困窮の果て、代理母出産へ。都市と地方の格差から家族愛までを描くブルガリア映画『イリーナ』
今年7月に埼玉県川口市のSKIPシティで行われた<SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2019>で来日した世界の映画人へのインタビュー。第3回は『陰謀のデンマーク』と並んで監督賞に輝いた『イリーナ』のステファン・キタノフ プロデューサーに訊く。
『イリーナ』は日本ではなかなか目にする機会が少ないブルガリア映画。ステファン プロデューサーはナデジダ・コセバ監督との出会いをこう語る。
「彼女とは、もうかれこれ15年の付き合いになります。初めて一緒に共同制作したのが、6本の短編からなるオムニバス・ムービー『Lost and Found』。こちらは東欧の若い映像作家たちが共作するプロジェクトだったのですが、彼女がブルガリア編の担当でした。
ここに参加した映像作家たちはとても才能あふれる若手ばかりで。その後、彼女を含めて世界へ羽ばたいていきました。たとえば『4ヶ月、3週と2日』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝くルーマニアのクリスティアン・ムンジウなどがいました。
このオムニバス映画で、ナデジダ監督と出会うことになりました」
ナデジダ監督は一切の妥協を許さない映画作家
そのときのナデジダ監督の印象をこう明かす。
「非常にシリアスかつ繊細。ものすごい集中力で作品に取り組む監督だと思いました。作品作りにおいて、一切の妥協を許さない。自分に厳しいですから、こちらに対して求めてくることも高い。いずれにしても粘り強く、作品に対して、ものすごい情熱を注ぐ人物だと思いました」
その後、もう1本、タッグを組んで短編を発表したあと、今回の『イリーナ』の話を監督から切り出されたという。
「確か2012年のことだったと思います。ただ、ここから脚本の推敲にかなりの時間が費やされました。1稿と2稿では、セルビア人の脚本家兼監督のボヤン・ヴェルティッチが関わり、3稿と4稿目では、ブルガリアの脚本家兼監督のスヴェトスラフ・オフチャロフが関わりました。そのあとにも、何人かにコンサルティングをしてもらって、脚本をブラッシュアップしていきました」
その物語は、ブルガリアの寒村で暮らすイリーナが主人公。レストランで働く彼女の生活は満たされているとは言い難い。決して楽ではない日々が続く中で、彼女は料理を盗んでいたことがバレてレストランをクビになってしまう。同日、夫も事故で重傷を負い、無職に。家族の生活すべてを一身に背負った彼女は、困窮の末に代理母の申し出を受けることになる。
「当初は、たとえばイリーナの旦那さんなど、ほかの人物のバックストーリーも描きこんだ内容を考えていました。
でも、脚本をブラッシュアップしていく中で、これはイリーナという女性ひとりを深く描きこんだほうがいいのではないかと。こうした境遇に置かれたひとりの女性をしっかりと描くことで、現代を生きる女性に思いを寄せてもらえるような物語にしようと思ったのです」
代理出産を受け入れたものの、イリーナの心は揺れ動く。子どもをおなかに宿し、どんどん大きくなっていくにつれ、手放したくない感情が芽生える。だが、時間は待ってはくれず、お金をとるのか、子どもをとるのか、自ら判断を下すことになる。
「イリーナの決断に至る過程を丁寧に描こうと思いました。そう決心するまでに、彼女にどういった欲求と葛藤が生じるのか。心の中にどんな欲望が芽生え、どんなことを恐れ、何を避けようとするのかをきちんと描こうと。どんな状況を前にしても自分で判断して、すべてを受け入れる女性の逞しさ、強さ、優しさ、そして哀しみを描こうと思ったのです」
代理出産を受け入れるイリーナには、監督自身が反映されている
このイリーナには監督自身の経験が反映されているという。
「監督自身も、初めて妊娠したときにさまざまな感情が生まれてきたそうです。そこには不安もあったでしょうし、男性にはなかなか理解できない感情もあったことでしょう。そのことを、監督は一度どうしても語りたい、ひとつの物語にまとめたい衝動に駆られたそうです。その自身の衝動に駆りたてられるようにして脚本を書いたそうです。
ですから、このイリーナから出てくる感情は、監督自身の想いが投影されているといっていいでしょう。
監督にとって、イリーナを描く上で一番大事にしたことは、彼女が許しの心境に到達していく過程を丹念に描いていくことといっていました。イリーナはさまざまな困難に直面していきますけど、それを受け入れて前を向く。
実は、わたしはイリーナにこの映画のような結末ではなく、別の選択肢があったんじゃないかと監督にいったんです。でも、ナデジダ監督は、やはり彼女が家族を守る、家族を許すことが大事なんだと言って譲らなかった。
いまは監督の主張が正しかったと思っています。というのも、日本もそうかもしれないのですが、ブルガリアの社会においても、いまなかなか希望を見いだしづらい世の中になっている。とりわけイリーナのように家族を支えることになる女性は苦境に立たされることが多い。でも、どんな苦境にあっても、必ず一縷の望みがある。そのことをいま提示することはすごく大切なのではないかと思ったからです。
希望というのは、他人への愛や慈悲、家族の愛情といったことと強く結びついている気がします。その大切さを感じ取れる物語になったのではないかと思っています。
ちなみに、監督の名前のナデジダというのはブルガリア語で希望、ホープを意味するんです。イリーナに次々と災難が降りかかるので、途中でいたたまれなくなり見ていられなくなる人もいるかもしれません。でも、このお話は希望の物語なのです」
イリーナを演じたのはマルティナ・アポストロバ。まさに体現したといえる彼女の演技は忘れがたい印象を残す。その名演は、ワルシャワ国際映画祭をはじめ、世界各国の映画祭で女優賞に輝いている。
「監督がもっともこだわったのはリアリズム。リアルなストーリーを、リアルな人物を、リアルな環境を描くことです。
撮影もセットは作っていなくて、ある町で撮影をしているんです。そういう環境に身をおくことをいとわない役者ばかりで、みんなそこの住人になってくれました。マルティナだけではなく、すべての俳優がすばらしい演技をみせてくれたと思います」
地方と都市の格差にも目を向ける
作品は、イリーナという女性を描く一方で、ブルガリア社会の明と暗も色濃く映し出す。その象徴として、大都市ソフィアと少し離れた寒村が対比されている。
「大都市のソフィアに住んでいるのは、いわゆる中流階級で。それ以外の郊外、あるいは離れた田舎で暮らす人々はなかなか仕事もなかったりして厳しい環境がある。都心と地方で、格差が生まれています。
ただ、これはブルガリアだけではない。『万引き家族』などみるとわかるのですが、日本の社会においても、同じようなことが起きているのではないでしょうか。
そういう意味で、この作品は社会の格差について映し出した映画でもあるのです。これは日本社会とも無関係なことではないでしょう」
場面写真はすべて(C)「イリーナ」