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親子の哀しい事件が相次ぐいま問われる「家族」とは? 育ての親を演じた山田真歩が考えたこと

水上賢治映画ライター
映画『夕陽のあと』 山田真歩 筆者撮影  ヘアメイク:藤垣結圭

 今年もあと残すところ2カ月を切って、この1年を総括するようなニュースが増えてきた。

 振り返ると、日々、さまざまな事件や出来事が報じられる中で、とりわけ、幼い子どもの虐待死に関するニュースが目立った1年ではなかっただろうか。「なんでこんな幼い命が?」と心を痛めた人は多いことだろう。

 密室の中で、外からはなかなか見えてこない親と子の関係。「家族であることの意味」は?「親の役割」とは?そうした問いに、ことあるごとに向き合う1年になったような気がする。

映画『夕陽のあと』より
映画『夕陽のあと』より

生みの親と育ての親、ふたりの母親が登場する『夕陽のあと』

 越川道夫監督の『夕陽のあと』は、複雑な状況におかれたふたりの母とひとりの子どもをめぐるドラマだ。劇中には、「生みの親」と「育ての親」というふたりの母親が登場。近年、映画やテレビドラマで独特の個性を発揮する山田真歩が、難役といっていい「育ての親」を演じた。役と物語から彼女は何を感じたのかを訊いた。

 まず、正直なところ、本作の山田真歩という俳優を見て、ひとつ驚きがあった。それは、子どもへの深い愛を感じさせる母親を体現していたこと。これまでの彼女のフィルモグラフィーを振り返ると、さほど母親役を抱かすようなイメージはない。本人も今回の役は新鮮だったと明かす。

「私自身は自分のことをごく普通の人間と思っているんですけど、いただく役は強い性格の女性だったり、ちょっと普通じゃない役をふられることが多いので、いつも『私って、こんな感じに見られているのかな』と自分自身でも驚くことが多い。それはそれでうれしいことなんですけど。

 その中で、今回、いただいた五月という役はごくごく普通の女性。鹿児島県長島町という豊かな自然に囲まれた土地で、島の特産品であるブリの養殖業を営む夫とともに日々働き、忙しい毎日を送っている。なにをもって普通とするのかは難しいですけど、いわばキャラクター化していない、地に足のついた人間らしい人間で。こういう人物を演じられることがうれしかった。日常を普通に生きるということこそ演じるのは難しいと思うので」

 そして、母親役はなぜか今まで少なかったので、それもすごくうれしかったですね」

血のつながりのないところからどれだけ愛情でつながれるか

 ただ、役に関しては、あまり母親役を意識しなかったと明かす。

「五月にはむしろ、自分に近いものを感じたんです。実際の私は母親ではありません。ただ、これまで生きてきて私の中で培われた他者への思いや、社会のものの見方が生かせるというか。ある意味、五月は自分の等身大で延長線上にある人物だなって感じたところがあったんです」

 演じた五月には、赤ん坊のころから育ててきた7歳の息子がいる。ただ、その豊和(とわ)は実の子ではない。五月はかつて不妊治療を受けていたが、自身の体にも生活にも負担が大きくのしかかることから断念。そこで児童相談所の紹介で預かり、里子として育ててきたのが豊和だった。

「まず、演じるにあたり、母と子の関係を血のつながりだけを中心に置いた限定的な見方をしないほうがいいのではと思いました。というのも、物語全体をとらえたときに、人が血のつながりのまったくないところから、どこまで愛情でつながっていけるのか、ということに重きを置いている気がしたんです。

 現時点で、私に血を分けた子が欲しいとかそういうことはない。自分は何かをやるとき、いろんなものを振り切って一人で籠もらないとできないことがあって、そのときに他者との関係が難しくなってきたということがあります。そういうとき、やはり自分には子どもを持つのは難しいかもしれないと考えたりしますね。

 ただ、それでも孤立するのではなく、他の人と家族と思えるぐらいの深い関係を育んでいきたいという気持ちはある。そうした感情が五月役には大切ではないかと。母と子の前に、豊和とけんめいにつながろうとしている人物なので」

映画『夕陽のあと』 山田真歩 筆者撮影   ヘアメイク:藤垣結圭
映画『夕陽のあと』 山田真歩 筆者撮影  ヘアメイク:藤垣結圭

 しっかりとした親と子の関係ができたと思えたとき、五月は戸籍上の親になろうと特別養子縁組へ動き出す。準備を進める中で、豊和が7年前に東京のネットカフェで起きた乳児置き去り事件の被害者と判明。しかも、母親が1年前に島にやってきて、食堂で働き、五月とも善き知人関係にあった茜であることがわかる。ここから母親であることを一度は手放しながら、もう一度母になろうと決めた茜と、母になることを切に望むが子宝には恵まれなかった五月が、息子をめぐってせめぎあうことになる。

