「あってはならない現実を知ってほしい」。幼子を抱えカメラを回し続けたシリア人女性監督の切なる願い
「わたしたちはシリアの現実を、まったくみていなかったのではないだろうか」。ドキュメンタリー映画『娘は戦場で生まれた』は、そんな思いにかられる1作だ。
第二次大戦後史上最悪の人道危機ともいわれる紛争が続くシリアに関する報道は、おそらくなにかしらで目にしていることだろう。ショッキングな映像に思わず目を逸らしてしまったことがあるかもしれない。
ただ、この作品に収められた映像は、そうした報道や現地に入った人間の撮ったものとはまるで違うとでもいおうか。いってみれば自分の身の回りで起きていることを記録したホームビデオで、日常をスケッチしただけに過ぎない。愛する娘へのビデオレターのような側面もある。にも関わらず、その映像の衝撃の大きさはニュース映像と比べものにならない。
というのも、本来、そのような映像は想い出や記憶に起因し、安心してみれるものであって、不幸といった事柄とは縁遠いもののはず。ところが、そんなありふれた日常や日々の営みに、容赦なく爆撃や銃声が入り込んでくる。
日常にいつのまにか恐怖が忍び寄り、平穏がガラガラと崩れゆく。そんな瞬間を本作で、わたしたちは目の当たりにすることになる。
いつ殺されてもおかしくない。生きた証を残す
2012年から2016年まで、シリアのアレッポでカメラを回し続けたワアド・アルカティーブ監督はこう語る。
「2012年、わたしはアレッポ大学でマーケティングを学ぶ大学生でした。そのころ、ほかの活動家と同じように、スマートフォンでアサド政権に対するシリアの抗議活動を撮影し始めました。特に計画を立てて撮っていたわけではありません。自分の個人的なこととして記録していたのです。そのときは、まさかシリアがこんな状況になるとは思っていませんでした」
2012年から時が経つとともに、アサド政権軍による反政府勢力の弾圧は激化。ワアド監督が住むアレッポは反政府勢力の拠点になったことから政権軍に包囲網がひかれ、戦場と化す。このとき、監督はこの現実を記録し続けることを決意する。
「カメラを回しはじめたときは、映画にすることなどまったく考えていませんでした。とにかく24時間、自分の身の回りで起こっていることを記録しなければと思ったのです。
日増しに戦況は悪化し、関係ない市民に被害が及び、凄惨な事態が次々と起こる。アサド政権は残虐的行為をエスカレートさせていく。それでも自由を求めて戦い続ける人々がいる。明日生きているかわからない中、アレッポで暮らす自分を含めた普通の人々の生きた証を記録しないといけないと思ったのです」
アレッポは、アサド政権軍の侵攻で日を追うごとに様相が変化。平穏を切り裂くように戦闘機が上空を飛ぶ。自宅の目と鼻の先に爆弾が落ち、病院には子どもから大人まで次々と運び込まれ、通路まで死傷者であふれる。常に銃声が街に響きわたり、市民に気の休まる時間はない。街を去る者もいれば、簡単には後にできない者もいる。美しかった街並みは無残にも破壊され、瓦礫の山となる。
このように街が激変する中、ワアド監督は医療従事者のハムザと出会い、結婚、妊娠、長女サマの誕生を経験する。そのことは戦場であっても人々には日常があり、命が育まれ、喜びも悲しみもあるという当たり前だが忘れがちなことを改めて教えてくれる。
「カメラを回していたときは、いろいろな視点に立っていた気がします。ひとりの女性としても、母としても、妻としての自分がいた。
いつ自分たちが殺されてもおかしくないと気持ちがありましたから、ひとりの人間、ひとりの女性、ひとりの妻、ひとりの母、そしてひとりのフィルムメイカー、そういったさまざまな視点に立ってカメラを回していたのかもしれません。それがこの映画の映像が、ほかの映画とは少し違うものになっているのかもしれないですね」
アレッポの街をどうにかして脱出したとき、はじめてこの映像のことを考えたという。
「わたしたち家族は幸運にも国外に亡命でき、シリアから生還することができました。そのとき、この現実を世界にどう伝えるべきかをわたしははじめて考えたのです」
シリアの現実を記録した映像をもう一度みることは辛く苦しい経験だった
ただ、映画にする作業は予想以上に苦しいことだった。
「記録した映像をもう一度、見直す作業は自分が考えていた以上に辛くきついことでした。もちろん幸福な瞬間を収めた場面もあるのだけれど、ほとんどが当時の恐怖や、同じような境遇にいていまはどうしているかわらない人々を思い出すもの。もう『これ以上、映像をみるのは無理』と思った瞬間も正直ありました。
さらに、わたしたちはすべてを失っていて、国もアレッポというホームタウンも失っている。大きな喪失の中にまだいました。なので、挫折しかかったこともある。
