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本気で人を愛す、ヒリヒリする体験を。現代女性へのエールと叱咤激励を込めた映画『Red』

水上賢治映画ライター
映画『Red』 荒川優美プロデューサー 筆者撮影

 現代を生きる女性から支持を集める直木賞作家、島本理生の原作を実写化した映画『Red』は、現代を生きる男性たちをたじろがせるかもしれない。

 それほど、ここに登場する主人公の村主塔子は、男性の心をざわつかせるかもしれない

 はじめ、彼女は、男の身勝手をすべて許してくれる、そんな理想の女性体現者でしかない。それが物語が先に進むほど、信じられない変貌を遂げていく。新たなヒロイン像を提示した女性目線の大人のラブストーリーといっていいかもしれない。

大人の女性がみたい!と思えるようなラブストーリーを

 プロデュースを担当した荒川優美は島本理生の原作を映画化した理由をこう明かす。

「学生のころから、島本さんの小説は好きでよく読んでいたんです。たとえば、映画化もされましたけど、初期の作品『ナラタージュ』ももちろん読んでいました。

 その頃から島本さんの小説を読むと、主人公に共感する、自分の気持ちとシンクロするような感覚になることがあり、それはわたしだけではないのではないかと。この仕事についたときに、いつか島本さんの原作にも挑戦してみたいなとは秘かに思ってはいました。

 ただ、『Red』に関しては、まず今回一緒にプロデュースを担当した赤城(聡)さんから、『島本さんの新刊を読みましたか?』と薦められたのがはじまりでした。

 それで読んでみると、これまでの島本さんの書かれてきた作品世界を感じながらも、そのイメージを一新するといいますか。島本さんもご結婚され、ご出産を経て『いままでと違うものを書きたいと思った』といった主旨のことを当時のインタビューでおっしゃっていましたが、その言葉通りで、がらっと印象の違う大人の恋愛に取り組まれたんだなと感じました

 主婦の塔子が昔の恋人、鞍田と再会して、恋に落ちていく。そこだけでとらえると王道の大人のラブストーリーに思えるかもしれないのですが、実際はかなり違う。

 ラブストーリーと、ひとつの覚悟を決めた女性の生き様が書かれている。そこが心に深く残り、『映画にしたい』と思いました。

 それから、小説の『Red』が刊行された2014年ころ、こんなことも考えていたんです。『いまの日本映画には、ティーン向けの恋愛映画はたくさんあるけれど、大人の女性がみたい!と思えるようなラブストーリーの映画が少ない』と。それで、大人向けの本格的なラブストーリーを作りたいという思いがどこか自分の中にあったんですね。

 それもあり、塔子という女性の存在であり、その生き方を、いまの時代に届けたいな、と思いました」

妻はこうあるべきとか、夫はこうあるべきみたいなことが、いまだにある

 塔子は専業主婦。一流商社勤務の夫、かわいい娘にも恵まれて、彼の両親とともに洒落た一軒家で暮らしている。経済的には何の不自由もない。

 このアッパークラスの設定は、まるで旧態依然とした日本の家族像を表しているかのよう。夫は外で稼ぎ、妻は家を守り、義父母にも尽くす。そこに妻の意見が入り込む余地は残されていない。家父長制の名残を感じさせる家族になっている。

「実のところ原作はもう少し平均的な家族の設定なんです。

 塔子の夫の真も姑の麻子さんも、基本的には悪い人ではない。ただ、いまの時代を考えたとき、彼らが当たり前のように塔子にいうことが、いまの一般の女性からすると『それ、ちょっとおかしいんじゃないか』と感じるところが多々あるんですね。たとえば、塔子が真に働く意思を伝えると、彼は『働く必要ないよね』という。真に悪意はないんですけど、塔子にとってはお金のことではないわけです

 こういう微妙なズレ、互いの価値観が違うからうまくいかないことを、2020年に公開する映画として現代をとらえたときに、保守的な考え方を持つ家庭の中で起こることとして象徴的に描いた方が、よりリアリティを感じるのではないか、との三島(有紀子)監督の考えもあり、ちょっとした夫と妻の格差をある種、可視化しようとしてこの設定になりました。ただ、こうした家族同士や夫婦の間でのギャップというのは、大なり小なり、いまの日本を見渡してもあるんじゃないかという思いもあります。妻はこうあるべきとか、夫はこうあるべきみたいなことが、いまだにあって、どこかわたしたちはそこにとらわれているところがある。その象徴としてこの設定にしたところはあるかもしれません」

