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注目は井上尚弥だけじゃない 武居由樹が醸し出すスーパースターの予感『12・13有明』

宮崎正博ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者
5戦目で東洋太平洋王者になった武居。大いなる可能性を秘める(写真/山口裕朗)

KO寸前に5戦目タイトル奪取の快挙

12・13有明アリーナ(東京)の主役は、もちろん、井上尚弥(大橋)である。この日、日本が誇るモンスターはバンタム級世界タイトルの完全統一をかけてリングに上る。ただし、注目すべきは井上ひとりではない。豪華なラインナップが前座を彩る。なかでもこの夏に手に入れた東洋太平洋スーパーバンタム級タイトルの初防衛戦に臨む武居由樹(大橋)だ。元K1世界チャンピオンという話題性ばかりではなく、やがて、プロボクシングの世界でもトップスターになり得る圧倒的な存在感がこの男にはある。武居対ブルーノ・タリモ(オーストラリア)戦の展望とともに、“スーパースターの予感”の在処を、現役時代には3階級世界王座を獲得した八重樫東トレーナーに聞いた。

 あまりにも口惜しいタイトル獲得劇だった。8月26日の東京・後楽園ホール、武居が東洋太平洋チャンピオン、ペテ・アポリナル(フィリピン)をTKOに打ち破った戦いのことである。武居の戦いにケチをつけているわけではない。ただ、その唐突すぎたエンディングは、今でも「もうちょっと続きがあってほしかった」と思ってしまう。

 この試合までの4戦すべて、豪快きわまりないパンチで対戦者をTKOに打ち取ってきた武居は、サウスポースタイルからの右フックで2度、左ストレートで1度とチャンピオンから計3度のダウンを奪っていた。いずれも深刻なダメージを伴うものではなかったが、あからさまにパワーの違いを感じさせていた。そして5ラウンド、武居の攻めにいよいよ熱が帯びる。獲物を捕らえる獰猛さが加速していく。痛快KOへの期待感がはち切れんばかりになったときのこと。武居の左ストレートが肩の辺りを捉え、アポリナルが後ずさりすると、レフェリーがそのまま試合終了を宣してしまったのだ。

 その判断が誤りとは言えない。あまりに一方的な展開だ。事実、4回終了時点の公開採点では3人のジャッジがいずれも40対33と大差をつけている。勝負としては半ば決着もついていたのだ。必要以上のダメージを敗者に与えないというのが現代ボクシングの常識なら、十分にストップもあり得る。

 とはいえ、この試合、せめてもう10秒、20秒と続行されていたら、きっと『ものすごい結末』になったはず。そして、そうなっていたら、26歳の元キックボクサーは今、日本ボクシング界のトップをともに走るスター軍団の一員になっていたかもしれない。

 それも終わったこと。プロボクサーとしての武居は始まったばかりだ。この先のことを考えたい。キックボクシングから転向してきて、わずか1年と5ヵ月で手に入れた初のタイトルである。見えているのは底知れない可能性だけだ。打ち込むパンチはどれもこれもが強烈だ。ことさらに右フックは鉄球という形容そのままの破壊力を有す。距離感が抜群によく、自分の一番いいパンチが打ち込めて、相手の攻撃をやり過ごす最善のポジションを敏感に奪い取る。チャンスの芽を嗅ぎ取ると、たちまち攻撃の炎が高く舞い上がり、一気にフィニッシュへと突入する。さらに加えるに、いまだ未完の域にあるからこそ、完成のときの雄姿になおさら期待感が昂ぶる。

2階級上で活躍したタフガイを仕留められるか

 13日のタリモ戦も武居にとっては大きな試金石になる。27歳の挑戦者はアフリカのタンザニア出身で、2018年からオーストラリアをベースにして戦っている。ここまで31戦(26勝5KO3敗2分)と豊富なキャリアを持つ、小柄ながらも勇敢なファイターだ。本来のオーソドックススタイルにサウスポースタンスを盛んに織り交ぜながら、絶え間なくプレスをかけてくる。ボクシングの実戦経験に乏しい武居にとっては、決して与しやすい対戦相手ではない。

