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「アスリートファーストのため延期」の美辞麗句に潜む利害関係

溝口紀子スポーツ社会学者、教育評論家
(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

国際オリンピック委員会、東京オリンピック(五輪)・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長と武藤敏郎事務総長が23日会見し、延長の選択もあることを表明しました。

未曾有の事態ではオリンピックの開催よりも人命が一番大事です。新型コロナウィルスの感染拡大が急速に進む中、平和の祭典であるべきオリンピックが国難どころか、国際的な感染拡大の要因となりうる以上、現状では延期、中止はやむをえない事態といえるでしょう。

今後4週間のうちに話し合われるとのことですが、おそらくIOCは延期に向けての想定し得るプランを各国のオリンピック委員会、各競技の国際連盟と調整し、組織委員会に提案することになると思います。

延期の時期については、公衆衛生の安定が最も優先されるべきですが、「アスリートファースト」という美辞麗句を隠れ蓑にして、政治家や五輪関係者が、延期の時期を政局やビジネス、権力闘争に利用するのではないかと、憂慮しています。

オリンピックは政治とは別と言いながらも、実際、オリンピックは社会経済活動そのものという考え方もあります。

五輪が商業主義体質の上、政治とも密接な関係となっている現状で、延期や中止となった場合、選手、指導者の立場から延期が与える影響とはどんなことがあるのか考えてみたいと思います。

<ピーキングの問題>

年内延期の場合には選考には問題はありませんが、もし延期が1年後、2年後に延期が決定した場合、選考をやり直す必要があります。現在の選考基準が2020年の夏であるため、代表内定選手が1年後、2年後の各国のベストな選手とは限りません。例えば現時点で一番速く代表内定が決まった選手は今から1年前の2019年に決まっています。すなわち2021年の大会になった場合、2年前のベストだった選手が出場することになり、その時のベスト選手とは限らないため不公平です。そのため現在の内定が無効になる可能性が高いでしょう。せっかく早めに内定を獲得することで有利に調整を進めることができたのに強化プラン変更どころか、選考のやり直しになることで出場権を手放さなければならないことになります。

その一方で落選した選手にとっては敗者復活戦のチャンスになります。また2020東京に年齢的に間に合わなかった若手選手にとっては思いがけない五輪のチャンスが早く巡ってくると思います。

<競技団体の問題>

来週、柔道ではまだ代表が決まっていない男子66キロ以下級の最終代表選考会が開催されます。

いつオリンピックが行われるかわからない中で、代表選考会が行われる現状では選手の士気が下がることになりかねません。

もし延期によって再選考が行われる場合は、すでに内定を与えた選手の代表権を無効にすることによってチームの雰囲気がぎくしゃくし、コーチと選手の間にも亀裂が生まれる可能性があります。

今後は1年後、2年後の開催によっては代表選考基準の見直し、選考会の再設定、強化合宿、主要大会の時期、海外大会の派遣など抜本的に強化プランの見直しをしなければなりません。しかしながら、現状では強化プランの変更をする場合の予算さえ見通しができません。

現行のシステムでは、五輪や世界大会の結果によって強化予算が決定するからです。今年度中に五輪が開催されない場合、来年度以降の予算措置、配分をどうするのか?等、強化現場では問題が山積です。

オリンピックにはオリンピック憲章という原理原則があります。とりわけ4年に一度というオリンピアード(五輪暦)という4年毎の独特な体内時計は、オリンピックを目指した瞬間から選手の体内に埋め込まれます。4年の感覚はオリンピックに出たものにしかわからない時間。それは原理理念を超えたものです。

世間から見れば「1年や2年くらい延期しても所詮、オリンピックは「祭典」なんだから」と思いますが、選手や強化現場の関係者にとっては4年に一度の「祭典」ではなく人生に一度あるかないかの「人生をかけた舞台」なのです。その思いが超人的な感動を生むプレーやパフォーマンスの原動力にもなっているのです。

五輪の延期の問題には「正解」を選ぶことができません。

なぜならどの選択をとっても何かを犠牲にしなければならないからです。

とはいえ「アスリートファーストのための延期」と言いながら、結局、アスリートが一番の犠牲者になることだけは避けたいものです。

スポーツ社会学者、教育評論家

1971年生まれ。スポーツ社会学者(学術博士)日本女子体育大学教授。公社袋井市スポーツ協会会長。学校法人二階堂学園理事、評議員。前静岡県教育委員長。柔道五段。バルセロナオリンピック(1992)女子柔道52級銀メダリスト。史上最年少の16歳でグランドスラムのパリ大会で優勝。フランス柔道ナショナルコーチの経験をもとに、スポーツ社会学者として社会科学の視点で柔道やスポーツはもちろん、教育、ジェンダー問題にも斬り込んでいきます。ここでの言動は一研究者としての個人の発言になりますのでご理解のほどよろしくお願いいたします。著書『性と柔』河出ブックス、河出書房新社、『日本の柔道 フランスのJUDO』高文研。

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