映画『Red』より
映画『Red』より

 ある意味、理想の家族の呪縛から逃れた塔子は、かつての恋人、鞍田と再会。再燃した恋愛からほんとうの自分の気持ちに気づき、自身の生き方を見つけていく。

 そこから、塔子は、何の疑問も抱かずに男が望むことをひたすら叶えてきた女性から、ひとつの個をもった女性へと大きく変貌。それは、いまだ根強く残る男性目線の理想の女性像や男性上位社会からの解放のようにも映る。

「これはわたしも含めてですけど、教育にしても、世間の目にしても、どこか『女性はこうあるべき』『男性はこうあるべき』といったことを刷り込まれてきた気がするんですね。それは女性だけじゃなくて、もちろん男性にもあったのではないかと思います。

 そういういわば刷り込みがいつからか当たり前になって、違和感なく受け入れてしまう。やがて無意識にそうふるまってしまう自分がいる。それはわたしの中にもある。

 そうした日本の女性の無意識下の中にあって、どこかとらわれている古くからの社会の価値観に塔子は気づかせてくれるところがありますよね。それを感じてもらえたらと、考えたところはありましたね」

みた人によってまったく意見の違う映画に

 もう、何者にもとらわれない。自らの選択で自らの行くべき道を進む塔子は、一見すると平凡な女性に映るかもしれない。でも、自らの選択で自己を確立していく姿は、いままでいそうでいなかった自立した女性像を体現している。

「事前にご覧いただいた方から様々なご意見をいただいているんですけど、いままで自分が携わってきた作品の中で、賛否がはっきりしていて、みた方によって感想がまったく違う(笑)。

 性別、年齢、職業、その人自身の立場や考え方で、リトマス試験紙のようにくっきりと意見が分かれる。そういう映画になったのは、三島監督の演出の狙いによる部分もあると思いますし、個人的にも感慨深いものがあります。

 たとえば、真の存在にも両方の意見がある。『真のどこが悪いんでしょうか』とか、『塔子に対して、彼のなにが間違っていたんでしょうか』という男性はけっこういらっしゃる。逆に女性は『いい人なんだけどね』としみじみと納得されたり。

 塔子のとらえかたも様々で、熱く共感を寄せる人もいれば、許せない人もいる。ほんとうに両方の意見がある作品になったかなと思っています」

覚悟を決めた上での選択だったら、それが正解か間違いかはあまり関係ない

 あくまで私見だが、塔子を脅威に感じる男性は多い気がする。なぜなら、なにかに目覚めた彼女はほぼすべてを男性を介さないで決めていく。自己を確立していく。最後の決定権がだれでもない自分にあることに塔子は気づいてしまった。

 作品の核心に触れることなので明かせないが、彼女が最後に下す決断に男性はおそらくたじろぐ。その強さと正面から向き合える男性はどれだけいるだろうか?

「だからですかね、いまでこそ『いい映画だね』と言ってもらえるんですけど、会社の中でこの企画を通していくときに、同僚や上司の男性から『これは妻には見せられない』とか、『(小説を)読まれては困る』とか、『この脚本は妻にだけは読ませられない』といったこと言われたんですね(苦笑)

 たしかに塔子自身が自分に覚醒するところに、男性は衝撃を受けるのかもしれないですね。

 結末に関しては脚本づくりの初期の段階で三島監督から『こういう方向性でいきたい』というお話をいただいた時から迷いはありませんでした。映画の結末として、その塔子の選択に対して違和感がなかったんですよね。周りの男性から『すごいことをする女性だね』と言われたんですけど、究極の局面に置かれたときに、そういうこともありうるだろうと。

 それで、結末は小説とは少し違っているんです。というのも、原作を読んでいる段階から、これは塔子自身が選択をしていくこと自体がとても重要だと感じていました。そのことは三島監督も共通認識としてあったと思います。

 塔子がなにを選択するのかも重要ですが、それ以上に自分で選択して決定すること。そのことが重要なのではないかと。その意味について、考えなければならないんじゃないかなと思ったんです。