でも、その一方で、わたしに前を向かせてくれたのも、この作品を作ることでした。自分が唯一できることはこの映画を完成させること。シリアのことをもっと知ってほしい。シリアがもっとニュースでとりあげられるようになってほしい。シリアの現政権の暴挙を国際社会が問うようなことにつなげていきたい。そう自分に言い聞かせることでわたしは前に進むことができました。
わたしは、シリア国内で起きていることは、戦争犯罪だと思っています。ですから、この映像は犯罪の動かぬ証拠。これは自分についてのものだけではなく、不当な扱いを受け続けているシリア市民についてのものという意識がありましたから、それが最後は作品を完成させる原動力になってくれた気がします。
とても苦しい作業でしたけど、振り返ると、もし半ばで映画作りを挫折していたら、自分自身の気持ちが押し潰されて、いまのように前を向けなかったかもしれません。
また、映画を作っている最中に、アレッポと同じような状況に置かれる街があり、わたしたち家族とまさに同じように多くの方たちが自分たちの街を、あるいは国を離れなければいけない状況になりました。そして、いまはイドリブがアサド政権軍に攻撃され、かつてのアレッポと同じような状況になっています。
こういう事態に直面するたびに、いまは安全な場所にいる自分の心の中に罪悪感が生じます。映画作りが辛いといっても、いままさにシリアに身を置いている人々に比べたら、泣き言なんていってられない。わたしは娘も夫も安全が保障されているわけですから。いままさに苦境にいる人のためにも映画を作らないといけない。それもわたしを映画作りに奮い立たせた要因のひとつです」
ドキュメンタリーの名手とイギリス公営テレビ局「チャンネル4」の支え
こうした彼女を支えてくれたのが共同監督を務めたエドワード・ワッツだった。
「最初はもちろん初対面だったので、信頼関係を築かないといけませんでした。今回の作品の場合、自分の人生をすべてみられることにもなる。かなりプライベートなところまでみせないといけないので、やはり信頼がおける存在でないといっしょに作業はできない。
あと、わたしの中にはもうひとつ危惧がありました。それは西側諸国の視点を持ち込んでくるのではないかということ。西側諸国の彼が、わたしのストーリーを理解してくれるのか、心配しました。西側諸国のへんなフィルターのかかった視点で見られるのではないかと思ったのです。
それは杞憂に終わりました。エドワードはとても真摯で広い視野の持ち主で、いまでは家族同然の存在です。
当時、わたしは長編の映画を作ったことはなく、編集も短いものを2本ぐらいしか経験していませんでした。対して、エドワードはキャリアも豊富で数々のドキュメンタリーで様々な賞を受賞している。それこそ、わたしの物語をどうすればみんなに共有してもらえるかといった構成から、カラコレをはじめとした技術的なことまで、彼からはほんとうに多くのことを学ぶことができました。
その一方で、彼はわたしの意見をいつも尊重してくれました。たとえば、映画の文脈としてこうしたほうが見せかたとして映えるとわかっていても、わたしがそのときに感じたことではないとなったら、そこは一歩ひいてくれた。最終的に自分の物語として語れたのは彼の協力があってのことと思っています」
全面的にバックアップしてくれたイギリスのテレビ局「チャンネル4」の存在も大きかったという。
「チャンネル4とのつながりができたのは、アレッポにいたときから。知りあいからアレッポに関する映像素材を探しているという話しがまわってきて、映像を送ったんです。するとその映像が大きな反響を得て、もっと送ってほしいとなり、ジャーナリストとして契約してニュース部と仕事をするようになりました。
そのあと、亡命に当たってもチャンネル4はイギリス政府に働きかけてくれたりと尽力してくれて、いまも感謝の気持ちでいっぱいです。
ですから、この作品を作ろうと思い立ったとき、実は別の大きな制作会社から映像をつかわせてくれないかといったオファーがあったのですが、すべて断りました。
自分がもっとも信頼を寄せ、自分をもっとも大切にしてくれたチャンネル4にお願いしたいと思ったからです。
あと、チャンネル4のスタッフへの信頼もありました。いま報道といってもいろいろあって、中には煽情的な報じ方をしてしまうところもある。でも、チャンネル4は事実をしっかりと把握し、それをきちんと伝える姿勢が貫かれている。ほんとうに全幅の信頼を寄せられるスタッフだと、過去の仕事を通じてわかっていました。
実際、彼らはほんとうにわたしを支えてくれました。特にシリアから亡命した当初は、すべて失って、落ち込んでいましたけど、彼らは常に勇気づけ、励ましてくれました。作っている2年の間、作品が出来上がるかどうかよりも、わたしの心のケアを優先してくれました。ほんとうにチャンネル4には感謝しています」
カンヌ受賞より、日本をはじめとする遠国での劇場公開がうれしい
作品は、昨年のカンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞のほか 52(2020年2月10日現在)をこえる映画賞を受賞。本年度のアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞にもノミネートされた。
