皆さんに1本ずつ白いカーネーションを渡したんです。それは持ち帰ってもいいし、黒田(征太郎)さんの描いた優作の画の前に献花してもよしということで。その脇に、ある種のエンディングの幕引きをする人物としてガード役を置いたんだけど、その係を請け負ったのが寺島進。当時、彼は無名ですけど、優作が組んでいたカンパニーのひとりだった。それで、このライブをやるとなったときに、ほんとうに偶然に笹塚駅の改札でばったり会った。寺島が『覚えていらっしゃいますか』と声かけてきて、『絶対出たいんです、やらせてください』と。というように、優作の存在がなにかをつなげていくというかな。そういうことが結実した特別な夜だった気がします」(※次へ続く)

(C)株式会社 セントラル・アーツ
(C)株式会社 セントラル・アーツ

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