 だから、今回の映画をみても考えるんです。『自分は岐路に立ったときに選択しないで、流されてここまできてしまったのではないか』と。なにか周囲に流されてきてしまったうしろめたさ、みたいなことを感じています。

 自分で決めて進む。周りに流されるのは楽ですが、曖昧に生きていると時間はどんどんいたずらに過ぎていってしまうというか。自分にとって大切なものはなにか、しっかり見つめながら生きることが大事なんだという当たり前のことを、塔子から感じます。また、それこそがこの映画が物語っていることなのかなと、思っていて。

 ただ、この生き方の選択というのは女性に限ったことではなく男性にも当てはまる人は多いんじゃないかなと。なにか選択のミスをしたとき、他人のせいにしたり、後悔する人は多いですよね。わたしもないとはいえませんけど(苦笑)。

 それはどこかで自分で選択していないところがあるから余計にそう感じるのではないかと思うんですよね。

 覚悟を決めた上での選択だったら、それが正解か間違いかはあまり関係ないのではないかと。

 そういう意味で、本作が、女性男性に関わらず、人生の中盤に差し掛かった人たちにとって、改めてご自身の人生の選択について考えるきっかけになれば、とも思います。

 あと、その点でいうと、原作者の島本さんが映画にコメントを寄せてくださっていますが、小説と映画のラストが異なることについて『原作者として最も素晴らしいと感じたのはその点だった。なぜなら私自身が小説を書き終えたときに、人によってはまったく違うラストを描いただろうという想いがあったからだ。それはいかに女性の生き方というものに正解がないか、という実感でもあった』と。映画の結末についてこういう答えもあるだろうと受け止められたとおっしゃってくださってうれしかったですね」

ラブストーリーでありながら、ひとりの女性の生き方を克明に浮かび上がらせる

 男女のラブストーリーでありながら、ひとりの女性の生き方を克明に浮かび上がらせ、現代の女性へ届く新たな女性映画にしたのは、女性の作り手で固めたことが大きいかもしれない。

「ただ、女性が作るということを意識して座組みしたわけではありません。

 三島監督に関しては、個人的にずっとご一緒したいなと思っていました。それこそ、『いつかご一緒しましょう』というやりとりをしていたんですね。三島監督から『こういう企画をやりたい』と提案をいただいたこともありましたし、わたしのほうからも『こういうのはどうでしょう』というような話をしていました。

 たとえば当時、三島監督というと初期に発表された『しあわせのパン』のように日常を丁寧に描く、優しく穏やかな映画を撮る方というパブリックイメージがあったと思うんですけど、神代辰巳監督やフランソワ・トリュフォー監督など好きな映画のお話を聞いたり、企画の話をするうちに、じつは男女の内に秘めた情熱や骨太な人間ドラマを描いたら、さらに力を発揮されるのではないかと思ったんですよね。

 それで『Red』をお願いしたいなと。実際、三島監督のアイデアで男女の恋愛の機微、そして塔子というひとりの女性の意思が際立つ力強い作品になったと思います」

映画『Red』より
映画『Red』より

 もうひとつ、塔子を演じた夏帆の演技も忘れてはいけない。

「三島監督とはキャスティングについても、全てのキャストについて、じっくりと話し合いながら進めていきました。夏帆さんについては、三島監督も何度も組まれていてとても信頼を置いている役者さんで、今回ぜひとお願いしました。

 わたしも夏帆さんとはWOWOWの連続ドラマW『ヒトリシズカ』で初めてご一緒して、今回で4回目になります。塔子という役は振り幅が広い。平凡な専業主婦から、自立した女性に変わる。つまり、夫にすべてを守られた状態の自己を抑え込んだ所在のないところから、自己を確立する力強さや逞しさも表現しないといけない。

 そう考えたときに、夏帆さんはうまく演じてくれるのではないかと。あと、夏帆さんも30代が近づいてきて、いままでとは違う大人の女性を演じる夏帆さんをみてみたい気持ちもありました

 実際、三島監督の演出でいままでにない夏帆さんの一面が引き出されているんじゃないかなと。

 塔子がずっと出ずっぱりの作品ですから、やはりみてくださる方が塔子=夏帆さんとどこか一体化するような感覚にならないと、作品世界に入っていけないところはあると思うんですよね。