 タリモはとにかく頑丈である。IBFのインターナショナル王者となり、昨年12月にはその後に世界王座決定戦に出場したゼルファ・バレット(イギリス)に迫りながらも判定負けを喫している。このとき、左フックを引っかけられてダウンしているが、これまでノックアウト負けは1度もない。このバレット戦までの活動は武居と対戦するスーパーバンタム級(リミット約55・3キロ)よりも2階級も重いスーパーフェザー級(58・9キロ)だった。バレット戦から1年を経ての戦いになるが、2月に「スーパーフェザー級での体重作りは楽すぎる。本来の階級に戻りたい」とスーパーバンタム級への転向を表明している。実戦から遠ざかった間、新階級にフィットするための肉体改造に取り組んでいたのかもしれない。

 2階級上でも世界レベルのパンチに耐えていたタリモに、武居のパンチは通用するのか。そして、果敢なアフリカン・ファイターは速いテンポで仕掛け続けてくる。そんな相手に対応できるか。早い段階で武居の強打炸裂となれば、スターへの道をまっしぐら。込み入った展開となり中盤戦以降に勝負がもつれれば、戦力の底上げのために絶好の機会になる。まさしく絶妙のマッチメイクである。

3階級世界王者だったトレーナーの八重樫氏は「キック時代のいいところは残したい」と語る(写真/山口裕朗)
3階級世界王者だったトレーナーの八重樫氏は「キック時代のいいところは残したい」と語る(写真/山口裕朗)

“ゴツゴツ”の魅力をそのまま活かしたい

 この試合、武居に何を見るべきか。ボクサーとしてのスケールアップ計画の進捗状況にある。トレーナーの八重樫氏は、武居にはもっと経験が必要だとしている。

「K1の世界チャンピオンですから、キックボクサーとしては完成形にあるのでしょう。あとは練習、実戦でボクシング仕様をどう取り入れるかです」

 八重樫氏は「ボクシングとキックは似て非なるもの」と言う。向き合ったときの立ち位置が違う。重心の置き方も違う。対戦中に相手のどこを見ているかも違う。それでも、キックボクサーとしての美点を十分に活かしながら、ボクサーとしての能力を高めていきたい。「ボクサーが使わない」パンチの軌道とタイミングはとくに温存しておきたい。そのために、ほかは微調整にとどめる。両腕を低く構え、ルーズに見えるガードも大幅な修正は加えない。「それで守れているのなら問題はないし、一番、パンチを出しやすいところに拳を置いているのだから」。ただ、攻撃にはボクシング的な厚みを加えていきたいと言う。

「武居がもっとも得意としているのは右フックなのでしょう。見えにくく、タイミングも読みづらい。狙っている箇所も最初からのボクサーは顔の正面ですが、彼の場合は側頭部です」

 武居のパンチは時として大きな環状を描く。蹴りを使うのだから、ボクサーよりもっと遠い間合いで戦う。そんなキックボクシング時代の名残だが、それが効果的なのなら捨てる手はない。

「まっすぐな左ストレート。それにワンツーストレート。それが自在に打てるようになったら、横殴りの右フックがもっと効果的になります」

 新しい挑戦に対して思考を深掘りしないまま増築を加えてしまえば、戦いのバランスを崩してしまう。

「荒削りです。あちこちがゴツゴツしたままです。それをまん丸なきれいな“球”にするつもりはありません。ゴツゴツの突起部分にヤスリをかけてさらに尖らせたいですね」

 武居がもっと強いボクサーになるために、それが最善の選択だと八重樫氏は言う。そうやっていけば、チャンスを読み取る天性の嗅覚を失わないままに、“ボクシング力”は高まるばかりだ、と。

 武居らしい痛快なノックアウトをタリモ戦には期待したい。世界への距離をより正しく測りたい。ボクシングへの転向を明らかにしている同じくキック出身の那須川天心との、いつの日にかの『ドリームマッチ』のためにも。

ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者

山口県出身。少年期からの熱烈なボクシングファン。日本エディタースクールに学んだ後、1984年にベースボール・マガジン社入社、待望のボクシング・マガジン編集部に配属される。1996年にフリーに転じ、ボクシングはもとより、バドミントン、ボウリング、アイスホッケー、柔道などで人物中心の連載を持ったほか、野球、サッカー、格闘技、夏冬のオリンピック競技とさまざまスポーツ・ジャンルで取材、執筆。2005年、嘱託としてボクシング・マガジンに復帰。編集長を経て17年、再びフリーに。

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