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プーチン大統領にスポーツ制裁は効力があるのか?

溝口紀子スポーツ社会学者、教育評論家
プーチン大統領にとって柔道の黒帯は身許を保証するものである(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

SNS時代のスポーツ制裁は「スポーツのチカラ」になりうるか?

スポーツ界では、ロシアによるウクライナ侵攻の制裁として、ロシアを排除する動きが強まっています。

とりわけ、国際柔道連盟からプーチン大統領に名誉会長及び大使の地位を停止を言い渡したことは、ウクライナ侵攻に対し「それまで!」(柔道用語で試合終了を意味する)というメッセージを送ったといえます。

国際柔道連盟はいち早く、ロシアでの大会の中止やプーチン大統領の名誉会長の停止の対応をしました。

なぜなら、ウクライナ侵攻が始まってからウクライナ柔道家のダリア・ビロディド選手を始め様々なアスリートたちが、現地の情報や反戦のメッセージをSNSで発信し、世界中に情報が共有されたことで多くの人が共鳴をしたからです。SNS時代の対抗措置ともいえるでしょう。

現在、経済界からはロシアへSWIFTでの制裁が行われています。

SWIFTはロシア経済を壊滅的にするとも言われていますが、果たして、スポーツ制裁は、経済制裁のように、プーチン大統領にとってどれだけの効力があるのでしょうか?

プーチン大統領にとって柔道の帯はレゾンデートル

プーチン大統領は、ロシアでは「トゥルバストロイチェリ」、「Yawara-Neva」などの柔道クラブの名誉会長も務め、柔道への造詣が深く、自著「Judo: History, Theory, Practice」という柔道教本も出版しているほどです。

JOC会長、全日本柔道連盟会長の山下泰裕氏とは懇意しており、同じ柔道家として、国際平和の目的として、これまで交流を重ねてきました。

とりわけ、プーチン大統領が2000年9月に来日した際に、講道館から六段の紅白帯を贈った際には「『私は柔道家なので六段の帯の重みをよく知っています。母国に帰って研鑽を積み、一日も早くこの帯を締められるように励みたい』と、その場で締めることを丁寧に断りました」と山下氏は語っています。

この発言から分かるように、プーチン大統領は柔道に畏敬の念を持っていることがわかります。日本にいるとあまり感じませんが、海外では柔道の有段者(黒帯や赤帯)は、非常に権威があります。海外の柔道家にとって、柔道の黒帯は、身分証明書でもあり、自分を正当化するレゾンデートル(存在理由)でもあるのです。

2005年11月プーチン大統領首脳会談:出典https://www.kantei.go.jp/jp/headline/contributing_worldwide/yamashita.html
2005年11月プーチン大統領首脳会談:出典https://www.kantei.go.jp/jp/headline/contributing_worldwide/yamashita.html

にもかかわらず、今回のウクライナ侵攻は、柔道の「自他共栄」の精神を愚弄する行為であるといえます。今回の柔道界からの名誉会長停止の制裁は、実質、柔道界からの最後通告でありプーチン大統領にとって屈辱的だったに違いありません。

一方で、2月27日、欧州柔道連盟は、ウクライナ侵攻に鑑み、プーチン大統領の名誉会長の地位の剥奪することを発表しました。さらに2007年から欧州柔道連盟の会長を務めてきたセルゲイ・ソロヴェイチク氏が、ロシアのウクライナ侵攻を受け、辞任を表明しました。欧州柔道はプーチン大統領と袂を分つことになりました。

国際柔道連盟が名誉会長の地位を「停止」にしたのに対し、欧州柔道連盟は「剥奪」を決定しました。欧州柔道連盟と国際柔道連盟の対応に温度差があるようにも思えます。

なぜ国際柔道連盟は、名誉会長の地位を「剥奪」しなかったのか?

ルーマニア出身のビゼール国際柔道連盟会長は、プーチン大統領を名誉会長、大使に就任した当事者です。ビゼール会長は、柔道選手として世界的な実績があったわけでもありません。しかし、東欧でカジノ経営など幅広く事業を展開した財力とプーチン大統領の後ろ盾があって欧州柔道連盟会長、国際柔道連盟会長に就任できたといわれています。いわば、プーチン大統領の「太鼓持ち」の立場です。

本来であれば、段位や地位の「抹消」や「剥奪」などの措置になるところですが、プーチン大統領に恩義を感じ、そこまでできなかったのでしょう。

実際、今日、スポーツ界におけるプーチン大統領の影響力はとても大きいといえます。なぜならプーチン大統領はスポーツ界のステークホルダー(利害関係者)だからです。ロシアの世界的ガス資源企業の「ガスプロム社」は、サッカーのFIFAだけでなく、かつては国際柔道連盟のスポンサーだったこともありました。とりわけロシア経済界はロシア柔道と密接な関係があります。

スポーツ界は、プーチン大統領の後ろ盾があってこそ、ロシアマネーの恩恵を受けることができるといわれています。またプーチン大統領にとっても、スポーツ界と良好な関係を持つことはクリーンなイメージを与えるプロパガンダの役割にもなっているのです。

このような背景から、ビゼール国際柔道連盟会長は、功労者のプーチン大統領に段位や地位の「抹消」や「剥奪」することを忌避したといえます。

柔道ファミリーであるプーチン大統領の性格をよく理解しているからこそ、柔道界からの追放を意味する「抹消」や「剥奪」ではなく、あえて「停止」処分をすることで、場合によっては柔軟な対応をするといった余地を与える方が得策だと判断したのではないでしょうか。

今後の展望としては、プーチン大統領が停戦をすれば、国際柔道連盟の名誉職地位の「停止」措置を解除し、元の「名誉会長」の座に戻すことも十分考えられます。

五輪の存在意義と「スポーツのチカラ」

いずれにしても、すでにプーチン大統領は、五輪休戦協定期間にもかかわらず、ウクライナに侵攻しました。

今回が初めてではなく、2008年の北京夏季五輪開会式当日にグルジア(ジョージア)侵攻、そして2014年のソチ冬季パラリンピックの直前にも自らが開催国にもかかわらずクリミア半島への軍事介入もしていて今回で三度目の違反です。

すなわち、五輪は、本来「平和の祭典」であるはずなのに、プーチン大統領の前では、全く効力がなかったと言わざるをえません。

むしろ、ロシアによる度重なる協定違反によって、五輪の存在意義が問われる事態となっています。今、「スポーツのチカラ」が問われています。

スポーツ団体によるスポーツ制裁が、五輪の「休戦協定」のように形骸化しないためにも、スポーツ界が一丸となって制裁をすることで実効力を伴うようにする必要があります。

スポーツ社会学者、教育評論家

1971年生まれ。スポーツ社会学者(学術博士)日本女子体育大学教授。公社袋井市スポーツ協会会長。学校法人二階堂学園理事、評議員。前静岡県教育委員長。柔道五段。上級スポーツ施設管理士。日本スポーツ協会指導員(柔道コーチ3)。バルセロナ五輪(1992)女子柔道52級銀メダリスト。史上最年少の16歳でグランドスラムのパリ大会で優勝。フランス柔道ナショナルコーチの経験をもとに、スポーツ社会学者として社会科学の視点で柔道やスポーツはもちろん、教育、ジェンダー問題にも斬り込んでいきます。著書『性と柔』河出ブックス、河出書房新社、『日本の柔道 フランスのJUDO』高文研。

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