 でも、夏帆さんが心の揺れを繊細にみせてくれたことで、その思いを共有できる形になったと思っています」

 一方、夏帆演じる塔子をとりまく男性たちにも豪華キャストが顔を揃える。塔子の元恋人の鞍田は妻夫木聡が演じた。

「鞍田に関しては、塔子に決定的な大きな影響を与えていく人物。さまざまな経験を積んできた深みがあって、大人の男性の危うい色気もある。一方で、中年に差し掛かった枯れた雰囲気もほしい。

 そう考えたとき、三島監督と相談をして40歳手前になった妻夫木さんがいいんじゃないかと。あと、わたしは妻夫木さんと同年なんですけど、わたしたちの世代がラブストーリーの映画やドラマというと顔を思い浮かべる俳優、というかスターが妻夫木さんで。

 一観客として大人のラブストーリーで妻夫木さんをみてみたい気持ちもありました。

 妻夫木さん自身も三島監督とご一緒されたいという思いや、40を前に、こうした大人の恋愛を表現したいという気持ちがあったようで思いが合致したところがありました。

 実際、人生の折り返しに差し掛かろうとする男性の、そしてある『秘密』を抱えて覚悟を持った男性の悲哀のようなものを体現してくださって、塔子の大きな存在になってくれたと思います」

映画『Red』より
映画『Red』より

 塔子と鞍田を中心に置きながら、友人以上恋人未満のような微妙な距離を保つ会社の同僚の小鷹役に柄本佑、夫の真役に間宮祥太朗を配した。

「小鷹に関しては、原作でもとても人気のあるキャラクターなんですよ。塔子が働き出したところで、接近してきて、友だちのように接してくるときもあれば、何か抜き差しならないような関係を求めてきたりもする。

 この変幻自在さを嫌味なく演じられるとなると、圧倒的なお芝居の力量のある役者さんじゃないと、ということで柄本さんにお願いできないかと。

 小鷹というキャラクターのもつお兄さん的な部分や友だち感覚の部分、職場の先輩的な振る舞いなど、シーンごとに豊かに表現してくださいました。

 映画をみた女性たちから『ああいう人が職場にいてくれたら』という声をよくいただきます(笑)

 夫の真に関しては、よく映画やドラマにあるような『浮気をされて当たり前』という感じのキャスティングだけは避けたかった。その人なりの正しさがあって、自分の言うことに揺らぎがないようにみえるぐらいの人物がいいなと。

 そう考えたときに、間宮さんにお願いしたいという話になりました。

 実際、真の存在をすごく理解して演じてくださって。なかなか表現しづらいんですけど、真の悪気のない感じがすごく出ている。悪気のない人の好意って一番厄介だったりするじゃないですか。そういうところが真にはあるので、それを実にうまく演じてくださったと思います」

 劇中では、塔子、鞍田、小鷹、真、この4人の恋愛のからんだ感情が激しくぶつかり合う。人と人とが正面から向き合うことの少なくなったいま、このラブストーリーがどう受け止められるのかも気になるところだ。

たしかにここまで互いの感情をぶつけあうことはいまの時代ではなかなかないかもしれない。恋愛に限らずですけど。たとえば職場や家族間などでも、波風を立てないように穏便に済ませてしまう

 なので、もしかしたら、塔子の存在は、波紋を投じることになるかもしれないですし、この映画そのものが波紋を呼ぶかもしれません。そのことは覚悟しています。でも、だからこそいま届けたい、という意識はあります。

 メールやSNSなど誰にも直接会わないで済んでしまうコミュニケーションがどんどん増えていますけど、人と人が本気でぶつかってヒリヒリするような体験って、やはり必要な気がするんですよね。

 だから、この映画がそういう体験になってくれたらうれしいですね」

 単なるラブストーリーとはひと味違う。かといってフェミニズム的な映画ともまた別。しかし、現代の女性へのエールであり、厳しい叱咤激励も込められた映画『Red』。あなたはどう受け止めるだろう?

映画『Red』より
映画『Red』より

新宿バルト9ほかにて全国公開中

場面写真はすべて(C)2020『Red』製作委員会

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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