「これだけ世界に届いてくれたことには正直、びっくりしています。というのも、作っている2年間というのは、シリアについての映画なんて、『誰がみるのか』という雰囲気がどこかあったんですね。あまり過度な期待をかけて、わたしががっかりしてはいけないとの周囲の計らいもあったと思います。
あと、わたしの中にも不安がなかったかといったら嘘になります。というのも、『チャンネル4ニュース』の『Inside Aleppo(原題)』というドキュメンタリーシリーズで発表した映像は、合わせて5億回以上再生されました。大きな反響は得ましたけど、それで世界がシリアに対して動くことはなかった。
なので、この映画を作っても興味をもってもらえなかったらどうしよう、作る意味はあるのかと、という不安は常について回りました。
そういうこともあったので、当初は、チャンネル4はテレビ局なので、まずはテレビで放映してみて、そのあと、映画祭に応募して、うまくいけば世界の映画祭をいくつかまわれればいいかな、といったぐらいの考えでいました。
それがあれよあれよという間に、こんなことになってしまった。カンヌ映画祭に関しては、正式招待されただけでわたしにとってはアメイジングな出来事。ですから受賞はまさかとしかいいようがないほど驚きました。そして、アカデミー賞にまでノミネートされて、映画を作り始めたころを思い出すと、信じられません。
でも、そのことよりも、実は今回の日本のように世界各国で劇場公開されていることのほうがわたしにとってはうれしいんです。
日本のほかにも、ポーランド、イタリア、スペイン、フランス、メキシコなどで劇場公開が決まりました。わたしたちシリア人からすると、どの国も縁が深いわけではない。そんな遠いと感じていた国のみなさんが、この作品を通してシリアに関心を寄せてくれる。このことがすごくうれしいんです」
世界に広がりをみせる作品をもって、いまはさらに一歩踏み込んだところに訴えかけているという。
「いまはたとえばイギリス議会やアメリカ議会など、政治的な判断を持つ人たちに積極的に訴求していっています。とにかくシリアの現実を知っていただきたい。それが変化につながればと思っています」
シリアは内戦ではない。そして、支援活動「アクション・フォー・サマ」にこめた思い
並行して「アクション・フォー・サマ」 ( https://www.actionforsama.com/)という支援活動もスタートさせている。
「このキャンペーンを通じて、みなさんにシリアの現状をきちんと認知してほしい。それがわたしの願いです。
いまも、シリアについて報道されるとき、『シリア内戦』とされることがほとんどです。でも、シリアは『内戦』ではありません。『シリア革命』『シリアでの紛争』というのがわたしは該当する言葉だと思います。
いま2020年ですけど、ほとんどの国では、個人の自由と尊厳が尊重されています。シリア市民が求めているのはまったく同じことです。個人の尊厳と自由と、安心に暮らせる生活環境を求めているだけなのです。でも、アサド政権はそれに答えないばかりか、声をあげる人々を殺害している。あってはならないことだと思います。
いま難民となって国外に逃げようとしているシリア市民がいる。3年前、わたしたち家族も同じ状況にいました。戦争など日常になかった、ただ自分の家で安全に暮らしたかった一般市民が生きるか死ぬかの危険にさらされている。いまは、イドリブという街がかつてのアレッポのようになって、毎日のように爆撃され、多くの負傷者が出ている。そういったことを『アクション・フォー・サマ』の活動を通して、世界に訴えかけ、世界にしってもらいたいと思っています」
3年前のわたしたち家族と同じような苦境にいるシリアの人々のことを世界へ
自身は現在、イギリスに渡り、家族と暮らす。今後の活動をこう明かす。
「ありがたいことに、すばらしいオファーをいくつもいただいています。たとえば本を出版しないかとか、フィクションのシリーズにしないかとか、戯曲として舞台化しないか、など、いずれも興味深いと思っています。でも、現段階、わたし自身はフィルムメイカーとしての仕事をまずはしたいと思っています。
いま考えているのは、シリアを舞台に正義を問う作品を考えています。
残念ながらシリアの状況はまだ悪化の一途をたどっているので、報道に関わり続けてシリアについてのニュースを発信しながら、シリアの現実を描く映画を模索していきたいと思っています。
いずれにしても、3年前のわたしたち家族と同じような状況の苦境にいるシリアの人々が数えきれないほどいる。その人々の現実を世界に広く伝えること。それが国外へ脱出したわたしがなすべきことだと思っています」
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