「実の母の存在を知ったとき、自分のこれまでの豊和への愛情の自信が揺らぐ。五月の中で豊和は我が子同然ですけど、自分のお腹を痛めて生んだ子どもではない。自分では良好な親子関係を築けているとは思っていても、これでよしという正解がわからない。そんなときに血を分けた実の母親が追いかけてきて豊和と顔見知りとなったら、敵対視してしまいますよね。大切に育ててきた子を奪われるんじゃないかと」

一歩踏みとどまり、相手の立場を考える

 でも、五月はここで怒りの感情のままに茜を全否定したり、島から排除しようとはしない。一歩踏みとどまり、茜の立場を考える。

「これは私自身が長島町という島を訪れて実感したことなんですけど、島民のみなさんがほんとうにおおらかなんですよ。小さな島ですが自給率が120%で、みんなが協力して生きている。島全体が家族みたいな感じなんです。私は部外者でしたけど、それでも島を散歩していると、おばあちゃんが普通にハグしてくる(笑)。まるで古い付き合いのように。他人を疑うようなところがない。心が開いていて鍵が掛かってない。そういう土地で生きてきた五月ですから」

 天真爛漫で、猜疑心がない。ゆえに、茜の正体を知ったとき、初めて人を疑い、激しい憎悪にかられる。でも、頭ごなしに彼女を否定はしない。時を置いて冷静になると心を開いて、茜とつながろうとする。演じていて、この五月の包容力はすごいなと思いましたね。私自身こうありたい

ずっと考えていた。「普通の家族って何だろう」

 こうしてきちんと正面から向き合った五月と茜は、両者納得の答えを導きだす。それは「生みの親」「育ての親」といった従来の家族論とは違う、家族の在り様を提示する。

「撮影のときも、ずっと考えていました。『普通の家族って何だろう』と。なんか、『家族とはこうあるべき』という一般的なイメージにみんな勝手に縛られている気がします。実際は、さまざまな家族の形があるのに。

 もう少し広い心で家族を見たほうが、きちんとつながれるんじゃないかと、この作品を経験して思いました。私は、五月と茜の豊和をめぐっての選択は、なかなかできそうでできない素敵な答えだと思います」

木内みどりさん演じる姑の言葉「この子は預かりもんと思ったよ」に共鳴

 また、親と子の関係の在り方にも一石を投じる。

「親子の関係に限ったことだけではなくて、たとえば恋人にしても、土地や物にしても、私も含めて人は何かを自分のものにしたい気持ちがどこかにあると思うんです。自分だけの所有物にしたい。そうなったときに軋轢が生じる。

 でも、物だったらお金出して買えますけど、人の心はお金で買えない。子どもだって、親の所有物にはできない。いつか島を出て自分たちの手から離れていくかもしれない豊和の将来に思いを馳せて、五月の姑を演じられた木内みどりさんが『この子は預かりもんと思ったよ』と言う台詞がありましたが、私はすごく共鳴しました。そして、五月もあの言葉にすごく救われた気がします」

 本作は現代の家族の在り様に、ひとつ問いを投げかける。もう、社会がイメージする「家族」にとらわれない。もっと、ゆるやかなつながりがあっていいのではないかと。

映画『夕陽のあと』より
映画『夕陽のあと』より

 最後にこうコメントを寄せる。

「人はどうしても自分の立っている地点から物事を見がち。自分の価値観だけを判断基準にして良し悪しを決めてしまったりする。ついつい億劫になって別の角度から見ることを怠ってしまう。

 でも、少しだけ視野を広げて、相手の立場を理解しようとしたとき、きっと分かち合える何かが見つかる気がする。五月と茜の関係はそのことを物語っている。

 五月と茜と豊和が、この映画の中で最終的にたどりつく関係が理想かは意見は分かれることでしょう。ただ、大切なのは、映画の『結果』よりも、理解し難い相手の気持ちに、そして子どもの気持ちに耳を傾け、お互いがギリギリまで歩み寄ろうとしたという『行為』ではないかと思います。

 3人のような家族の形があってもいいのではないか。もっと社会ぐるみで子どもを見守り、育てることができるのではないか。そんなことを考えるきっかけになってくれたらうれしいです」

映画『夕陽のあと』より
映画『夕陽のあと』より

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場面写真はすべて(C)2019長島大陸映画実行委員会

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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